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近況~母の手術と自身のうつ状態

そういや、何かしらテーマを決めて書くことが多かったから、近況報告だけとか、そういうのしたことなかったなあ。
てわけで、最近の近況を書こうと思う。

ここ最近、マジでメンタルやられている。その経緯をつらつら書き綴ろう。

先週の水曜日に体調が崩れて急遽病院に行くことになった母。そのまま入院が決まり、その日の深夜に病院から緊急の電話が掛かる。
母の状態が著しく酷く、命に係わるとのこと。父が急いで車で病院に行き、私は弟と伯母に連絡を入れ、自転車で病院に向かった。深夜3時。
遠方に住んでいた弟が留守電を聞きつけ車で直行、伯母も、現在面倒を見ている叔父(大腸がんステージ4。手術が出来ない為、終末期医療に)と一緒に駆け付けた。

腎臓の損傷からの出血が異常に多く、累計1リットルは出血していた模様。緊急で輸血をし、昼頃に手術が必要だと医師から伝えられる。
一度解散し、それぞれ帰宅する。が、予断を許さない状況のため、誰も一睡もできなかった。私はいざという時に起きれないのを危惧して、睡眠薬を飲むのをやめ、弟の為に布団の用意やご飯の支度をする。

昼に母の手術の準備の為、再び病院へ。担当医から手術を説明を受け、同意書に名前を記入する。この時、父のメンタルが酷く、手が震えるから、と私が代筆する。夕方に開始する手術に向け、一度帰宅。父はそのまま病院へ。

まずは仕事帰りでまともに寝てない弟をケアするために、昼御飯に豚の生姜焼きを作る。手術開始とともに父と入れ替わりで私が病院に滞在することになるので、一旦仮眠をとる。

16時半頃に手術開始。寝ている弟をそのままにし、自転車で病院へ。母を手術室へ見送った父と入れ替わりで病院で待機。伯母と叔父も駆けつける。
母の状況はもちろん、とにかく父のメンタルが心配だと3人で話す。

20時ごろに父から電話。自転車で夜道帰るのは危ないから、一旦帰宅して、弟と一緒に車で来い、とのこと。いや昨日深夜3時に自転車で行ったがな、と思いつつ、父に従い、一旦帰宅。

21時頃、弟と車で再度、病院へ。眠そうにしてた弟を起こすのは気が引けたが、家にいても落ち着かないし眠れるわけでもないし、とにかくすることがない。気晴らしで動画を見る気にもなれず、病院に連れてってくれとお願いする。今思えば、自転車で行くか、弟のペースに合わせて来るべきだった。弟には悪いことをした。

21時半。手術は5時間経過。未だ終わる気配なし。父が落ち着かないのかひたすら待合室の周りをうろうろ歩いたり、無言で窓の景色を眺めたりしている。長年連れ添ってきた伴侶が危機に瀕すると、こうなるのか、と結婚の経験が無い私は思う。思うだけで共感できない体たらくな娘ですまない父よ。

23時。弟が車の中で寝ると言い、駐車場へ。手術はまだ終わらない。誰かの足音がするたびに、そちらの方にサッと振り向く我々一同。しかし担当医が来る気配はない。手術は順調なのか、母は大丈夫なのか、不安だけが募る。気遣い屋の伯母がなにかと話を振る。叔父と私が話を聞く。父はずっと窓の景色を眺めている。大丈夫だと思いたいが、万が一のことを考えてはゾッとする。当然、口にはしない。母も心配だが、父の事も心配だ。

24時過ぎ。担当医が来る。手術はひとまず成功である、と伝える。安堵する我々だが、今後の合併症などもありまだまだ予断を許さない状況。
手術終了までもうしばらく掛かるとのことで担当医が再び手術室へ。弟を呼んだが、その後も時間が掛かり、身内しかいない待合室のソファで横になる弟。

25時。手術終了。約8時間半掛かった。母が手術室からICUへ移動。その前にタイミング悪く、HCUからご遺体が運ばれる。見ないように顔を背ける我々。父が「早く行ってくれ」とこぼす。無理もない。心配性の父が一番見たくない光景だから仕方ない。私は、母の手術が成功した間に、亡くなられた人もいるのか…と、人生の無情さを感じる。

