「うまく伝えられないもどかしさ」が魅力になるのかも?

ツイッターをやるようになって「文章がうまい」と言われることが増え、不思議な気分。そのほんの数年前まで「お前の文章はわけわからん」と言われていただけに。私は子どもの頃から作文を大の苦手としていただけに、今も文章をうまく書く自信がない。コツもいまひとつ分からない。


ただ、いくつか気づいたことはある。「面白い文章を書こう」とすると、面白くない文章になる。なんなんだろね、これ?狙ったやつは狙っているとすぐバレる。面白いと思わせようとして書いている文章にはわざとらしさがあふれ出て、面白くなくなる。


面白いものを書こうとするより、自分が気づいたこと、発見したことを書くのがいいような気がする。私が本や文章を読む動機は、「自分の知らなかったこと、気づかなかったことを教えてもらえるかな?」というもの。それに出会えると、「ああ、面白かった!」となる。


何なら、知っていること、気づいていることでも構わない。その代わり、「知ってはいたけれど深く考えていなかった」「気づいてはいたけどそこまで掘り下げていなかった」と感じるくらいに、深掘りするのもあり。深掘りして初めて見える気づきや発見がある。それに出会えると嬉しい。


私がツイッターでやっているのはほぼそれ。知っているつもりだった、気づいているつもりだった、でもその視点で考えたことなかったな、その視座から見える景色を見ようとしたことはなかったな、という出会いがあった時、それを言葉にして表現している。すると、不思議なもので共感者が多い。


あとは、その気づきや発見をどう表現するか。この表現ではうまく伝わらないな、この言い方だと誤解されるな、ということを考えながら、より分かりやすい表現を考える。でも、「最善」は諦めている。そこまでの文章力が自分にあるとは考えていないから。


一発で見事な表現をしようなんてことは諦めて、その代わりに、伝えたいことの「輪郭」に触れることを目指す。その輪郭にかすることができたらまずまず。次は、別の個所の輪郭に迫る言葉を考える。こうして輪郭に触れる言葉を次々に紡ぐことで、伝えたいものの輪郭を浮き彫りにしていく。


その際、「いいカッコしない」というのも大切。難しい言葉を使って知識のある所を見せようとか、学があるところを見せようなんて欲が出たら、文章が汚くなる。伝えたいテーマの方が脇役となり、自己顕示欲を飾る道具でしかなくなってしまう。そういう文章は読むに堪えない。


あくまで、伝えたいことをどう伝えるか、ということに「全集中」した方がいい。その他のことは、すべてそのための道具、ツールでしかないと割り切る。すると、読む側の人も、「いったいこの人は何を伝えようとしているのだろうか?」というところに引きずり込まれていく。


何かの道具が巧く動かせなくて四苦八苦している人を見ると、人間は「貸してみ」と言って、違うやり方を試したくなる心理が働く。うまくできずに七転八倒している人間を見ると、「自分なら、こうすればうまくいくかも」と、つい参加したくなる。その心理に似ているかもしれない。


ところが、「どうだ、俺はこんな風にうまくできるんだぞ」と道具を見事に使いこなして見せる人がいると、「ふーん、さいですか」と周囲は白けてしまう。技能を自己顕示欲のための飾りにしてしまう人は、結果的に自分をも技術をも魅力のないものにしてしまうらしい。


文章もそうした面がある。表現したいもの、伝えたいものがある。そうした発見、気づきがある。けれどそれをうまく伝えられない自分の技能のなさを自覚し、もどかしさを感じている。そんな感じで書かれた文章は、読み手を引きずり込む力があるらしい。「自分ならこう表現するのに」と。


だから、文章をうまく書きたい人は、文章をうまく書こうとするのを忘れた方がよいように思う。それよりは、「うまくなど書けないのだ」という自覚を持った方がよい。そんな下手くそな書き手が、伝えたい素晴らしい気づき、発見をなんとか伝えたくてウズウズしている、という方がよい。


「今の言葉で輪郭かすりましたけど、分かってもらえます?いや、無理か。じゃあ、これならどう?」と、気づきや発見の輪郭に、言葉で何とか迫ろうと四苦八苦する。すると、その四苦八苦ぶりで、人は文章に引きずり込まれるのだと思う。うまくできなくて困っている人を見たら手を出したくなるのと同じ。


巧く書こうとしない。むしろうまく書かない、書けないと考える。そして、気づきや発見の「輪郭」に近づけないもどかしさを、文章にしながら伝える。すると、その文章は魅力的なものになるし、読み手も一緒に気づきや発見をしていく気分になるのでは?という気がする。


もちろん、論文とかマニュアルとかは、形式が定まっているからその通りに書いた方がよい。ある意味、こちらは様式が決まっているから、訓練すれば書きやすい。でも、エッセイなどの文章は定めがあるわけではない。もしろ定め通りに書かれたものはつまらなくなる。技巧が鼻について。


私が魅力を感じる文章の共通点は、「お伝えしたいものがあるんだけど、うまく伝わりますかね?もどかしくって仕方ないんですけど」というもの。そのもどかしさに共感しながら、一緒に気づきや発見をしている気分になる。文章は、技巧よりも、気づきや発見に魅了されていることの方が大切なのかも。

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