まともに生きれない事
今日でのまともに生きるというのことは、将来を豊かにしていくノウハウ、人生のノウハウを身につけること。それを「まともに生きる」ということであると考えるのが普通だと思う。
そういう面では私はまったくもってまともな人生ではない。
高卒であり、若い時から良い教育を受けるという意識など全くなく、学ぶことの意味すら持たず、自分らしく生きるなんて何のことやらさっぱりわからず、お金を稼ぐということがなんでそんなに大切なのかさえもわからなかった。
その生きる事への動機の弱さは僕の人生では勉強への優先順位を低くさせ、それよりももっと切実な「自分を守る」ということで精いっぱいとなっていた。
幼稚園に行けば、腸の弱い僕は、しょっちゅうおそそをして、おそそをすることにおびえて暮らすあまり、寝る前に2.3分眠りにつけない時間があれば不安でトイレに行かずにいられなかったので眠りにつくまで3,4回トイレにいくという毎日となっていた。トイレに行って眠りにつく時間が空くことと寝ションベンをすることに関連性はないのに。
小学校に行けば、担任の先生が何かと私を目の敵にするので、その担任から逃げるように学校に通っていた、人生の大半はそのようにおびえて暮らしていたように思うしそれは、私の住む地域の乱暴さは、全く私を集中するということから引き離してしまう、幼少の環境はそういう要因ばかりがそろっていた。
何をしていても、邪魔の入るような環境の中で結局自分は外側のことに恐る恐る対応していたので、怖れをもとに行動する性分は大人になってからも、いや、もう本当につい最近まで身体にびっしりと染みついていた。
今でもそのパターンに戸惑う時がある。
私が自分の人生を語ると「良くまともに大人になれたね!」と言われるが、確かに私だけ鑑別所に入らずに仲間は全員鑑別所に入って帰ってこないなどという経験もあったし、その友達の親から妬まれた。犯罪の一線を越えず、ここまで来れたことが奇跡のように思える瞬間が多数記憶にあることは確か。
数々のきわどい人生を潜り抜けてきたのであると大人になってから自覚した。
それは一線を越えない鼻が利いたのではあるが、これは、常に怖れを感じながら生きていた自分の防衛本能的なもののおかげでもあった。
この防衛本能を幼いころに養ったのは、私が幼少の時から、破天荒な所があった事も事実で、そのおかげで母親のお仕置きが厳しかったということもある。
この母親の厳しさは、私を幻覚症状にまで追いやり、母親が自分に近づいてくると「来ないで~!」と叫ぶほどであったし、母親が親とは思えていない感覚すら持っていた。夢遊病や意味不明の突然の嘔吐という形で、幼少の頃に苦しんでいた自分というのを今でも鮮明に覚えている。
この母親の厳しさはその後大人になってPTSD的症状となって私に影響していくことになる。
怖れを持つことで、現実的には一線を越えることをしないで済む「鼻を利かす」という能力を培ったおかげで、大きな脱線はしなかったわけだが、同時に精神的にはトラウマを抱え、まともに生きるということが自分の中ではどういう事かは全く分からず、まともに生きているように見える他人の事をうらやましいと心底思ってきた。
僕にはまともに生きる事へのコンプレックスが強かったわけだけど、それは、まともに生きるということがどういうことかわからなくなるという原因として、PTSDの症状が付きまとったからである。
PTSD的症状とはいわゆる、パニック、そして回避の衝動のこと
このパニックと回避は私の人生をとてもややこしくしかつ緊張をもたらし、自分の思い通りには物事が運ばないようにさせていることになるものなのだが、そうなっていることにすら気づかなくさせてしまうものであった。
トラウマは、激しく自分に作用していると、トラウマを受けた事象のような出来事が起こりそうになると、怒りそうな予感を察知して、起こる前にその状況をもたらさないように行動することが出来てしまう。これが鼻が利くということだ。
私は、無自覚的にトラウマ体験の記憶と結びつく事象が起きないように、回避の行動を無意識に起こせてしまうのだ。その為になら嘘でもなんでもつくし、そこに理屈はない。とにかく目的は回避するのみ。最終的には泣こうが叫ぼうが恥をかこうが人を驚かそうが関係ない、とにかく回避する為に自分をパニックにさえもち込んでいたし、過呼吸症候群になるまで追い込む。
