団塊ジュニアの宿命

私達団塊ジュニアの世代は、死ぬまで働くことが求められる世代だと思う。だって働く人がいないんだから、仕方ない。分厚いこの世代を、少子化の若い世代が支えられるわけがない。私達の世代は自分たちでなんとかすることが求められる時代になるように思う。

死ぬまで働くには、職場でポックリ逝くことも想定しないといけなくなるかもしれない。もちろん過労死みたいな形での死はダメ。でも、そこまでの労働ではなく、無理なく働いていて、現場でポックリ、というのは、団塊ジュニアでは将来、当たり前の姿になる予感。

とある経営者は、下は十代のスタッフから、上は八十歳を超える人まで働いているという。死ぬまでここで働きたいと思ってもらえる職場、そして職場でポックリ逝くことができる職場を目指している、と。私はちょっと目からウロコだった。今、職場で死ぬことは労災になる恐れがある。でも。

本人が死ぬまで元気で、働きたいところで働けて、それでボックリ逝けるなら、それはそれで幸せな死に方なのかもしれない。ただ、今の日本だと、「死ぬまでこき使われる感」がものすごくしそう。楽しんで仕事じゃなくて、苦しんで仕事、になりそう。

老人になる私達団塊ジュニアは、「老人ならではのイノベーション」が可能だろうか?若い人が減るこれからの時代、若い発想を活かそうにも、若い人がいない。年より自身がイノベーションを起こすしかないかもしれない。そのためにはどうしたらよいか。

リスキリングが盛んに叫ばれているが、スキルというものは既存の技術。新しさはそこにない。ボリュームのある団塊ジュニアが、別の分野とはいえ既存の技術を学んでどうなることやら。それよりは、イノベーションを起こすことが大切かもしれない。

老人になると頭が固くなるという。そうかもしれない。しかし団塊ジュニアみたいな分厚い層が頭を固くしたら、日本全体が固くなる。団塊ジュニアは、いかにして柔らかくなり、新発想を可能にするか、今から頭の体操が必要な気がする。

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