20歳女子、現場監督。仮囲いの中から声を大にして言いたい。
この"囲い"の中でしか、言語化できない感情や気持ち、今の心の状態がある。
絶対に美化したくないし、忘れたくないから、ここに記しておく。
私は高校卒業してすぐゼネコンに入った。
大手や施工管理に興味があった訳では無い。
直談判した本命の設計事務所を断られ、
求人票が来ていた範囲の中からしか選ぶことが出来ないと思い込んでいた。
もし、進路を選ぶタイミングが、
同い年の大学に行った子達と同じならば、
考える時間や思考を深める時間がたくさんあっただろうし、もっと自分自身の中で色んな可能性や進路を見いだせたと思う。
ただ、うちの家計的に社会に出ることが迫られていた。私は自分の人生とそれまでの経験値を照らし合わせて、見合った就職先を選べるほど視野が広くはなく、まだ子どもだった。
自分の将来を考えた時に、いずれ設計をするなら今のうちに現場を見ておこう。
それもできるだけ自分が成長できそうな環境で。その思いだけだった。
自分の携わりたい建築の方向性が、まだ、
真っ直ぐ見えていなかった。
2021年4月、研修のために上京した。
4ヶ月ほど座学で、現場に出て使うであろう知識を学ぶ。
また、その年の7月に二級建築士の試験を受ける資格があったので、与えられた時間とカリキュラムの中でひたすらに勉強した。
筆記試験はパスでき、製図試験に向けて資格学校に入り宿題との戦いが始まった。
(後日、無事製図試験もパスし、今は二級建築士の免許発行のために実務経験を積んでいるところ。)
この東京で暮らしている期間に、
たくさんの建築を巡る権利を手にした!
普段は同期と同じ寮で寝食を共にして暮らしていたのだが、休みになると1人で街に繰り出し、憧れだった建築家たちの建築を飽きることなく回ってこの目に収めた。
国立新美術館、明治神宮ミュージアム、東京都庁、早稲田大学村上春樹ギャラリー、紀尾井清堂、角川武蔵野ミュージアム、、、
歩けど歩けど聞いたことのある建築ばかり登場するから、私のGoogleマップ上の東京は、ハートマークだらけになった。
でもその中でも、ビビットくるもの来ないものが明らかにある。足を運ばないとその空間は把握できないなあと感じた瞬間だった。
8月、地元愛媛に帰り初めての現場に出た。
竣工間際なのに私のお世話係に任命されてしまった先輩は、現場に1人しかいない仕上げ担当で、半端でないほど忙しそうだった。
必死について行っていたが5日目にして軽い熱中症になった。
でもその頃、私にとって初めて見る現場の雰囲気はとても新鮮で、仮囲いの中にこんな世界があったんだ!と驚きの毎日だった。
職人さんたちは、思っていた何倍も愉快で優しい人が多く、本当によく気にかけてくれた。
研修中だったので特に担当業務もなかった。
内装や外構をフラフラと見て、
巾木を貼ったり、養生をしたり、外構で穴を掘ったり、掃除機を渡されて階段を上から下まで掃除をしてルンバと呼ばれたり、そんなにプレッシャーなく楽しく過ごさせてもらった。
3ヶ月後、施工図研修で大阪に行くために現場を離れる時は、寂しくてわんわん泣いた。
しかし1年間の研修期間が終わり、2022年3月から高知に本配属になった。そこからが本番だった。
配属されてすぐが、1番しんどかった。
地元を離れ、同期とも別れ、近くに心を許せる人はいない。仕事の人間関係もままなっていない。そんな時に地元にいた、長く付き合っている彼氏が入院してしまい、連絡が取れず、私も精神的に不安定だった。
朝早く起きて仕事に行き、
夜遅く帰って寝るだけ。
休みの日は平日の疲れで
なかなか動き出せない。
それでも
初めての躯体現場で覚えることは多く、仕上げ現場とは違う殺伐とした風景や、職人さんたちの強い方言や気質になかなか馴染めなかった。
専門用語だらけで会話についていけず、
あまりのストレスで、
毎日女子トイレで泣いていた。
何のために働いているの?
何のためにここにいるの?
でも自分で選んだ道。
仮囲いの外には逃げれない。
いつもそう思っていた。
基礎工事、D38もあるような基礎配筋の山をよじ登り、雨が降ると膝まで水に浸かりながら配筋検査をした。
躯体の時期は昼休みをぶっ通して打設する。
暗くなるまで現場で押さえを待ちながら、配筋検査をする。体力が限りなくゼロに近い状態からギアを入れ直し、お腹を空かせながら夜遅くまで残業する。
仕上げが始まると追い回しが始まる。
次の業種が入ってくる前に終わらせてもらうために必死だ。
言いたくないことも言わなければならない。
人と人じゃない、話し合って解決しようよ、
いつも親世代の職人さんたち相手にそう思っていた。でも上手く言えなかった。
誰もいない暗い現場で、泣きながら墨を出した。
この現場には、本当に
私の血汗涙が染み込んでいる。
成長を求めて自分の心を無視し続ける中で、
気づいた価値観がある。
"生きることは我慢することじゃない。
選べると知った。
自分のキャパを超えた努力は、
体と心を消費していく。
本当にやりたいことがあるならきっと、
キャパを忘れられるチャンス。"
もうこんな生活2度と繰り返さない。
毎日足場の上から世間の帰宅ラッシュと、
高知の山に沈む夕日を見ながら、
そう心に刻んでいた。
そう思えているうちはまだ健全だから、まだ、心に寄り添うチャンスはある、と。
目の前で進んでいく現場の工事にあまり興味が湧かなかった。私が求めていた"建築"の象とは
あまりにもかけ離れていたからだ。
私が設計に向けていた熱い想いや、自然に対する思慮、そんなものとは無縁の世界で、ただ毎日が怒涛のように過ぎていく。
それにしがみつくのに、
ただ生き抜くのに必死だった。
興味が湧かないことに対して、情熱を注ぐことは難しいことだ。私の目には、上司たちは情熱とはまた違うものに突き動かされているように映った。
そんな中でも、
心から信頼のおける職人さんたちに出会えて、
今、何とかやっていけている。
本当に私のことを思いやってくれて、
掛けてくれた言葉に響いた会話、
通じ合えた瞬間があった。
唯一そんな関係に
何度も、何度も、救われた。
この仕事で得た、いちばんのもの。
でも、やっぱり、
この会社の現場監督という立場も、
仕事内容もライフスタイルも価値観も、
違和感を感じてしまうことの方が多かった。
仕事だから、仕事のために、を枕詞にみんな色んなものを犠牲にしていた。
私は高いものを買って手に入る安い幸せや、
ちっぽけな自尊心、安定という沼に足を絡め取られているような安心感なんていらない。
いらないから……。
気づきはシンプルだった。
ここにいて、本当に幸せになれるのか?
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そう問うた時、答えはNOだった。
ここから、人生について更に深く考え出します。そのきっかけを作ってくれたのは、間違いなく今の会社に入った経験。
だから今は、
全てが無駄では無かったと言い切れる。
私の思考は少しクリアになって、先へと続いていきます。