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『古事記』から見る「日本」と「海」

この記事では日本列島とそこを取り巻く海について、人々と海の関わりに着目して日本最古の文献である『古事記』を中心に考えていきます。この記事を執筆しているのは東日本大震災からちょうど10年目にあたる2021年3月11日です。あの日、たったわずかな時間のうちに地震と津波で多くの人命が失われました。海の彼方から真っ黒い津波が家々を粉砕しながら押し寄せるニュース映像はわたしたちの記憶に強く焼き付いています。恐ろしい海、しかしそれは美しい豊穣の海でもあります。あまたの人々が飲み込まれていった東北の海を遥かに望むと背筋が凍り、立ちすくむ気持ちも起こります。それでも陽光を反射しながら長閑に輝く海はやはり美しいと感じます。海の幸もわたしたちの生活には欠かすことはできません。奪うと同時に、もたらす存在である海について、古代の日本人はどのように考え、どのように生活していたのでしょうか。

1,海と日本人

日本は四方を海で囲まれた海洋の国です。日本人にとって海は生活の場であり、時には我々の生活を脅かすように牙を剥く海の、その計り知れない恵みに抱かれながら、我々の祖先は漁労・採取の生活を太古の昔から送っていたのでした。
海はまた交易の場でもありました。古代人は文化先進地域の大陸や朝鮮半島から文物・人・知識を輸入し、その交易の場はひとたび国際的緊張下に置かれるや否や、戦場と化すのでした。
このように考えていくと、我々と海の関係は古代も今も、そう大きくは変わらないのかもしれません。

2,海の彼方の常世(とこよ)


いまわたしたちは丸い地球儀を手にすることが出来ます。わたしたちは、海が球体を成す地球の面を構成しているに過ぎないことを知っています。そして海の彼方には何の変哲もない海が茫漠と広がっていることを知っています。
しかし、前近代においては、海は生活の場であると同時に非日常的な他界でもありつづけました。身近に存在する海の、果てしなく平面上に広がる水平方向のコスモロジーにその四方を囲まれて、我々の祖先は生活していたのです。
遠い昔、わたしたちの祖先は海の彼方に常世(とこよ)の存在を信じていました。常世は自然の摂理すら及ばない超常的なカミの世界=異界です。古代の日本人は、そうした海の彼方に神々の楽土を思い描いていたのです。
古代の海は神話に彩られていたのです。その神話を知る手がかりは712年に成立した日本最古の古典である『古事記』をひもとくことで得られます。ここでは神話と歴史叙述における人・カミ・海のかかわりについて考察したいと思います。

3, 『古事記』における「海」


まず『古事記』における「海」の位置づけについて確認しましょう。「『古事記』と『日本書紀』」の記事で述べたとおり、『古事記』では、天地はまず「あったもの」として紹介されます。そしてその地上世界について、「国稚く浮ける脂の如くして、くらげなすただよへる時に、葦牙の如く萌え騰れる物に因りて成りし神の名は……」と、すでに海洋性を連想させる表現をともなって神々の生成を語るのです。
もっとも、この時点における国という存在は、まだ堅固なものではありませんでした。それは次に引く記述に明らかです。

【資料1】
是に、天つ神諸の命以て、伊耶那岐命・伊邪那美命の二柱の神に詔はく、「是のただよへる国を修理ひ固め成せ」とのりたまひ、天の沼矛を賜ひて、言依し賜ひき。故、二柱の神、天の浮橋に立たして、其の沼矛を指し下して画きしかば、塩こをろこをろに画き鳴して、引き上げし時に、其の矛の末より垂り落ちし塩は、累り積りて島と成りき。是、於能碁呂島ぞ。
(『古事記』上巻)

先に引いた「くらげなすただよへる」という表現はここでも機能しています。『古事記』が描く元始のイメージは、国土のもととなる「もの」が漂っているとして認識されています。
その光景はまさしく原初の海です。塩という表現はまさにそれが海であることを示しています。そしてその原初の海は、神々を生成するエネルギーもつ神聖さを帯びて描かれています。
現在でもお清めの塩があるように、塩は海の聖性そのものであり、神話においてイザナキ・イザナミの二神の霊力を受けた塩が積み重なって国土が生成されるのはまさに海の聖性によるものです。
この原初の海は二神による島の生成の舞台です。そこで産み出される日本列島の島々はそれぞれが神格を有しています。この島産みの場面において最初に誕生したのが「水蛭子(ひるこ)」でした。そしてその水蛭子は「葦船に入れて流し去」られます。
流し去るという事は物語から単に除去されることを意味するのではありません。水蛭子は以後物語に作用しなくなるのですが、異界に赴いた最初の神であるともいえます。水蛭子が「去っていく」先に原初の海が設定され、流し去られるその果てに「異界」が発生するのです。このようにして神々の生成と国生みが語られる『古事記』の物語の場に奥行きが生まれ、平面世界のコスモロジーが描き出されるのです。

4,海洋の神話


『古事記』においては、この原初の海の発生は説かれることはありません。ただ最初から存在した天地のうちに含まれています。海に囲まれた日本列島に住む者たちにとって、海は自明なものとして存在し、認識されていたのです。海の神はもっと後の神話で産み出されます。
なぜ、『古事記』神話の世界観はそのようにしてまで海を位置付けなければならなかったのでしょうか。
それは我々が自明のものとして認識している海を、神話の世界観の中であらためて聖性を付与しなければならなかったからです。ここに神話が誕生するヒントが隠されています。
聖なるものが、なぜ聖なるものであるのか、と問うヒトの営みが神話を生むのです。

【参考文献】
・神野志隆光、山口佳紀、新編日本古典文学全集『古事記』小学館一九九七年六月二〇日

執筆者プロフィール:

筆名は枯野屋(からのや)。某大学大学院文学研究科博士課程後期に在籍中。日本思想史を専攻。noteにてオンライン読書会の国文・日本思想史系研究会「枯野屋塾」を主催しています。( https://note.com/philology_japan )。

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