「うなだれ反省」を求めて何になる?
取り返しのつく失敗は落ち込みすぎず、笑ってテヘペロくらいの明るい気持ちで対そう、と提案したらバズったが「そんな態度だとものすごく怒られる」と複数の声。
いる。失敗したら、猿回しの「反省」みたいに、うなだれ、落ち込んで見せないと「反省してない!」と怒る人。
けれど、取り返しのつく失敗なのに強い「うなだれ反省」を求める人は、失敗を繰り返させないことよりも「自分に屈服してる」姿を見たいだけなんじゃないか、という気がすることがある。実際、厳しく「うなだれ反省」を求められると、かえってパニックになり、失敗を繰り返す人が出る。
なぜだろうか?恐らく、上司の「目」の方が気になり、手元が疎かになるからだと思う。失敗しないためには、さっきなぜ失敗したのか、今度はどうすればよいのか、今、自分の手元はどうなってるかを冷静に観察することが必要。なのに上司の目が光っていると、そっちばかりに意識がとられる。
その結果、上司の目ばかり気になって落ち着いて手元の作業を観察していられなくなり、またしても失敗する。失敗に厳しい上司は、部下の失敗を誘発しやすいなあ、というのが私の観察結果。しかも「うなだれ反省」を求める上司は、「失敗するなよ」視線をずっと向ける。気になって仕方ない。
失敗しないためには何が必要だろうか?なぜ失敗したのか、その原因を突き止めるため、失敗をよく観察する必要がある。自分の手元がどうなっているかを落ち着いて観察する必要がある。その上で、どうすればよいかを落ち着いて戦略立てる必要がある。しかし「うなだれ反省」を求める上司がいると。
失敗を観察するどころか「失敗したらまた叱られる」という想念で頭一杯になり、むしろ失敗から目を遠ざけたくなる。上司の視線が気になり、手元を見ていられなくなる。成功させる戦略どころか「上司にどうやって叱られずに済ませるか」の戦略を考えるようになってしまう。
「うなだれ反省」を厳しく求める上司は、
・自分に屈服する姿勢を見たい。
・部下に失敗を繰り返させる。
・その結果、自分の優秀さと部下の無能さを確認して、自己満足を得る。
という精神構造になってることが多いなあ、と感じる。無論、全然建設的ではないと思う。
私は、上司にずっと見られながら作業すると、その視線に気を取られて失敗することが多いのを自覚していたので、スタッフを指導する際は、一連の作業を教えたあとは「じゃ、その作業を繰り返して」と言ってその場を立ち去るようにしている。そうすると。
一人になり、落ち着いて、なぜさっきは失敗したのか、なぜこの方法だとうまくいくのか、落ち着いて観察することができる。自分のペースで進められるから、納得を得ながら進めることができる。十回も繰り返すと、理解もし、手に作業がなじむ。上司の目がないから、それに集中できるらしい。
上司の重要な役割は、失敗を繰り返させないことであって、自分に屈伏する姿を見て自己満足を得ることではないと思う。しかし部下が失敗したのを好機ととらえて、それを口実に「うなだれ反省」を求め、自分に屈服しろと要求する。これは動物的本能であって、後先考えた人間の智慧でも何でもないと思う。
もちろん、まれにだが、ヘラヘラして失敗したことさえ全く気にしないという変人がいる。そうしたヘラヘラした態度だと、失敗を観察せず、学ばず、だから同じ失敗を繰り返すだろうと予測するのは、やむを得ないとは思う。ただしそういう人はあんまり多くない。50人中1、2人くらいだろうか。
ただし、次のようなタイプはいると思う。あまりに理不尽な叱られ方をしてきて、無意味に「うなだれ反省」を求められ過ぎて、それに反発する形でわざとヘラヘラしてる人。これは一定数いるように思う。これはだけど、上司の姿勢が生んだ可能性がかなり高いように思う。
大切なことは「うなだれ反省」するかどうかではない。同じ失敗を繰り返さないこと。それをするには、何よりも「観察」。なぜ失敗したのかを観察し、さっき自分はどう作業したのかを観察し、継はどうしたら別の結果になるのか仮説を立て、試しにやってみて、その結果をまた観察する。観察が大切。
観察するには、「楽しむ」くらいの気構えが有効。私は、失敗が起きたら、それが危険なものでなく取り返しのつくものであるなら、かえって喜んで見せるようにしている。「お!失敗しましたか。せっかくなので、何が起きたのか、一緒に観察を楽しみましょう!」と言って、楽しそうに一緒に観察する。
すると、相手も落ち着いて何が起きたのかを観察できる。「ここで何が起きたんですかね?」と注意を向けると「あ、ここでこうしました」と、冷静に答えが返ってくる。私は、どこを観察するかを問いかけの形で指し示し、それに答えてもらう。その答えを私が面白がると、一緒に落ち着いて観察できる。
一通り観察を終えて、「じゃあ、どうすればいいと思います?」と尋ねると、「こうしたらうまくいくように思います」と、妥当な答えが返ってくる。散々観察してるから、どうしたらよいかの見当が既につくようになってる。「それでやってみてください」と私は言うだけで済む。
上司に必要なのは、部下に「うなだれ反省」を求めることではなく、失敗を観察し、何をしたのかを観察し、ではどうすればよいか仮説を立て、その仮説を試してみてその結果をまた観察する、という、「観察」が部下の中で起きるようにすることだと思う。少なくとも「うなだれ反省」を求めるのは観察の邪魔。
観察を促すには、失敗を楽しむくらいの気持ちの方がよい。取り返しのつく失敗なら、変に咎めるより、これは失敗から多くを学んでもらうよいチャンスと捉え、一緒に失敗を観察することを楽しむくらいの姿勢の方が、結果として失敗しなくなるように思う。
「うなだれ反省」を妙に求める上司は、まだ人間がケダモノだった頃の本能をそのままむきだしにしているだけなのではないか、という気がする。それは失敗を減らすことにはあまり有効ではないように思う。むしろ上司の目から失敗を隠す方向に促しかねない。ごまかすテクニックを促しかねない。
人間は、どういうふうな環境や接し方に置かれるとどんな心理になるのかを計算し、それらをうまくデザインすることが必要。部下を持つ上司は、そうしたデザイン力が求められる立場。「うなだれ反省」を求めてお山の大将気分にひたるようでは、職場はうまく回らないように思う。
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