「高齢者」の定義は自己申告制で良い?

光希重名士の姓名判断的ココロ(28)

ホリエモンこと堀江貴文氏が最新刊で「高齢者の定義を10歳上げる」ことを提案しているらしいです。私自身は読んでなくて、スマニューで本日(8/19)知ったのですが。氏曰く『高齢者の定義を10歳上げれば年金問題と医療費・介護問題が劇的に改善する』と、その効果を挙げているようです。

その意見に、記事を読んだ当初は賛成だったのですが、暫くしてからふと思いました。確かに様々な制度上、年齢の線引きは必要なのでしょうが、それって他人に決めて貰う必要があるんでしょうか。何かで読んだのですが、《男は40を過ぎたら自分の顔に責任を持て》という言葉があったような…

つまり美男子に生まれようが醜男に生まれようが、40歳を超えるような年齢になれば、それまで生きてきた人生が顔に出る…的な? 話があまりにアバウトすぎて申し訳ないのですが、つまりは、ある程度人生を生きてきた人は、少なくとも見かけ上は十人十色、百人百色ってことでしょ。ことほど左様に人それぞれなんだから、外部からの年齢の線引きは、あまり意味が無いんじゃないかってことなんです。

ホリエモン氏の提案は、その意味で中途半端です。同じ年齢でも若々しい人もいれば、よぼよぼで今にも倒れそうな人もいます。『えっ! この2人が同級生!?』っていう驚き、誰しも1度や2度感じたことありますよね?

だから線引きは本人がすれば良いんじゃないでしょうか? 『社会に積極的に関わるだけの気力・体力が、もうないな』と自分で感じれば、その時行政機関に自己申告すれば良いじゃないですか。そこから《高齢者》として世の中に面倒を見て貰えば良いのです。職業でもボランティアでも趣味でも、積極的に社会との接点を持っている、つまり《現役》の人は高齢者じゃありません。こうすればほら、社会保障費類の大幅な節約になると思いませんか?

堀江貴文     ホリエモン

【天命】34画    【天命】14画

本名・ニックネーム共同じ4系列数で、消費や経済活動に縁が深く、我が儘で気紛れな性格でもあります。とにかく動き回り、留まることを否定する生き方の代表選手と言っても良い。いやぁブレないですね。実に天晴れです。





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