休めない人
休みの日、勤め先以外の他のお寺に行くと粗探ししてしまいます。
廊下の隅に埃が残っている。
天井付近の蜘蛛の巣が取りきれていない。
白砂の砂利が石畳に散らばったままになっている。
一日拝観を続けていたら、昼過ぎには朝の掃除し終えた状態からだいぶ汚れてしまうのは当然なのですが、これは多分前日からの汚れをそのままにしているだろうな、と想像つく部分もあります。
休みの日にしかお寺に行かない人なら気づかないようなポイントだと思います。
それでも説教くさく他のお寺にケチをつけたくなるのは、
なんのためにお寺があるのか。
そうした汚れを見ると分からなくなるからでしょう。
整然とした場所でなければ感じられない何かがある、と日頃思っています。職員の掃除が雑だと、そうした言葉にできない何かが簡単に消え失せます。
最近のビジネス界隈では「解像度」という言葉がよく使われているようですが、まさに汚れというのは解像度を上げればあげるほど見えてくるもので、ベテラン職員には到底及ばないと思いながらも、その感度を高めるよう他の職員に指導する日々です。
とはいえ、そうしたアラートが他のお寺でなるたび、
そもそも自分にとっての休みとは何なのだろう。
という拭いきれない倦怠感を覚えるのも事実です。一休みのために来ている場所で、至らなさに気づくことをやめられない自分がいる。感じることをやめたくなってお酒に逃げる日もしばしばです。
もういっそ休みの日は別のお寺で掃除したほうがいいのかもしれません。
何とも人生は難しい。
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