仏教❗日本仏教の歴史が分かる❗
今回は前回の続き❗❗
仏教について紹介していきたいと思います❗
前回ではインドでの仏教の誕生から布教、ブッタの入滅までをご紹介しました❗
(まだ見てない方はこちらからどうぞ↓)
今回はその仏教が中国を渡り、日本へ伝わりどう変化していって今現在に至るかまでをサクッと簡単に紹介していきたいと思います❗
それでは行きます❗
中国、朝鮮伝来
インド誕生した仏教はシルクロードを渡り、大国、中国へと伝わります。だいたい1世紀~3世紀頃です。(シルクロードとは「絹の道」といわれるヨーロッパーアジア間を結ぶ交易路のことです。)
中国では当時、道教や、儒教といった思想体系が広まっており、これが仏教とうまく混じり合います。
そして中国から当時日本と関係の深かった朝鮮へと伝わり、日本へと伝わります。
これが6世紀頃。
聖徳太子、小野妹子等が活躍する日本の飛鳥時代にあたります。
日本伝来
朝鮮から日本へ仏教が伝わってきたのですが、日本にも土着の信仰がありました。
これが以前紹介した神道です。
歴史のお決まり。新しいものが入ってくると必ず対立が起こります。
仏教推進派:蘇我氏 VS 仏教反対派:物部氏
の構図です。
この戦いは仏教推進派が勝利しました。
ただ、ここが日本らしいところなのですが、元々あった神道とうまく共存していく形で仏教は広まっていきます。
これを神仏習合といいます。
実際、神を崇める神道と、自身を高める仏教とでは全く異なる信仰で、この2つはうまく混じり合いやすかったのです。
ですが、伝来当初は新しく入った仏教を理解するのが難しく、対立が起こってしまったと言われています。
・インドではバラモン教と混じりあいヒンドゥー教が生まれる。
・中国では儒教や道教といった元々の思想体系と混ざり合い仏教がアップデートされる。
・日本では土着の神道と混ざりあい共存して生きていく。
仏教の柔軟さ。
仏教らしくなんだかとても美しいなと思います。
人間関係で例えるとかなりの世渡り上手な宗教です。
日本での仏教史
日本に伝来した飛鳥時代~奈良時代にかけて仏教は政治にも使われ、本格的に広まります。
これから大きく時代別に分けて、仏教を見ていきましょう❗
ここでは仏教の流れを理解する事に焦点を当てますので、難しい言葉や制度の名前は極力省略していきます❗
奈良時代 (710~794年)
仏教の発展と栄華の時代❗❗
33代推古天皇の時代。
聖徳太子が、仏教を元に様々な規律をつくり、様々な改革を行います。
これをきっかけに仏教は日本の社会や文化に大きく影響を与え発展していきます。
仏教の栄華の時代です。
平安時代 (794~1184年)
末法時代。民衆と距離をとる仏教。
平安時代に入ると、あまりに仏教と政治が近くなりすぎてきたため、
「これ以上仏教が権利を持ち出すとまずい。」
と考え、政治から遠ざけ、民衆からも少し離れていきます。
仏教では正法時代、像法時代、末法時代があるとされていて、平安時代は末法時代。
教えだけが残り、民衆から距離をとった時代
とされています
鎌倉時代 (1185~1333年)
6つの新仏教誕生❗民衆との距離を詰める。
この時代が日本仏教の歴史で一番大事といっても過言ではありません。
この時代、距離をとっていた仏教が一気に民衆との距離を詰めます。
その出来事が
6つの新仏教誕生です。
先の平安時代では仏教政治と離れ、仏教を信仰する為の修行も厳しく、生きていく事で精一杯の民衆からすればかなり敷居が高くなっていました。
ここで現れたのが
浄土宗、浄土新宗、時宗、禅宗、曹洞宗、日蓮宗という新たな6つの仏教の宗派です。
これらの宗派は従来仏教を信仰するのに必要だった厳しい修行をしなくても、
「念仏を唱えるだけ」
で死後、極楽浄土にいけます。
としたりと、民衆が信仰しやすい形を作りました。
これにより仏教は誰もが信仰しやすい宗教となり、加速度的に民衆に広まります。
1つ身近な例をあげると、この内時宗は、
踊り念仏といい、躍るだけで極楽浄土にいけるとしています。
これが今の盆踊りの起源となっています。
この6つの新仏教。現在の様々な宗教の元となっています。
「良くわからないけど多分うちは仏教だ」
という人は是非、自分の家の宗派を確認してみてください。
多くのひとはこの内のどれかになってると思います。
室町時代~戦国時代 (1333~1615年)
一向宗。仏教徒の武装化❗
この時代、各地で武力的争いが起き、自分の土地は自分達で守ろうと武装した者が現れ(武士)、貴族も武力を求めるようになります。