母がICUに移動。ここで伯母と叔父が帰宅することに。父、私、弟の順で一人ずつICUに入り、母と対面する。人口呼吸器などの様々な管が繋がれている為、麻酔が掛かっており眠っている母。決して安らかとは言えない寝顔だが、血圧も徐々に戻りつつあり、生きて帰って来たんやな、と実感する。

父がいないので、ICUの医師に父について相談する。心配性でジッとしてられない父は、母が入院するたびに、毎日のようにお見舞いに来る。そしてそれが母にとっては負担だという。嬉しいけど毎日はしんどいとのこと。その経緯を伝え、母の意識が戻ったら「断ることもできる」と伝えてあげて上手いこと父を離して欲しいと申し出る。
父の気持ちも分かるが、母の負担も分かる。余計なお世話かもしれないが、今は母の気持ちを優先したい。

最後に担当医から話があるとのことで再び待機。弟は先に帰宅。待合室で待機するように言われてるが、父がICUの前で待機するので私もそれに倣う。向かいのドアの赤色のマークが気になって検索する。感染性廃棄物を保管するバイオハザードマークだと知る。おお、あれがかの…「バイオハザード」というゲームボイスとゲーム画面が浮かぶ。また一つ勉強になった、と独り言ちる。

担当医が到着。しばらくはICUで治療、その後一般病棟に移る予定だが、今のところ、それがいつになるかは分からないこと、そして母が以前のように歩けたり出来るのは母次第であることを伝えられる。神妙な面持ちで話を聞く父と私。こうなったら母の無事を祈るしかない。

帰り道。父の運転で車で帰ったが、何話したかな。免許取った方が良いか?という私の問いに、ある程度年齢取ってから免許を取るのは難しい、年齢によって教習所代も増えるし、うつ病のこともあるので、取らなくていいとのこと。多分、私が運転ミスして賠償責任になったことを想定して話してる。どれだけ信頼無いのだ私は。しかし自分が車の運転に向いてないのは自分がよく分かってるので、諦める。こうなったら何歳になっても自転車で行けるよう体力作りに励む方向にシフトチェンジする。

帰宅後、一睡もしてない父を思って、早朝のゴミ出しを代わろうか、と提案するも、お前にちゃんとできるのか、と返される。ゴミ出しすら信頼されてないアラフィフ娘…まあ、私が代わりにゴミ出ししたところで、父が監視するんなら、もう父に任せよう。母の入院に関して、生命保険会社に資料提出が必要なので、父の指導の下、私が代筆をする。

代筆が終了後、やっと自室に戻り、睡眠薬を…飲んだかな。多分、弟のご飯の準備や、また緊急で呼び出されるかもしれない可能性を考えて、飲まなかった気がする。弟は「ご家族の方に来て頂く」可能性が無くなるまでは家にいるとのこと。自分の事は自分でするから気にしなくていいと言われたので、自室で待機する。動画やSNSは観る気になれなくて…何してたっけな。全然覚えてないや。

以上が、母の入院から手術終了後までの記録。水曜日から金曜日にかけての話だ。

父は毎日ICUに通い、担当医と話し、経過は順調とのことで、弟が予定より早く、自宅に帰る。翌水曜日には母が一般病棟に移り、歩けるようになるまでは「弱ってる自分を見られたくない」とのことで、しばらく父のみがお見舞いに行くことになった。

そしてここからは私の話になるが、今現在、うつ状態が酷い。雨による低気圧や生理前症候群(PMS)も相まって、朝、ベッドから起きられない日が続いている。頻発月経の治療でホルモン薬を飲んでいるのだが、PMSはどうしようもないらしい。それに加えて、応援していた実況者グループの無期限活動休止宣言が来て、さらにうつ状態が悪化。何をしても虚しい、という状態である。

今、こうして記事を書くまでには復帰はしたが、外出はまだ難しそうだな。徒歩5分の近所のコンビニに煙草を買いに行くのがやっとか。
現状、頭では状況を理解しているが、心が付いて行けてない。これはしばらくかかりそうだ、と就労支援センターのスタッフと話し合い、しばらくは在宅訓練、通所も減らす方法を考えている。

そして今日、午後の在宅訓練である書物を読んだ。次回はこの書物について記事を書きたいなと思っている。

しかし改めて、自分の症状はまだまだ改善されてないものが多いな、と痛感した。もう面倒くさいわうつ病。地味に辛いわりに、あまり同情されないこの病気。あーいやだいやだ。





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