思春期に出会った、建築と一人旅。Part.2
もうひとつ高校時代に、
自分の中でかけがえのないものができた。
それが"一人旅"だ。
走ることが好きすぎて大学駅伝にハマった。
どうしても会いたい選手がいて、
高校1年生の正月に、1人で箱根駅伝を見にいくことを決め、夏休みにバイトでお金を貯めて決行した。
地下鉄なんて見たこともない、
小ちゃい島で暮らす正真正銘の田舎者だった。東京なんて未知の世界で本当にあるのか?
と疑いつつ、2020年1月1日の夕方夜行バスに乗り込み、約13時間の道のりが始まった!
後で聞くと、バスの運転手さんは、心配していた父に「娘さんは任せてください」的なことを言ったらしい。
途中、梅田で乗り換えのために、21時頃に茶屋町をさまよう。暖かいスタバに逃げ込んだけどスタバも閉まってしまい、23時の出発時間まで心細くてトイレにこもっていた。
無事乗り継ぎは終わったが、不安とワクワクが冷めやらずよく眠れなかった。夜明けとともに少しずつ目的地が近づいてくる。
神奈川の小田原駅に早朝に着いた。
冬の朝の空気が凛と澄んでいて、誰もいない駅のホームの端っこで1人おにぎりを食べた。
登山鉄道はたしか夏の台風の影響で止まっていたので登山バスに乗り込んで、行けるところまで向かう。
山登りの5区。期待していた選手は足を痛めて出られないと分かっていた。それでも当日までどこで何があるか分からない!の気持ちで山を上がっていく。
バスに乗ると、私が応援している青学の、選手のサポートをするランナーたちが乗り込んできて心臓が止まりかけた。
シャイだったので話しかけられず、先にバスを降りた。
ところが行きたかった場所の数個前の駅で降りてしまったらしく、数時間後に選手が登ってくるであろう急坂を、ひと足先に噛み締めながら登っていく。そう、独特な聖地巡礼でもある。
芦ノ湯付近までついたら、先ほどの青学のサポートランナーたちがいて、少し気まずかった。
場所取りをして待つ。ライブ中継を繋いで、8:00スタートを見守る。レースは白熱していた。
昼頃、私の前を先頭を示すパトカーと中継車が通り、胸が高まる。
待ちに待った青学が1位で駆け抜けていった!今大会は2年ぶりの王座奪還がかかっている。メンバー1人1人の活躍を数年かけてテレビや雑誌で追いかけてきた。
青学に限らず、どこの大学の主要選手の名前もスラスラ出てくるくらい、青春を走ることにかけた彼らが好きでしょうがなかった。
そんな憧れの人たちが今、懸命に繋がれた襷を胸に私の前を駆け上がっていく。
混雑したバスでぎゅうぎゅうに積まれながら山を降りて箱根湯本へ。寒暖差で曇った窓ガラスから箱根の山や温泉街を眺めていた。この気持ちはずっと忘れないだろうなと思いながら。
道が混んでいたせいで少し遅くなってしまった。
充電が切れそうになりながら、この箱根ロマンスカーに乗らないと都内の友達家族の家まで辿り着けない!と焦る。
予約を取るには、クレジットカードが必要!高校生の私が持っているはずもなく父に助けてとショートメッセージを打つが、
"クレジットかあどない。ロマンスかああきらめろ"
と絶望的な返信があった。
向こうもよほど焦っていたのか、、?