これは私の自覚としては、繊細な人間だとしか思っていなかったが、実はトラウマによる回避行動として、自分をそのように行動させていたのだ。
これはどういうことを言うかというと、自分は無意識に自分をコントロールして、回避行動をするので、この回避行動の間は自分が全く不在で、もう一人の自分が自分を見つめているような状態でもある。ほぼ精神分裂の状態だ。空から自分を見ているが、声を発することや悶絶することは身体で行っているという自分が二人いるような状態だ。
これは思春期の中学生時代には始まっていた。
その後もずっとその症状は続き、結局40歳ぐらいで双極性障害、躁鬱症状として何もする気が無くなってしまい、身体も針で緩めないと動けなくなってしまった。身も心も固まってしまうので、行動、身体の感覚、心の感じるものすべてがちぐはぐとなっていた。
僕は星回り的にも、長い闘病の末に、精神性のプロフェッショナルになる配置を持っているが、正にそういう人生であった事になる。
このことを自覚するまでは、人生をまともに送ることが難しいと思っていたし、自分の人生がまともにならないのがどうしてなのかは全く解らないといった焦燥感ばかりだった。
なぜ自分がまともに生活できないのかが全く分からないので、私は虚無感、何やっても上手くいく気がしない観念を持ち続け、それゆえに無理ばかりをすることとなりなお一層人生にやる気はまったく待てないという状態が続く。
何しろやってもやっても結果が最悪にしかならないのだから。
それを救ったのは、自分を理解するという作業でした。
スピリチュアリティー、占星術、手相学、観相学、数秘術、宗教、もちろん自己啓発書やビジネス書などもそうでしたが、沢山の自分を学ぶための方法があります。そしてそれは、人生に光をもたらすだけでなく、与えられたものであることにすら納得できるのだろうと思います。
納得って楽しさがセットなので、与えられることが楽しく感じられるようになると、納得になる。
まともに生きることが実感として持てていない時は、まともに生きれているようなことを言っている本や他人の言っていることに、実際はただのノウハウであり、自分の為になる情報でないものと、自分にとって役に立つものとが見分けがつくようになります。本当に一から見出した根拠ある情報とそうでないものとの差はわかってしまいます。
情報の矛盾は簡単に掴めるので、ほとんどの情報が役に立たないと思っていた時期もあります。今ではどのような情報にも、面白い側面があることがわかるまでにもなりました。
自分には幻覚の経験もあることから、宇宙からのメッセージと幻覚との違いははっきりと区別つきますし、幻覚や妄想といった思い込みと、宇宙からのメッセージとの区別がつくことにも繋がっています。子供の時から宇宙や宇宙人からのメッセージと、自分を無自覚的に二つに分裂させて扱うというのはどういうことかもわかるわけです。
今仕事でリーディングをしていると、大なり小なりの違いはありますが、私が経験してきた人生の混乱と同じことで混乱している人も多くいますし、もっと言ったら大なり小なりこれらの症状は誰もが経験しているものでもあるということもわかってきました。
これまで病気と扱われてきていたものが、僕はそうではないと考えることもできるし、病気と捉えることもできます。病気とするか、病気としないかの判断は、自分でするしかないということがわかるのです。
それは必ず原因と因果関係があるものであるということです。持って生まれてきたものであったとしても、それは必ず寄り添う事ができるものであるということでもあります。
バランスよく寄り添うことで、徐々に自分自身を認識することができるようになるし、自分自身を認識すれば必ずバランスへ向けて成長するものでもある。
この大なり小なりを見極めることは決して簡単なことではないが、今現代はバランスを崩すことが多い世の中にあって、占星術やその他の精神性の探求は、より役立つものであることは確か。
何かが待っている人生なので、可能性の芽を摘むことに意識を育てることに使うと良い。