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『コンビニ人間』に読む、ダイバーシティの限界とその先(8/50)

「ダイバーシティ」という言葉があります。「マイノリティ」の後に流行ったような気がするこの言葉について、学生の方から質問を受けることも多いです。内容は弊社における男女比についてだったり、グローバルの推進についてだったり。多様性を表すこの言葉が流行った背景について、仮説は様々かと思いますが、個人的にはマジョリティVSマイノリティモデルが限界を迎えたからだと思っています。社会は概してより多くのものやことを受容する方向に進んでおり、その中でAかBか以外のCのことや、Zのことまで考えられている状態が理想だとみなされている風潮があります。そうなった時に多様性という言葉は、A~Zだけでなく、αもβもいろはにほへとも包含しうる、かなりソーシャルフレンドリーな言葉という位置づけです。

2016年に芥川賞を受賞した『コンビニ人間』は、このダイバーシティが叫ばれる世の中における人間の排他性を描き、話題になりました。本書の主人公である古倉恵子は36歳の独身女性で、大学生の頃から18年間同じコンビニでアルバイトをしています。彼女は生まれつき”普通”の人たちと感覚がズレていました。幼少時代に小鳥の死骸を見て「父が好きだから焼き鳥にしよう」と考えたり、男子の喧嘩を止めようとして、彼らの頭をスコップで殴ったり。社会性がある多くの人からすると有り得ない行為を連発し、例外なく他者には距離を置かれる、そんな子供だったようです。

私には理解できなかった。皆口をそろえて小鳥がかわいそうだと言いながら、泣きじゃくってその辺の花の茎を引きちぎって殺している。

そんな幼少期を経て、彼女は自分がどうやら普通じゃないと認識し、普通をマニュアル化して大人になってゆきますが、人間社会の普通は難解で、性別や年齢によって変容します。多くの人間にとって”普通”マニュアルは一定の期間で自動更新されますが、彼女にとってはそうではなく。彼女が学生時代に当て嵌めた”普通”は、18年経って”普通”ではなくなってしまったわけです。

じゃあ、私は店員をやめれば治るの? やっていた方が治ってるの? 白羽さんを家から追い出したほうが治るの? 置いておいたほうが治ってるの? ねえ。指示をくれればわたしはどうだっていいんだよ。ちゃんと的確に教えてよ

ダイバーシティが叫ばれる社会でありながら、「コンビニ人間」の人権は、あまり養護されていないように感じます。異質なものは、認識しても受容はしない。眉をひそめながら静かに距離を取る。そのような行為は珍しいものではありません。それはおそらく非難されるべきことでもなくて、異質なものと同質なものを選び、線を引いているだけの話だと個人的には思っています。そうやって社会は成り立ってきたし、実はおそらく会社組織も同様です。組織というものはある程度同質な人で構成されており、そういう意味では組織というものは、どこまでいっても閉鎖的で、多様性の受容という観点では限界があると思っています。

新卒採用は、そんな組織に新しい風を入れる行為で、組織文化をより良く更新してゆく作業です。組織の未来を見据えた上で今必要な要素を導き出し、社会への姿勢も提示しながら組織に迎える人を決めていく。それが採用という職業であると解釈しています。弊社にも採用基準があり、ある程度現状の組織文化と地続きな方を探していることは自戒も兼ねて認識していますが、採用担当として、出会った学生の方がどう組織で生きるのか、どのような化学反応を起こしてくれるのかという視点は日々忘れないよう心掛けています。

「ダイバーシティ」という言葉から思い浮かぶキーワードやイメージは、きっと人それぞれでしょう。国籍、思想、ジェンダー、セクシャリティ。病歴や障害について想起する方もいらっしゃるかもしれません。全ての人に最適な社会や組織を作るのは非常に骨の折れる作業ですが、おそらくそれはすべて、真摯な対話から始まるのではないかと思っています。

面接や面談において、相対するからにはお互いに1人の人間です。私はこの世の全てを受容できるほどの寛容さは持ち合わせていませんが、採用担当として、そして1人の個人として、何事に対しても目をそらさず距離を置かず、真正面から理解しようとする姿勢だけはしっかりと持っておこうと、この本を読んであらためて思いました。

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