国民を富ますという「法の精神」

その昔、斉の国は貴族が気まぐれに税を取り立てるものだから、怖くて商売のできない国だった。管仲は法を整備し、貴族が勝手に税を取り立てられないように取り締まった。これにより庶民が安心して商売ができるようになり、殖産興業に成功、中国最大の強国に成長した。

秦の国もかつて、貴族が気ままに重税をかけるものだから農民がやる気を失い、経済が停滞していた。商鞅は法律を整備し、貴族が勝手に税を取り立てられないようにした。これにより農民の生産意欲が高まり、やがて中国一の強国へと成長することになった。

秦は法律のおかげで国が栄え、ついには天下統一を成し遂げた。その自信が過信へとつながったのだろう。李斯は庶民を縛りつける法律をどんどん増進した。巨大な宮殿を建設するために囚人が必要だと見るや、細かい法律を作って法律違反者を増産し、囚人を大量生産して宮殿建設に当たらせた。

管仲や商鞅は、庶民のやる気を引き出すような法律を制定することで国を富ました。法律を守れば守るほど豊かになれるものだから、庶民は喜んで法律に従うようになった。しかし李斯は違った。「法律を庶民が守るのは当たり前」「法律に従わないなら罰を与えるのは当たり前」と考え、肝腎の精神を失った。

法律は、国民が幸せに気持ちよく生きられるようにするために定めるものである、という精神。管仲も商鞅もその精神を軸にして法律を定めた。だからみな、嬉々として法律に従うようになった。しかし李斯は、法律に従うのが当たり前、という結果だけを見て、それを利用することだけを考えた。

支配者に利益があるが庶民は虐げられるだけの法律を定めるようになった。このことへの怒り、怨みが、秦の国を瞬く間に滅ぼす原因となった。反乱が一つ起きると、各地で一斉に反乱が起きるようになった。国民のことを考えない法律に「ノー」を叩きつける形。

管仲も商鞅も気をつけたのは、国民のやる気を引き出すインセンティブ設計をしっかり行うこと。しかし李斯にはそれが一切なかった。「法律は守るもの」という習慣にタダ乗りし、自分達支配者に有利な社会にしようとした。盗賊的な所業と言ってよいだろう。

法律は、国民の生活を豊かに、楽しいものにするために定める必要がある。その精神を失った法律ばかり増えれば、国が覆る恐れがある。その精神を失って「法律は守るべきもの」というタダ乗り精神で法律を定めれば、その時の支配者は痛い目に遭うことになるだろう。

「韓非子」は、法律重視の法家の中の最高傑作とされる。その人間観は非常に冷徹。冷徹ゆえに鋭いが、管仲や商鞅が持ち合わせていた「どうやって国民を豊かにするか?」という精神が欠落していた。韓非の友人であり、ライバル視した李斯もまた、その精神に欠けていた。

法律至上主義の法家は、秦が天下統一を成し遂げ、「焚書坑儒」で儒教の本を燃やし、信じるものを根絶やしにすることで、もはや法家の圧倒的勝利に終わるかに見えた。しかし法家は、なぜ法律がそんなにも効果を上げるようになったのか、その理由がわかっていなかったのだろう。

法律がそんなにも効果を上げたのは、国民を富まそうとしたから。管仲と商鞅はそれがわかっていたが、韓非と李斯はそれがわかっていなかったのかもしれない。かたや、儒教は国民を豊かにする意識を法家よりは持っていた。それが運命を決め、法家はやがて衰退し、儒教が支配的になった理由かもしれない。

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