抵抗勢力という「否定」からではなく、感謝と敬意からはじめる

「新しいことをしようとすれば過去を否定することになる、否定すれば反発され、抵抗される。いったいどうしたらよいのか」と相談を受けた。私は答えになるかわからないけれど、自分の体験談を話した。

「有機肥料を使う養液栽培の技術を開発した時、化学肥料を使うそれまでの技術を否定する形で発表したところ、猛反発を受けた。そりゃそうだ、全員化学肥料の養液栽培で研究してきたのだから。これでは普及しない。どうしたものか、と考えた。そこで、言い方を変えることにした」

「『化学肥料を使う研究の蓄積があったから、開発することができた』と、感謝を述べるようにした。実際、これはウソではなかった。化学肥料を使った研究のおかげで、どんな養分がどの量必要なのかが明らかになっていたおかげで、有機肥料のブレンド比も割り出すことができた」

「化学肥料しか使えないという先人の研究があったからこそ、どうしたらいいのか課題がハッキリした。過去の研究を踏み台にさせて頂くことで、新しい技術を開発できたのだ、と感謝を述べるようにしたら、すっかり敵対していたはずの学会からも講演依頼が来るようになった」と。

WBCの決勝戦、アメリカと対戦する直前、大谷翔平選手が「今日だけは憧れるのをやめましょう」と声をかけた。これ、実に見事な言葉だったと思う。負けたアメリカのチームも、普段はリスペクトされているということがこの言葉から感じられて、負けてもなんだか気分がいいだろう。

むしろ、リスペクトされていると分かったからこそ、「負けたよ」と素直に負けを認める気になるだろうし、日本選手へのリスペクトをする気にもなるだろう。敗者さえも気分良くしてしまう、魔法の言葉。大谷選手は若いのに、なんてすごい言葉を紡ぐのだろう、と驚いた。

私たち日本人は小泉純一郎氏の影響を強く受けて、自分を改革派と捉えると、それに反発する人間は「抵抗勢力」とみなし、見下す傾向を強めている。しかし人間は、見下されているという感覚にとても敏感。すぐにばれる。それだと反発されて当然。反発されるから上手く進まなくなる。

「過去の蓄積があるから新しいものが生まれた」というリスペクトがあると、話が全然違ってくるように思う。実際、過去の蓄積があるから新しいものが生まれる。新しいものは、過去のやり方ではうまくいかないことを学習したから生まれたもの。これを表現するのに「否定」から入るのか、「感謝」からか。

私は、「感謝」から入ったらよいように思う。相手を抵抗勢力とみなし、否定すると、無駄な波風を立て、話がややこしくなる。否定ではなく、「感謝」「敬意」というアプローチは、試してみる価値があるように思う。

林文子氏は、BMWの支店長を任されたのだけれど、業績の一番悪い店舗を任されたのだという。当然、パフォーマンスの悪い社員ばかり。では、叱咤激励したのかというと、ちょっと変わったアプローチをしたらしい。「あなたはこんなものではないはず。だから悔しい、本当に悔しい」と。

「こんなものではない」と判断する証拠なんて一つもない。相手はずっとサボってきた人なのだから。でも、そんな風に言われた社員は、「俺の潜在能力をそんなに買ってくれているのか」と気持ちが改まり、ちょっと頑張ってみるか、という気になる。すると実際業績が上がる。すると。

林氏は手放しで驚き、喜んだという。こうなったら嬉しくないはずがない。どんどんやる気が湧いて、最下位の成績だったその店舗は、BMWの中でも優秀な成績を収めるようになったという。これも、「否定」から入らずに「敬意」から入ったからこその力だと思う。

日本社会がいたるところでギクシャクし始めているのは、小泉旋風の痛快さに酔いしれて、自分と敵対する人間を「抵抗勢力」とみなし、否定する姿勢から始めることに大きな原因があるのではないか。否定され、見下された人間は当然反発し、邪魔したくなる。これは人間として当然の心理。

むしろ、若い大谷選手を見習い、相手への憧れ、敬意からスタートさせたほうがよいのではないか。すると、相手も気分よく対せる。向こうもこちらに敬意のお返しをしてくれる。人間の心は結構、鏡やこだまのようなところがあると思う。金子みすゞの「こだまでしょうか」のような感じ。

「抵抗勢力」という言葉も、「言霊」ならぬ「言騙し」の一種のように思う(https://note.com/shinshinohara/n/n1ed59c3daf5b)。そういう言葉が存在するものだから、自分に逆らう人間は抵抗勢力とみなし、否定し、傷つけても構わない、と考えるように日本人はなってしまった。

しかし、人間心理を考えてみると、これは非常に拙い手法ではなかろうか。小泉劇場だけは成功したかもしれないけれど、小泉旋風をまねようとした企業はたいがい失敗に終わっているようだ。結局、単なるトップの身勝手さに終わってしまっているからだろう。

相手へのリスペクトを忘れない。過去は否定されるものではなく、新しいものの母であることを忘れないこと。その敬意をもつこと。すると、関係性が変わり、変化が起きやすくなるように思う。私たちは、小泉劇場が残した「言騙し」から、そろそろ卒業してもよいように思う。

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