なんとかグリーン窓口で切符を手に入れ、
箱根湯本から新宿まで辿り着き、少しずつ身についてきた直感で地下鉄の乗り換えもこなした。そんなこんなで無事、友達家族のお家へ。
お家の中に螺旋階段があったりハリネズミがいたりと入って早々非常に驚く。
東京にいるんだー!と非現実感を存分に味わいながら、今日の濃い記憶をひとつひとつ引き出しから引っ張り出し、また丁寧に畳み直して閉まっていく。気づいたら寝てしまっていた。
次の日、大手町のゴール付近に早朝から待機。ありがたいことに近くにいた人たちが中に入れてくれて、最前列で6,7時間ほど到着を待ち続ける。
寒さなんて気にならないくらい興奮していた。
復路も超高速レースで襷を繋いでくれて、青学が王座を奪還した。1番にあの直線に見えて少しずつ近づいてくる緑色のユニフォーム。あの感動はきっと忘れない。
しかし場所取りがゴールライン真横すぎて、ゴールゲートが視界を遮り胴上げが見えない、、!東京まで会うために来た憧れの人が、すぐそこにいるはずなのに、、。
諦めてしばらく他の大学のゴールシーンを眺めていたが、ふと、祝勝報告会を近くの会場でしているという情報を思い出し、焦って人混みから抜け出す。
大手町から八重洲の方まで必死に歩く。
会いたい!会いたい!でも、会場まで辿り着いた頃には、もう誰もいなかった。
東京まで来たのに、、。
自分がアホすぎて情けなくて、ふと落ちてきそうになる涙を堪える。
気持ちを切り替えて、他の大学の報告会を聞くためにまたゴール付近に戻った。
東京のビルはたけぇなあとやさぐれながら時間を潰していると、少しずつ当たりが暗くなってきた。
読売ビルの中で祝賀会が終わったらしく、パラパラと選手たちが出てくる。
これは!と思って出待ちしていると、まさかの昨日今日とレースを走っていた青学の選手たちが目の前に現れ、みんな颯爽とタクシーに乗って帰っていく。
心臓がバクバクいうのを聞きながら、1人ずつにお疲れ様です!と控えめに声をかけて見送る。
しかし、5区を走れなかった私の憧れの選手は最後まで出てこなかった。
4年生だから来年はないんだよ、、去年も山登りの途中に足が攣って、本領発揮できないままだったじゃんか、、これが輝ける最後のチャンスだったのに、、本人が1番辛いだろうなあ、、と不貞腐れながらその日も友達家族のお家にお邪魔し、なんとも言えない気持ちのまま、ヘトヘトで布団に入る。
次の日の朝、起きてすぐ父からショートメッセージが入っていることに気がついた。
"至急‼
箱根駅伝で検索してスポーツ報知をみよ"
即刻確かめると、なんと、その選手が留年して5年生として箱根駅伝にリベンジするという異例なニュースが目に飛び込んできた。
しばらく信じられない気持ちで文字の羅列を眺めていた。
こんなことあるんだ!?来年こそ、来年こそだと噛み締めながら少しほっとした気持ちで愛媛への帰路に着く。
帰りは人生初の新幹線を乗り継いで帰る。
旅に慣れてきたので、鎌倉に寄り道して帰ることにした。父と母と姉が昔大船に住んでいたらしく、小さい頃から少し話を聞いていた。
直感的に惹かれるものがあり、行ってみたら大正解だった。空気感がとんでもなく好きな街なのだ。あまり時間がなかったので商店街をひとり買い食いしながら闊歩した。小川糸さんの本にでてきたパン屋さんに寄ったが残念ながら閉まっていた(^^)
みんなへのお土産に、家族が大好きな鳩サブレーを買って、ようやく本当に帰路に着く。
岡山から四国に入り、順調に愛媛に向かって特急列車で近づいていた。
のはずなのに最後の最後、ワンマン列車への乗り換えで気づけば反対方向へ進んでいた。
旅はこれだから、予想もつかないことばかりだなと、でもそれが面白いと1人にやけてる。
そしてふと、旅に出る前の自分と比べて今の自分の成長に気がつき、また笑ってしまった。
無事地元に着いて、迎えにきてくれたお父さんの顔を見て現実に戻り、ここと東京が繋がってるんだなあと不思議な気持ちになる。
こんな、人生の記憶に今でも強く残る私のひとり旅。
旅では、直感が研ぎ澄まされ、
"自分に必要なことが全て起こっている"感覚が強くなる。だから、きっといつも大切なタイミングで飛び出したくなるんだろうな。
次回は、高校卒業後ゼネコンに進んだ私が、長時間労働漬けの中で感じている疑問と、最近わかってきたその問いの答え、これからのことについて触れていきます。
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