選ばれるデザイン
小論「選ばれるデザイン」
十代の頃から今でもずっと付き合いのある友人がいる。昔はよく一緒にカラオケやラーメン屋などへよく行って遊んだがまたにアダルトショップを覗きに行ったりもしていた。初めてそういった店に連れて行かれた時は、おびただしい数のアダルトビデオがビッシリと敷き詰められた光景に心底唖然としたものだ。そういった店の商品の中で私が当時からずっと気になっているアダルトグッズがある。それはTENGAというメーカーが製造しているマスターベーションのグッズである。本誌の創刊号のエッセイにて書いたが、そのグッズを使って小ネタ的なショーをした事もあるのだ。そんな思い入れ(?)のあるTENGAについて少し私の思うことを書き留める。
TENGAの何よりも革新的な要素はデザインである。従来のマスターベーションの為のアダルトグッズというものは、購入者からして異性の性器の形を成したものが主流だった(女性用グッズを使う男性も世に居る訳だし、性交時にそういうグッズを使用する人も居るのでこの文章でそう表現するのもおかしいが)。しかしTENGAの打ち出したデザインは、男性用と女性用のどちらも明らかに性器の形を成していない。それどころかまるで見た目がファッションのようなデザインであり、従来の他メーカーがやってきたパッケージにAV女優の写真やイラストを施すようなものではない。これがどういう事なのかというと、つまりはマスターベーションというものを異性(もしくは同性)と性交できないから仕方なくする行為という概念から(デザインによって)解き放っている事なのだと私は思う。性交出来ないから仕方なく、という枠組みにおさまらないので、イマジネーションの方向性すら無限に解放している訳である(本来マスターベーションとはそういうものであるはず)。つまりマスターベーションをしている時に必ずしも性交を想像しない場合というのも成り立つ訳である。そうなってくるともう性的指向だの性癖だのという枠組みすら存在しない粋だと思うが、それこそ正に人間の無限のイマジネーションそのものである。このTENGAの出現によって近年では他のアダルトグッズメーカーのデザインも段々とそれに感化してきている。何の魅力もない人間同士がつまらないセックスを淡々と繰り広げる世のアダルトビデオよりも、こういったデザインビジネスの展開が断然良いものだと思うが。
話が少し逸れるが、AppleのiPhoneや、無料サービスでありながらシンプルで美しく広告のでないブログのtumblrの人気などを見ると、やはり結局はシンプルで美しいものが人に選ばれるのだろうか、という結論のようなものが私の中に浮かんでいる。何を解放させる為に何を削ぎ落とすのか。どう美しく見せるのか。デザインの重要さは奥が深い。
(2016年8月「小文芸誌 霓 ⅶ」にて発表)