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母と息子 21『魅惑の魂』第3巻第1部 第21回

 彼女の性格のなかには行動の可能性が眠ってはいる、だが行動する必要はない。彼女(息子を含めた彼女)は、これからしばらくは安全な場所にいる。そして運命が彼女に今を冷静に観察する時間を与えてくれている。彼女はそれを自分に有利になるように活用していた。彼女が周りを観察するその眼には自由があった。考える際に邪魔になるイデオロギーも彼女とは無関係だった。戦争と平和に関係する問題に、彼女自身が多くの関心を持つことはなかった。ここまでの十五年での彼女にもっとも近い最大の関心はパンを求めることだった。彼女はパンのための闘いに、自分自身を没頭させてきたのだ。これこそが彼女の闘いであって、休むことなく日常に繰り返される闘いだった。たまに来る休暇さえも、停戦協定の期間中のようなものに過ぎなかった。反古のようなものでしかない。国際政治や戦争は、アネットからは遠い外側に出来ごとともいえた。今の第三共和制(そう言えるほどのものでない)は、四十年にわたってヨーロッパの運命を曲がりなりに左右してきた。曲りなりであって完璧なものとはけっしていえなかった。 (なぜならこの無気力な政権は、その仲間の饒舌でしかない皇帝と同じで、是を望んでいなかったし、非も望んでいなかった。その代わりに渇いた火薬と枯れたオリーブを称えているだけだった。) 四十年(アネットにとっても四十年)は、乱れることなく形の上の平和が維持され、全世代にとっては、戦争も一種の風景であって概念に過ぎなかった。そこにはある意味でのロマンチックな光景さえ観えていた。道徳や思想の観点から観ても、遠くに色褪せて見えるものだった。多くの人たちが、形而上学的な議論のなかで取り上げるに過ぎないものだった。

つづく

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