この村上が「負け犬の愚痴を肴に飲むのが最高の愉悦」になるんだな~(しみじみ)
「上京生活録 イチジョウ」の連載が終わりました。
連載中はそれほど熱心に読んでいたわけではないんですが、最終回を見て既刊5冊を一気に購入してしまいました。
そして今さら、俄然イチジョウ熱が盛り上がってます。
登場人物は、漠然と成功者になりたいと思っているけれどその方法も判らず拗らせがちなイチジョウ。
イチジョウをその面倒なところも込みで慕っている(と思われる)後輩村上。
この二人を中心に、イチジョウのバイト仲間で繊細で気遣いの人美沢さんと、穏やかで芯が強い山田くんも物語にからみます。
ネタバレというか、本編の内容に触れます。ご注意ください。
「上京生活録 イチジョウ」はカイジシリーズのスピンオフです。
カイジと死闘を繰り広げた裏カジノ店長一条聖也の若き日を描いています。
高校を卒業して岡山から東京に出てきたイチジョウと村上(高校中退)の二人の同居生活です。
自宅で豆苗を育てるとかハムスターを飼うとか、バイト先の話題とか。
日常コメディだけど爆笑という感じではなくて、何者かになりたくて悩む若者を俯瞰して「そうそう、こういうことあるよね」と読者が見守るような作風です。
拗らせ気味の青春を過ごした人や、上京経験がある人には共感しやすい内容だと思います。
それだけに人によってはどこがおもしろいのかが掴みにくいかも。
カイジスピンオフですが、前日譚なので本編を読んでなくても楽しめると思います。
(ハムスターを走らせるために「3段クルーン」を作るとか、ちょいちょい本編由来のネタも出てくるけれど)
まったく知らない人のために、前提となる「一条がどういう人物なのか」は第一話の冒頭で説明されます。
パチンコ台「沼」を作った帝愛裏カジノの店長で、カイジと敵対関係にあるということが。
そして一条の傍らには黒いスーツの無骨そうな男(村上)がいます。
最終回「再起」
最終回の一つ前「仕舞」はイチジョウと村上が帝愛に入るために引っ越す前日の話でした。
イチジョウはすでに帝愛に入ることを決めて、二人は同居を解消することになっています。
この時点で村上はまだ身の振り方を決めていません。
当座は東京に住む親戚のもとに身を寄せるつもりですが、その先は白紙です。
ただ、第一話の冒頭にあるように(そしてカイジ本編にあるように)村上は裏カジノでは主任として一条の右腕になっています。
結果的に村上がイチジョウと共に帝愛に入るのは既定路線ですが、その結論に至るまでを描いたのがこの「仕舞」でした。
最終的にはイチジョウが村上に「ついてきて欲しい」と言い、村上はその要請に応じます。
話を切り出すまでの二人の日常の延長線上にありながら、ある種緊張感のあるやりとりが魅力的な話でした。
そして最終回「再起」です。
前話から数年後、街を歩く眼光鋭い村上が描かれています。
(前話までの村上の絵は瞼のラインが弧を描いてますが、最終話では真っ直ぐで釣り目気味です。横長の卵型から上が平らな蒲鉾型になってます)
この時点で一条は失脚して村上は帝愛を辞めています。
数年ぶりに若き日に住んでいた大山に戻ってきて、記憶をたどるように歩いています。
かつてよく歩いていた商店街ハッピーロード、イチジョウがバイトしていたファミレス。
ファミレスでは当然、知った人はもう働いていません。
仲良くしていた美沢さんや山田くんに連絡しようと思い立ったけれど、彼らのラインのアイコンで今の生活をわずかに覗き見て連絡はやめました。
村上の足は、若き日にイチジョウと貧しくも楽しい共同生活を送っていたさくらハウスに向かいます。
かつては穏やかで優しい青年だった村上が荒んでしまったのが分かります。
表情の険しさもそうですし、思うようにならない時に舌打ちをしたり、要求を通すために札びらを切ったりします。
ああ、帝愛に染まったんだな。
と、寂しい気持ちになりました。
いつの間にか、負け犬の愚痴を肴に酒を飲む男になってしまっていたワケです。
さくらハウスで以前住んでいた部屋の前に立った村上は、つい(当時は無かった)呼び鈴を押してしまいます。
そして出てきた見知らぬ男に「部屋を譲ってほしい」と持ち掛けます。
相手を説得しようと「ほい」と札を差し出し(たぶん5万円くらい)、引っ越し代も払うと説明しようとしますが、不審がった住人はドアを閉めてしまいました。
