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【雑日記8】Thank you for providing

【雑日記について】
日々過ごしながら感じた雑感を、そのまま投稿してみようかなと思い立ったので、やってみることにしました。表紙のイラストは「雑太郎」です。毎回変わる雑太郎をお楽しみください。

いつだったか。スーパーでお買い物中、玉ねぎが1個98円みたいな表示をみて、思わず目を擦ってしまった。うーん、高すぎない。。?

と思ってたら、他の周りの人たちも「高い高い」と言いながらカゴに入れている。みんな不満そうな顔だった。

それを見た時に、ふと。

「僕は100円を誰かにもらったとして、玉ねぎを提供することできるのか?」

と思った。
…どうやっても無理そうだ。

僕は200円もらっても1000円もらっても玉ねぎ1個提供することができないんだなぁ。

当たり前なんだけど。自分には大事なことのように感じた。

当たり前すぎて、考えないところかもしれないけど、目が覚めたような気持ちだった。

今までは

お金 = 提供

って思ってたんだけど。よく考えたらというか気づいてみたら、世の中

お金 < 提供

だなぁって。

(伝わらないかもしれないけど。。!)


玉ねぎ1個100円って確かに今までに比べたら高いのだけど、でも100円で玉ねぎ提供してくれるってありがたいなって。

お金を払って「ありがとうございました」って言われたらこちらも「ありがとうございます」って言いたくなる。提供してくれる方がありがたいです。

1杯500円のコーヒーも、座る場所とコーヒーを提供してくれてると考えるとありがたい。吉本ライブのチケット、1時間で9組の出演者のネタが見られて2700円なんて信じられない。パスタにサラダとコーヒーが付いて1200円のランチだって、自分では提供できない。

僕もこれから、自分の商品を作って誰かに喜んでもらいたいなってことを考えたり仲間と相談したりしてたもんだから、つい感情が入ってしまったのかもしれない。

でも、高い高いと言って買い物してたら、気付けなかったかも。

最近は「物事は全部、相対的に決まってる」って概念にハマっている。ものの値段というのはその典型だと思う。

スーパーでは高くなってるけど、近所の農家さんの直売所ではとれたての新鮮で美味しい野菜を安く売ってくれてたりする。

生まれた時から玉ねぎが1個100円だったら、高いと思う人はいないはず。

価値ってなんだろ。

お金のことは調べれば調べるほど「紙」なんだなって思えてくる。1万円札1枚作る原価は22円なのに、1万円分の買い物ができる紙って一体どういうことなの。

あと新札が発行されて、自分の手元にもきた。ATMでも出てくる。作ってすぐこんなに流通できるなら、徴税しなくてもいいのでは?なんて思ってみたり。

あまり深く考えない方がいいのかもしれないけど、気になってしまう。世の中不思議なことだらけだ。

価値のこと。これからは、金額目線じゃなくて、価値目線で見てみようか。その方が、自分が提供できる価値についても、考えられるような気がするから。

Thank you for providing =提供してくれてありがとう

終わりに。

「お客様は神様」なんてことを言う人が昔はいたみたいだけど、自分にはどうやっても提供できないサービスをお金を払っただけで提供してくれる方が神様な気がするよ。

「俺は神様だ」と言う横柄な神様と、「提供してくれてありがとう」と言ってにっこり微笑む神様。店員さん(神様)は、どちらの神様と気持ちよく取引したいと思うでしょう。

2024.7.31

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