満ち足りた至高の体験
先日、父親が逝去しました。
2021年末にちょっとしたことで倒れて、年末年始を一緒に実家で過ごしたいということが叶わず、父は一人で年末年始を過ごすことになりました。
そして、年明けには退院できると思っていたのですが、体調が完全回復することなくなかなか退院することができませんでしたが、まあ、来週には転院してリハビリに励みましょうという感じでした。
ところが、1月18日の午前中に、妹から父親の容体が急変してもう僅かな時間しか残されていないということでした。
びっくり!
なんで?
何があった?
東京で仕事をしていた僕は、すぐに品川から新幹線に乗り、父が入院している愛知県の病院に向かいました。
名古屋の到着予定は13:45。
新幹線の中ではいつも眠りながら向かうのですが、
父親の死に目に会えるのだろうか?
なぜ、急変したいのか?
と色々と想いを巡らせていました。
新幹線の中でとある本を読んでいたのですが、僕がいつも言っているポジティブ心理学でいうところの、「ない」にフォーカスするのではなく、「ある」にフォーカスしよう!とふと思いついたんです。
何がなくなる?
命?
うーん、なんか違う。
魂を信じている僕としては肉体と魂は別だと考えていたので、やはり亡くなれば体は無くなってしまうんだろう。
でも、魂は残るってことだよね。
「魂はそこにあるんだ」って思った時に、いや違う・・・、
「魂はずーっとあったんだ」ってことに気づきました。
「ある」から「あった」に気づいた時に、
急にこれまでの人生で味わったことのない、
愛に満ちた感じ、
感謝の念が溢れる感じ、
愛と感謝に満ち満ちた感じを受け取りました。
そうだったんだ〜。
僕は父親から、ずーっと愛情を受けていたんだ、
無償の愛に包まれていたんだ〜ってことに気づいたのです。
もう、それに気づいた時には、涙が溢れて溢れて
仕方なかったです。
ちょうど、新幹線の車窓から三河湾?浜名湖?(よくわかりません、あんまり覚えていない)が見えるとき、
13:20〜13:30ぐらいだった気がします。
車窓には、
海に光が降り注いでいて、
その美しい風景と、
無償の愛に包まれた感覚、
満ち足りた感覚を鮮明に覚えています。
少し遅れて13:50に名古屋に到着し、
13:53に妹から「死んじゃった」との連絡が・・・。
間に合わなかったという気持ち、
寂しい気持ち、
悲しい気持ち、
親を亡くすという初めての体験と初めての感情を味わいました。
父親の死が現実となり、深い悲しみによる寂しさと
深い愛情のによる嬉しさの両方の感情が同時に来るような
なんとも言えない感じ・・・。
病院に到着し、普段通りに眠っているような父をみて、
手を触るとまだ父は温かったです。
ついさっきまで生きていたんだって・・・。
妹に「いつ亡くなったの?」って聞くと、
13:26でした・・・。
僕が、新幹線の中で、
無償の愛に包まれた感覚、
満ち足りた感覚にいる時に亡くなっていたのです。
たぶん、会いに来てくれたんだと思います。
魂として僕に大切なことを伝えてくれたんだと思います。
これからの僕の人生の伸び代は、
何よりも、自分自身、母親、家族、親族、友人知人、お客様、
全ての人やモノや出来事に感謝して、
愛と感謝に満ち足りた人生を送ることだと想っています。
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最後の大晦日には父が大好きだった「すき焼き」を一緒に食べたかったな〜。
それで、1月3日には父が大好きだった「うな丼」を一緒に食べたかったな〜。
それだけが心残りです。