幼児期の様子と今思う事
自閉症スペクトラムの小4男児を子育て中の母です。
さて、今日は幼児期(保育園時代)の息子の様子を書き出します。
年少から地域の保育園に入園しました。
私は当時仕事をしておらず、療育センターからの紹介で障害児枠という物で地域の保育園に入園希望を出しました。
(地域によるかもしれませんが、療育センターに行っていたら障害児枠で優先的に入れるらしい。多分、医師による診断書は必要だった記憶。)
当時の息子はお喋りは単語で、彼にとって必要な会話(パン、茶、ちゃんちゃん(母ちゃん)バナナなど)に、申し訳程度の2語文だった。
オムツはまだ外れてなかった。
慣らし保育中、他の子が泣きじゃくっている中、息子はへっちゃらで保育園を楽しんでおり、給食もモリモリ食べていました。
他児との関わりは無かったものの、人は好きなので
自分の思い向くまま遊びに参加したり(好きな遊びが重なった場面等)一緒に笑い合う姿は見られた。
順調に進む中、年少の途中で担任が退職することになり男性の先生に変わる事になった所から息子の発達障害っぽい特性が開花した。
・食のこだわり
・道順のこだわり
・パジャマ以外の服への拒否
・癇癪が酷くなった
不安から、いつもと一緒が落ち着くということに秩序を大変に重んじるようになったのだと今になって思うけど
その当時は、色んな場面で、服を着て登園するべき!!とか、癇癪してはいけない、迷惑かけてはいけない!!が強くて親子共にしんどい時期となった。
言葉が通じない相手と過ごす事がとにかく辛かった。
ただ、唯一通じる主人とも喋れていたかと言えば全然コミニュケーションは取れてなくて、その頃の私から発せられる言葉は怒りと悲しみばかりだった。
でも他人には全然私は大丈夫ですよーって顔をしていた。本当は辛いのに、泣きたいのに。。
私なりに、療育センターの親子教室に通ったり、いくつかの言語訓練・作業療法にも通った。
年長の頃には随分喋れるようにはなっていたけど、喋り方は独特。滑舌は悪かったです。
言語を習得した結果、癇癪も減ってきていました。
特定の友達と遊ぶ姿も見られ、苦手な事にも挑戦し、保育園の先生方のおかげで、運動会や発表会は皆と同じようにやれていました。
息子は息子なりにゆっくり成長していったのは感じてました。
あの頃の頑張りを今思い出して、決して無駄になってないと思ってます。
子供の発達を勉強してから、訓練の意図もよく分かるようになった。
だからこそ思う…子供は子供らしく遊ぶ事が大切なのだと🙄(結局そこ😂でもめちゃ大事!)
泥水で遊んだり、木登りをしたり、飛び降りたり、芝生の上を転げ回ったり、大好きな人とギューっとしたり…
そんな事が全部子供のその後の学習や、自分はここに居る、ここに居ていいんだ!って壮大な事にも繋がるんです。
全然寝ない息子を連れて朝も夕方も公園に行った私、よくやったと今なら思います。
いつからだって遅く無いと思います。
ゲームの世界も楽しいけれど、実世界にはゲームで味わえないドキドキやワクワク、どうしたら良いんだろうが溢れてます。
何の話が分からなくなったけど😂
とにかく公園に行こう!!笑