戦国時代の始まりです。
この流れは仏教の変化にも影響します。
この時代にできた大きな宗派があります。
蓮如率いる一向宗です。
この一向宗。各地での争いで生活が苦しくなった民衆や農民を中心に信者が増え、武装し始めます。
仏教は、様々な武将がしのぎを削りあった戦国時代でもかなり大きな勢力として、あの有名な織田信長も苦戦するほどの存在でした。
江戸時代 (1603~1868年)
葬式仏教。現代の形へ・・・
江戸時代に入ると、徳川幕府は今まで規制の緩かった宗教が厳しく統制されていきます。
全国各地の寺院を細かく統制し、幕府の管理下に置き、幕府は寺院を使い「寺請制」をつくります。
これは全国の寺院が全国民の戸籍を管理するという政策です。
旅行の際も寺院で発行される手形がないと関所を通れなかったり、
人が死んだときにも死体の検分は寺院がする。
このため、日本人全国民が何処かしらの寺に属し、葬式もその寺の関与なしではできないことになりました。
これが現代まで続く葬式仏教の始まりです。
ちなみに人が死んだとき、与えられる戒名。
あれはその人を仏教徒として入信させてから仏教式の葬儀を行う為のものみたいです。
明治時代 (1868~1912年)
廃仏毀釈。国家神道へ、、、
江戸時代の徳川300年といわれる鎖国国家としての平和が続いた後、1853年、ペリー率いる黒船がやってきます。
その後、日本では明治維新が起こり、幕府が倒され、天皇を中心とした国家が形成されていきます。
そこで使われたのが以前紹介した『神道』です。
この神道を教育に使い、『天皇は神の末裔だ!』とし、天皇を中心とした国家を作り上げます。
いわゆる国家神道です。
これにより、仏教は次第に小さくなっていき、仏教の寺院や仏像が次々に壊されていきます。
これを廃仏毀釈といいます。
この時数々の文化的遺産が破壊されたと思うと非常にもったいないです。
国家神道は終戦後、アメリカにより廃止されるまで続きます。
その後政治と宗教が一緒になることは禁止され(政教分離)今に至ります。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回の日本の仏教の歴史を知ることで、なぜ日本人は宗教に関して消極的なのか?
ということが少し掴めたのではないでしょうか。
おそらく国家神道というものが戦争に利用された歴史がある為、
宗教や何かしらの思想を持つことは危険。
という考えが知らない内に頭のどこかにあるからではないかと私は考えます。
そういった疑問も学ぶとこにより自分なりに解決していくので、
やはり、なんでも学び続けることは大切で、楽しいことだなとつくづく感じます。
仏教には様々な教えや考えがあるのですが、学んでいる中で一番印象に残っている考えがあります。
『唯名論』と『実念論』という対照的な考え方です。
この違いを超簡単にいうと
物事や存在は
『名前、表面』が重要なのか
『中身、本質』が重要なのか
みたいな感じです。笑
正直言葉にするのはまだ自分でも難しいのですが、この2つの考え方がかなり面白いです。
モテる人は『顔』か、『中身』かとか
本は『表紙』か、『中身』かとか
なんだか言葉にしていくと脱線していきそうですが、ほんとに身近なところにたくさんこの2つの対照的な考え方が当てはまります。
私自身、友人と議論がはじまるとなかなか収集がつかなかった経験が多々あります。
そんな時今思うと、結局この2つの考えがぶつかり合うところまで議論が進んでいたなと今、振り返ると思います。
どちらが正しいとかではなく、
この2つの考えが大昔からあり、議論され続け未だに正解がない。
ということを知った上で
困った時、両方の視点から物事を見れるようになればきっともっと楽しい人生が遅れるようになるのではないかと私は思います。
日常の中でも、このような視点を大切にしながら日々過ごしていこうと思います。
読んでいただきありがとうございます🙇♂️🙇♂️
このnoteを通して皆さんと一緒に自身の教養も高めていきたいと考えているので、なにか間違った知識等ありましたら遠慮なくコメント欄までお願いします🙇♂️
このnoteはある目標に向かって日々、勉強したことについて更新しています。こちら↓にまとめてますので良かったらご覧くださいm(__)m
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