航空機エンジニアでMBAホルダーが芸大でクリエイディビティを体得した話
市場の成熟化や起業のハードルが下がったことにより、今日では、ほとんど思いつく限りの様々な製品やサービスが提供されるようになりました。ちょっとやそっとでは新しいモノ・サービスが生み出せなくなったので、ビジネス分野でもデザインやクリエイディビティが注目されるようになってきたようです。
そういったトレンドを見越していた訳ではありませんが、数年前、僕は京都造形芸術大学(現在は京都芸術大学に改称)の通信学部で建築を学びました。
航空機エンジニアが本職でMBAホルダーという、どちらかというとアートやデザインとは遠いジャンルで働く僕が、芸大で掴んだ「どうしたら創造性(クリエイティビティ)を発揮できるのか」という手ごたえについて、ご紹介したいと思います。
「創造性」という言葉に騙されるな
本題に入る前に、「創造性」について、ちょっと考えておきたいと思います。「創造性」という能力を身に着ければ、どんどん新しいアイデアが生み出されると思っていませんか? そう考えていると、だいたい上手くいきません。
「創造性を身に付けなければならない」
「どうやったら創造性を身につけられるのか?」
「そもそも創造性とは何?」
「新しいコト・モノを生み出す能力?」
「新しければそれでいいのか?」
という哲学的論考の深みにハマってしまいます。
実は「創造性の発揮」なんて、大半の人にはどうでも良くて、「創造的な成果」が得られれば、それでいいのではないでしょうか。ただ、一発屋ではなくて、できれば繰り返しそんな成果が得たい。そういった能力が得られればなぁ、というところが本音だと思います。
スタディの量×審美眼→創造的な成果の発見
じゃあ、創造性云々を議論せずに、創造的な成果を得られる手法なりプロセスなりがあるのか?というと、あります。これが僕が芸大で掴んだ手ごたえです。「デザイン・シンキング」とか「クリエイティブ・シンキング」なども、このあたりを狙っているものです。
僕の場合、たくさんスタディをする→そのなかで創造的な成果につながりそうなタネを見つけ出す→そのタネを元にさらにスタディをする、この繰り返しが創造的な成果を得るためのプロセスです。スタディとは建築用語で、様々なアイデアを発案、吟味、検証、発展させるプロセスのことです。
但し、どんなにスタディを積み重ねても、良し悪しを判断できなければ成果につながりません。そのために必要なのが審美眼です。
スタディを進めていくと、ほとんどは陳腐なものですが、様々なアイデアがでてきます。そのなかで、偶然光るものを見つけることもありますし、様々なアイデアを出しているうちに、求める成果がありそうな領域が、ぼんやりと見えてくることもあります。そうなったらしめたもので、そこに向かって、それまでに出したアイデアを使って登攀を試み始めます。
「アイデアXでは、Aという視点では求める成果に近いが、Bという視点では遠い。BについてはアイデアYのほうがいい。じゃあXとYを同時に成立させることはできないか…」
といった具合です。
跳躍の感覚
スタディによって創造的な成果が生み出すことができれば、僕の場合ですが、「跳べたな」という感覚がありました。自分の発想の範囲の壁を超えた向こう側にのジャンプ、量子的跳躍というイメージがぴったりの感覚です。
最後に、初めて「跳べた」感覚を得たときの作品を(お恥ずかしながら)紹介します。
課題のテーマは、繁華街の中の教会でした。宗派の指定はなかったので、カトリックにしました。ゴシック建築が持っていた、誘因装置としての機能を、現代の繁華街で機能させるにはどうしたらよいかと考えました。
当時まだ小さかった子供のために買っていたストローを束ねると、ガラスでできた鍾乳石のように見えるという偶然の発見からアイデアを発展させ、ガラス円柱を束ねた屋根にすることにしました。外壁はファインコンクリート。繁華街が賑わう夜になると、協会内の光が屋根から漏れて、周囲を照らします。
模型製作中…
教会内から天井を見上げたときのイメージ
補遺:審美眼について
あれ、審美眼についての説明がないけど?と思われた方がいるかもしれないので補足していおきます。審美眼は知識と経験で養うことができます。アートなら芸術史を勉強して、美術館に行ってください。ビジネスならMBAとって(笑)、実戦経験を積んでください。
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