マナーは関係性で変化するもの
私は民放のテレビを見ることがほぼ絶無になったのだけど、テレビ好きの母の部屋で画面を見ると「え?そんなことまでマナーを決めてるの?」と、呆れ・・・失礼、不思議に思うようなのを見かけたことがある。それ、講師が勝手に言うてるだけやろ、と思わざるを得ないというか。
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マナーというのは、冒頭のマンガにもあるように、その場にいる人たちが気持ちよく過ごせるようにするためのもの。マナーのせいで居心地悪くなったら本末転倒。
昔はテーブルマナーなんてのがやかましく言われた。ところが大人になると、西洋ではあんまりやかましいこと言わないって知って驚いた。
誰だよ、ライスはナイフでフォークの背に載せて食べるなんてマナーをやかましく言ったの。むこうの人、フォークをスプーンみたいにしてご飯すくって食べてるやん。それを不作法なんてことも言わない。誰だよそんな面倒臭いこと言い出したの。
YouMeさんのお茶の先生は、素人の私から見ても挙措が素晴らしかった。何もわからない私には「気持ちよくお過ごし下さい」というだけ。挙措を磨くのは、おもてなしするお客様に気持ちよく過ごしてもらうため。客を緊張させ、不愉快にさせる、押し付けの決まり事ではない。
どうしたらこの場にいる人たちに気持ちよく過ごしてもらえるか。もちろん、それは従僕になることではない。自分も相手も対等。対等な者同士、無理のない範囲で譲り合う。落ち着きどころを探す。その結果、生まれてくるのがマナーになってくる。しかしマナーは変わる。気分によっても関係は変わるから。
自分の気持ち、相手の気持ち。それぞれをよく観察して、自分も心地よく、相手も心地よく過ごせる落着点を探す。すると、それが新たなマナーになる。だから、マナーは固定化するものではない。むしろ可変するもの。変化を拒否したら、それはマナーじゃない。ただの押し付け。
元旦の初詣は、昔みたいに鈴ならして賽銭投げて手をたたいてお祈り、一礼、でいいと思う。ワンサカ後ろに行列並んでるのに頭を何度もみんな下げて。大丈夫!神様ならわかってくれる!それよりみんな風邪ひかんようにと神様も思ってるはず!昔みたいに簡略でも神様わかってくれる!と思うよ!