行き当たりばったりで相手を説得しようとして結果不首尾に終わったことを「そりゃそうだ。何やってんだオレは」と自省しながら、あらためて自分が相手に差し出した金を見て「ホントに、オレは何を…」と愕然とします。
村上は驚かせてしまったことを謝り、なぜこういう行動にでたかドア越しに説明しました。
かつてこの部屋に住んでいたこと、当時同居していた先輩が連絡できない状態になっていること、その人が帰ってくるならこの部屋しかないということを語ります。
部屋の前から立ち去りかけた村上を住人が呼び止めました。
元々彼は近く引っ越す予定でした。
村上はモデルの仕事が決まったという住人を「へー、いいね! すごいじゃん」と激励します。
季節は、初冬。
そしていつの間にか桜が咲く季節になっていました。
電気もつけず殺風景な部屋に寝ころんでいた村上は、いつの間にかうたた寝していました。
外からかすかに階段を上る足音が聞こえます。
近づいてくる足音に気付いて村上は体を起こします。
ドアが開いて光が差し込みました。
その光の方を見る村上の目に、ドアを開けた人物のシルエットが映ります。
村上はつぶやきます。
「一条さん……?」
最終話には最後まで一条の姿は出てこず、本当に一条が帰ってきたのか幻なのか、もしかすると村上の夢なのか判然としません。
住人に金をちらつかせて説得しようとしていたのが、自分が差し出した金を見て正気に返り、はじめて相手の気持ちを無視していたことに気づきます。
良いシーンです。
帝愛の社風に飲まれていた村上に、かつての気持ちが残っていたことが分かります。
夢をつかみかけている住人を応援する姿には、かつての人のいい村上の面影があります。
最後に現れたのは本物の一条でしょうか。
だとするとかなり短い期間に一条は地上に戻ってきたことになります。
カイジ本編で敗れた一条は、帝愛の地下で1050年強制労働させられることになってます。
これに関して私は、一条なら地上への復帰は早いだろうと思っています。
このスピンオフの中で、黒崎はイチジョウに向かって言います。
「社会はどうやってキミの優秀さを知るんだ? 待ってるつもりか? 気付いてくれる人が現れるのを」と(第45話「社員」)。
逆に言えば、優秀であることを自ら示せたなら先は拓けるということです。
例えば(大槻のような)地上にルートがある人物を使って物品を調達し、企画書を黒崎に送って地下に居ながら何らかの成果をあげるくらい「沼」作った男にはたやすいことでしょう。
帝愛や黒崎にとって、一条を地下に置くより地上で働いてもらった方が得だと示すことができれば良いのです。
地下で100万返すのに1年半かかることを考えたら、一条をどうすべきかはあきらかです。
会長の怒りを鎮めるため見せしめのために、ある程度の期間一条は地下送りにされるでしょうが、1年もたたずに地上に復帰できると考えても不自然ではないでしょう。
会長は得体のしれない人物だし一条(の顔)を嫌ってはいますが、合理的な判断のできる人でもありますから。
ただこれほどの短期間で戻る実力があるのなら、帝愛は絶対に彼を手放さないでしょうから、さくらハウスに現れるのは難しい。
一条がさくらハウスに現れるというのは単に立ち寄るということではなくて、何もなかったところからもう一度人生をやり直すという意味合いです。
帝愛の子飼いのままでは、このラストシーンは成立しません。
カイジとの再戦を目標に自分の右腕の村上を呼び戻すために来たのなら、それはかなり強烈なバッドエンドになってしまいます。
でも一条を待つ村上の姿は、第46話「断弱」で村上を待つイチジョウの姿の相似形です。
同じ構図を繰り返すのには含みがあるはずなので、「待ち人は現れた」と解釈するのが正しいのかもしれません。
どちらともとれる、想像の余地のある終わり方です。
村上という人物
スピンオフを作るにあたって誰を登場させるかはかなり重要です。
主人公は一条。
その彼と一緒に話を展開させる人物が、できれば原作に登場しているキャラから欲しいです。
カイジ本編で一条に好意的ないし中立的に接する人物が好もしい。
その中から裏カジノ主任村上に白羽の矢が立つのは自然です。
上を目指して上京してきたイチジョウと後輩村上という設定が決まりました。
1話の冒頭で帝愛時代の一条が描かれているということは、物語の最後にそこに帰結するのがセオリーです。
つまりこの物語はイチジョウが帝愛と出会って入社を決めるまでの話です。
なぜ彼らは帝愛に入ったのか?
