「べらぼう」きっかけに子どもに教えてもらう

大河ドラマ「べらぼう」の録画を観ていたところ、とある武士の名前を見て息子(小6)と娘(小3)が「ああっ!」と叫んだ。何?と聞いたら、「田沼意次の息子を殺すことになる武士だよ!」
私が「え?そうなん?」って聞いたら息子が目を丸くして驚いた。「お父さん、憶えてないの?」

確かに「風雲児たち」で、意次の息子が殺されたシーンがあったなあ、とは思うけど、暗殺した武士の名前まで覚えとらん。子どもたち、よく憶えてるよなあ、と感心。
「べらぼう」には平賀源内とか、子どもたちにはなじみのある登場人物がたくさん出てくるから面白いらしい。

江戸時代に、あれほど著作権(発行権?)がしっかり守られているとは知らなかった。今回の大河ドラマ、結構面白いね。

私は子どもをほめない。その代わり、驚いたり感心したりすることが多い。同じマンガを読んでいても、当然ながら五十過ぎの私と違って記憶力が段違い。だから「よく覚えてるなあ」と感心する。「そんなこと書いてたっけ?」と首をかしげてると、いろいろ教えてくれる。説明が上手なので

「うまいこと説明するなあ」と感心する。すると「これだからお父さんは」と、まるで西洋人みたいに肩をすくめて首を振ったりする。で、私に分かりやすく説明してくれる。私はふんふん、ホウホウ、と驚き、感心しながら説明を聞く。実際、年々説明が上手になるし、細かいところまで記憶しててすごい。

こうした「出力」が、子どもの頭を鍛えるのにとても大切だと考えている。だから、私は変に自分を賢く見せようとは思わず、子どもに聞くし、説明してもらうことにしている。息子や娘は、私に説明するためにも知識をしっかり身につけようとするらしい。

子どもに必要なのは、子どもに教える人よりも子どもに教えてもらう人かもしれない、と思う。今の時代、教えてくれるチャンスはいくらでも転がっている。学校の先生も教えてくれるし、テレビや本からでも、熱とからでも教えてもらえる。しかし子どもが「教える」機会はそんなにない。

だから私は、子どもに尋ね、教えてもらうようにしている。子どもは、私に分かりやすいよう説明してくれる。私は稀代の物わかりの悪い人間で、会話の中で私がよく混乱してる様子をみてるからか、私にもわかりやすいように説明するにはどうしたらよいか、工夫してくれている様子。

説明するには、自分の頭の中を整理する必要があるだけでなく、相手の思考回路、知識の量、理解しやすい理路を考えるなど、複数のことを同時に処理しなければならない。それはかなり頭を鍛えることになるように思う。子どもに「出力」の機会を与えることは、とても良い大切なことのように思う。

子どもは、大人が驚き、面白がっているなら、どんどんと話してくれる。こちらはその話に驚いたり感心したり面白がっていたらよいだけ。実際、驚くし感心するし面白い。それで子どももイキイキするし、楽しく学ぶようになるんだから、ラクなもんだと思う。

子どもたちが持ち帰ってくるプリントを見ても、私もYouMeさんも教えたことがない。「えらく難しいこと習ってるんだな」と驚き、感心してるだけ。すると、「そんな難しいことを僕らはやってるんだ、それをやり遂げたら親は驚くという寸法だな」と思うようで、怠りなく学んでいるようす。

子どもたちは学ぶことを実に楽しそうに楽しんでる様子。これを生涯続けられたら、私は万々歳だと思う。学ぶって、生涯楽しめる遊びだから。

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