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持ち物リストに本をいれることのすゝめ

秋が近づいてきているのを感じるこの頃。

わたしは最近、本を持ち物リストのひとつにいれている。

今まではスキマ時間ができるとスマホに手が伸びてSNSを開いていた。

アプリや検索画面を開けば必ずと言っていいほど広告が表示され、自分に必要のないものまで無作為に情報が入ってきて勧めてくる。

けれど、そんな広告を目にしているうちに、持っていない自分は可哀想なやつで、自分にも必要なのではないか、という錯覚に陥る。

さらに、他人の生活もSNSを通して見えることで、羨望を感じる機会も増えた。

と同時に「わたしなんて…」と比較してしまうのだ。

ただ空いた時間を過ごすために何気なく開いたスマホが、自分に焦燥感を与えてくる。

周りを見渡せば、下を向いてスマホを操作している人ばかり。

指が液晶パネルの上でタップダンスを踊っている。

かつてはわたしもその1人だった。

スマホが悪いと言いたいわけではない。

ただ、なんだかスマホを触ることが休憩になっていないことに気づいたのだ。

だからわたしは本を持ち運び、空いた時間に読むようになった。

好きな本、読み進めている本、気になっている本、なんでもいい。

不思議なことにカバンの中に本が入っていると、安心する。

どうしても現実世界が窮屈になる時があって、そんな時いつでも本の世界に入れて、わたしひとりだけ別の場所に飛んでいける。

不必要に干渉してこず、「知りたい!」「気になる!」と思い、歩み寄った者だけを受け入れる。

本にはそんな寛容さがあるような気がする。



ストレス社会の現在、休憩時間(名称)は本当に休憩時間(本質)になっていますか?

少しでも思い当たる節がある方、カバンの中に本を入れてみてはどうでしょう。


お読みいただきありがとうございます。
みなさんが心も健やかに過ごせることを願います。

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