真我 ・ 悟り ・ マインドフルネス
こんにちは、「S I N G A 歌う瞑想」 Founderのshintaです。
先日、HPにてオープンした「S I N G A - 歌う瞑想」のローンチに伴い、これまでの体験・探究について文章にまとめたく書き始める。
SINGAとは
真我 ・ 悟り ・ マインドフルネス
これまで、ほとんど、このテーマについて、パブリックな場では語ってこなかった。
それは、私自身が、その体験について語る言葉を持たなかったということもあるが、それらの体験は全て自分が作ってきた音楽の中に、歌の中に、物語の中に結晶化させて表現してきたという感覚があったから、わざわざ自分が語ることもなかろうと、思っていたのが、正直なところだ。
悟り、マインドフルネス、右脳意識、PNSE、さまざまな言い方があり、言葉ではいくらでも言えるこの人間のありようは、平坦な言葉にすれば、常に深い安心感と共に穏やかさの中で、幸せ感を抱いて、今ここに率直に生きているという状態だ。
個我、あるいは切り離された"孤独な私"というものが仮想現実であることに気がつき、生命全体との繋がりを抱いて、細やかで広大な真我(私たち意識)を"意識的"に生きている状態とも言える。
いくらでも、このような言い換えはできるので、この辺にしておく。
(悟りが何かということを言葉で、知識で把握しようとする試みそのものが、思考で捉えようとする癖であり、それは却よう。体験する以外に方法はない。しかし、体験を経て私たちは"そのこと"について語らずにはいられない。)
いずれにせよ、こうした意識の状態が存在し、人間は本来、自然状態においては、そんな風にして生きている方が本性なのではないか、というの私の結論である。
とはいえ、私自身、いつもそんな風に満ち満ちて、生きていたのかというと、全くそうではない。物質的に豊かであって、食べるご飯があり、住む家があり、着る服があっても、正体不明な不安感や欠乏感が湧いてくるストレスフルな状態にあることも多々経験してきたし、結果として体調を崩したり、精神的に塞ぎ込んだような時もあった。
人生のどこかの段階で社会や人から、自分に取り込んだ習慣や思考の癖という思い込みや古い信念体系がさまざまに絡み合い、自分自身に負荷(ストレス反応)をかけていると、自らを内観する中で、知っていくこととなった。
そして、8年前から、自らの声により深く従っていくことに決めてから、詩を書き自分の声で歌い始めたことを軸に、少しずつ自分自身を取り戻していくような時間をとり続けた。
創作のプロセスにおいて、自分自身が一新されるような体験を通して、その新しい自己の在り様、は、同時にとても懐かしくより居心地の良いものへと変化していくことも体験していった。
そうした自己探究の中で、徐々に、身体技法としても、あるいは創作のスタイルとしても、梵我一如、つまり私という個体が、とんでもない宇宙の神秘であることを体感する機会が、ほとんど日常的になった。
音楽が生まれる時、それは、至福のひとときである。
世界に自分が溶け出して、時間の感覚がなくなり、愛がこの世界を現出させていることをそのままに感じることができ、その世界を体験する。
おそらくこうした体験は、一瞥体験と呼ばれるような意識状態だろう。
が、また日常に帰って行った時、モヤがかかるようにして、私を曇らせる何かが登場することのまた確かであった。
それをどのように解消して行ったらいいのか、というより、解消できる対象であるという考えすら、その時は思いもよらなかった。
そんなときに、出会ったのが、ネドじゅんさんの発想であり、”自動思考"というコンセプトだった。
自動思考が何かということは、ネドじゅんさんに任せるとして、頭の中のおしゃべりに気がつくことで、自らの思考によって生産しているストレス物質が身体に巡らないということを体感する中で、「ああ〜これの仕業だったのか」と、腑に落ち、日々、この自動思考に気がつき続けて、心身ともにとても楽になった。
元々、直感・インスピレーションに従うということを大事にしてきたが、この思考のおしゃべりが静かになればなるほど、インスピレーションを受け取ってからの行動が早くなったり、不安や恐れ出にくくなることがわかってきた。
そして、今、人生をかけて取り組んできた、音楽を作るということと、この体験が重なる地点において、この世界に対してなにかできることはないかな?と私は思い始めていた。
それは"私"という意識から、"私たち"という意識へと私自身がどんどん開いていっていることでもあった。
これまでは、歌や曲を作るということを通して、"私たち"の声を、この世界に響かせることで、聴いた人の内部にある"私たち意識"と共振して、音楽に触れた人たちが"私たち意識"=真我を生きることにつながっていったらと想像していた。
全てが今ここにあり、どこにも探しにいく必要がないことを、音楽を通じて感じ、体験してくれたらと思っていた。
そして、それはこれからも変わらず、取り組んでいくことだと思う。(なぜなら音楽を作ることは純粋にただ喜びであるから)
そして同時に、私自身が体験してきた、意識の変容という角度からの、アプローチをSINGA - 歌う瞑想 - を通じて行なっていく。
意識の変容というと、スピリチュアルや宗教的な"色"がつきやすいが、ここをできる限りフラットに、S I N G Aは、テクノロジーの一種であるという立場から、私たちはこの世界に提案していきたい。
この2000年をかけて、悟りという言葉に、数多の垢がつき、未だ悟るための修行や苦役などのイメージがつきまとう。特別な人が、特殊な訓練を経て、初めて到達できるようなものとして、祭り上げられてしまってきた。
これこそが、迷妄であり、私たちは一人ひとりの中に自然の生命体としてのとんでもないメカニズムをあらかじめ具えて、生まれてきている。
この命の智慧が、自ずと作動し、発露することが悟りに過ぎず、それは全ての人に開かれているものである。みな心臓を打ち鳴らして、生きている。
それを行なっているのは一体なんの力によるものだろう?
今一度、深く、「私は誰なのか?」とあなたの胸に、腹に、問いかけてほしい。
そして思考の蓋を解いて、今ここに身体中を駆け巡る生命の感覚に、心を開いてほしい。
あなたの内から湧いてくる声にならない声があるはずだ。
それが、私たちが真我と呼ぶものだ。
真我・悟り・マインドフル、言い方はどうであれ、体感したとき、あなたは、もう一瞬前のあなたに戻ることはできないだろう。それは量子的なエネルギーの転換点を、意味するからだ。
体験されたとき、あなたの内側で、エネルギーの相転移が起きている。
それが、事実上、日常におけるあなたの性格、判断、感じ方を変化させたように見える。が、実際には、何も変わっておらず、あなたがより本来のあなたへとチューンナップされていったに過ぎない。
そこには、安堵感があり、自分である、そのままをそのままにする肝が据わっている状態が現れる。
そのようにして、人は、真我に出会い続けていく。
転々としたが、SINGA 歌う瞑想を通じて、出来うる限り多くの方が、自分自身に深く鎮座することを望む。
SINGA Founder Shinta
2024.8.21