イチジョウに対しては、主人公ですので物語がその過程を見せてくれます。
対して村上はイチジョウと同じ結論に至るけれど、イチジョウとは別の個性を付与されたキャラです。
そして物語的には脇役なので、積極的に心理的な変遷を描写されることはありません。
しかしその中で村上が帝愛を選ぶ理由も描かなければいけません。
そして村上がその後「愚痴聞きで一杯(5点)」に至るような人物ということも描く必要もある。
村上が帝愛を選んだのはイチジョウに求められたからです。
帝愛自体には「まともじゃない」という印象を抱いていて、会社説明会ではひどい事を(イチジョウが)されたと思っているのに、イチジョウに「ついてきてほしい」と言われれば一緒に行きます。
なぜイチジョウについて行ったのか、なぜ最終話で帰還を待つ選択をしたのかの答えは、第43話「蒼論」にあります。
イチジョウと村上が美沢さんと山田くんと一緒に飲み会をやって、そこで「真実の愛はあるのか」という不毛な論争を始めます。
イチジョウと山田くんは無い派で、村上と美沢さんは有る派です。
けっきょく途中から参加したバイト先の女子大生倉持さんの言葉で「無い」という方向で決着しました(その後議論は「人は何のために生きているか」というラウンドに突入します)。
が、そこで真実の愛とは
「相手を喜ばせたいと思う」
「損得勘定とか、やましい気持ちがない、純粋に相手のことだけを想う気持ち」
「相手と一緒になりたいという利己的な感情がない」
「種を存続させるための本能とは別物」
と、定義されます。
そして村上は「でもそれ(真実の愛)がないってことになると、人ってなんかむなしい生き物だな」と総括しました。
一条について行きそして待ち続ける村上は、決してむなしくはないのです。
(「相手と一緒になりたい」という感情も真実の愛とは別物なので、BLの否定っぽくもある)
なんなら村上が東京まで来た理由も同じなのかもしれません(作中で村上がイチジョウと共に上京した理由は「彼らの末路を嘲笑っていた人々を出し抜くため」では"ない"らしいとしか語られてない)。
イチジョウに登場する村上は、一貫して「順応性が高く、流されやすく染まりやすい」人物として描写されています。
雰囲気の良い喫茶に入れば自分が店主になることを夢想して海を見ればそこに住んで(やったことがない)サーフィンにハマると言う。髪を染めれば表参道も平気な陽キャになり、カメラを手にすればプロカメラマンの星を目指し、イチジョウのバイト仲間とも(イチジョウ抜きの)LINEグループを作るくらい仲良くなり、ブラックバイトにも黙々と従い、いったん辞めれば自堕落にニートになる。
「村上コーヒー」やサーフィンくらいは特別意味のないセリフかもしれませんが、他はその回の主題になっています。
サウナでもたやすく「ととのう」けれど、ととのうために必要なのは疑いを捨てて信仰することと作中で明言されています。
そして第39話「食違」でも判るように、染まっている自分を客観視できない人物です。
黒崎は会社説明会で「ものを考えず流されるだけ」と看破しています。
イチジョウがマルチの勧誘にあっても帝愛の入社説明会でも、周囲に流されずに本質を掴んでいるのとは対照的です。
(第35話「濾泡」のようにネットの言論に染まった回もありますが、元々似た考え方は持っていました)
当然イチジョウはサウナでととのうことはできません。
そんなイチジョウがノコノコと帝愛の入社説明会に参加するとは思いにくい。
それを実行するために、イチジョウとは違う個性を持つ村上が必要なのです。
二人に肉を奢り帝愛の入社説明会を紹介した芦田を、村上は簡単に「いい人っスね」と評価します(イチジョウの返事は「ん~、どうだかな」とにごします)。
帝愛に入るのは泣くほど嫌で芦田の説明を聞いても懐疑的なイチジョウは、村上の「行くだけ行ってみます? 説明会」「なにかしら勉強になったりするかな…とか」という言葉で心を動かされます。
イチジョウは芦田の「優秀な人材」という言葉に心惹かれてはいますが、最終的に行くのを決めたのは村上の勧めがあったからでした。
芦田の言葉で簡単に動けば短慮に見えるけれど、村上を間に噛ませると「悩むイチジョウ」を判りやすく描写できます。
これは説明会の後も同じです。
説明会では黒崎に「なんかかわいいおじさん」という印象を持った村上ですが、その後のやり取りで「めちゃくちゃヤな奴」と評価を変えます。
イチジョウは逆に黒崎に対して「人ではない何かが、人を模倣してしゃべっているかのような」と畏怖していたのが、「示してみせろ。自らの優秀さを」と煽られ黒崎に認められたいと思うようになります。
表面にとらわれる村上には見えないことが、イチジョウには判っている。
村上が横にいることで、そういう演出が可能になります。
イチジョウというキャラに厚みを持たせつつ、帝愛に行き染まる素質を持った村上もみごとに描ききってます。
それも村上がイチジョウのせいで不幸にはならないように。
この作品は巻数は多くないけれど、その分非常に緻密に伏線やエピソードを組み込んでいます。
3月6日は「上京生活録 イチジョウ」の最終巻の発売日です。
ぜひまとめて手に取って読んでください。
青臭い青春モラトリアムや上京あるあるの中に、しっかりと組みあげられた精巧な物語を味わうことができます。
この文章最終巻の発売前に書きあがってよかったなー。
次はイチジョウの生い立ちを考察したいけど、書き終わるのはいつになることか。