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母と息子 171『魅惑の魂』第3巻 第2部 第99回

承前

 彼のなかにも矛盾したものはあった。それでも彼は抑えがたいものを抱きながら母のもとへと出かけて行った。恨みや憤りに似ていても、そこには彼にとっての魅力もあった。それは電気を帯びた大雲が、つぎに流れ出す物語を待っていることかもしれない。しかし彼にとって、母という女は会うだけでいいものでもあった。それを越したとき彼の焔は、雲の中に沈み込んでいき、周りの空の存在すら不確かに思えた。彼女が放つもの、振りかざす手、多くの言葉、強く見つめる瞳、その強い吸引力には、彼を退かせるものがあった… 止まってほしい!… それが彼の言葉になったとき福音書を思いださずにはいられなかった。「わたしに触ってはなりません!…」
「何が言いたいの! あなたを愛する人たちに対して?」
「とくにそんな人たちに、言ってるんでしょう!」
 彼にはそれを正しく説明することができなかった。しかし自然がそれを知っているだろう。彼が自分自身をだれにも委ねれことが、まだできないことを。いまはその機会ではなかった…
 彼女は、彼を貪るように見つめていた…
 探すしかない! 水はお前から逃げてしまった。指で、口で、お前は砂を掘って探せばいい…
 彼女は彼を見つめすぎていた。彼のほうはその視線が、自分のすべてを調べているように感じてならなかった。彼のなかの一つ一つ調べているように思えてならなかった。それは母親なら、とうぜんでもあり、彼の健康を心配しいたに過ぎなかった。しかし細かく聞いてくる母親の言葉は、彼はいらだたせた。彼は軽蔑したような笑みを浮かべて眼を逸らしていた。 …彼の健康は見たよりは、十分に保たれていた。以前よりも身長も伸びて、丸かった顔は細くなっていた。表情には疲れのようなものがあり、飢えやすさんだものも観えていた。熱を帯びて話す唇の上には、幾本かの苔に似た糸が見えだしていた。実際より病弱に見えるのは、彼自身の最近の精神こころが、乱調気味だったからだろう。しばらく連絡を取らなかったからなのか、母親は、いまの息子の気持ちを、その言葉から読むことができなかった。彼女は息子の顔から何かを探そうとしていた。すべてが青春の持ち物だった。青年の唇、思春期の額、早熟がもたらした疲労、経験で疲れ厳しさを蓄えた皮肉の痕跡をも見た。そこから彼女は、胸が痛ませながら自分に問いかけた。
「この子は何をしたのだろう? 何を見たのだろうか?」

つづく

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