国家は「民を守る」の一点を決して見失ってはならない
法治国家が成立するのに大切な前提条件がある。すべての民を守ること。もし法律が一部の人間にだけ有利なものに設定された場合、国家そのものが盗賊化し、法律を破らねば民を守れなくなる。そのとき、法治国家でいられなくなる。竹中氏は盗賊国家へと法を捻じ曲げていく。
竹中氏は既存の価値観で身を守りつつ、法律や制度を巧みに捻じ曲げ、特定層に有利な社会に作り変え、自らも儲けることが実に上手。そして「日本は法治国家だ」と言って身を守る。真面目な人はその言葉に幻惑する。しかし肝腎なことは、法治国家であるための前提である、「民を守る」を破壊している。
竹中氏の老獪さは、法治国家は法を守らねばならない、というこれまでの常識で人々を縛りながら、法律を特定層にだけ有利なものに作り変え、国家そのものを盗賊化させること。法そのものが民を収奪するものに作り変えられている。法を守る根拠である「民を守る」が崩れている。
安倍氏がなぜ銃撃されてしまったのか。「民を守る」べき政治家が民を守らず、特定の団体に肩入れすることで進学も就職もままならず、生活を破壊され、家族は自殺し、全財産を失い、人生を破壊されたことに異義を申し立てるには、「法の外」に出なければならないくらいに「法」に追い込まれたから。
「法」を守る限り、収奪されることを止められない。法治国家が盗賊化すると、法そのものが民を虐げる。それでいて民には「法治国家だから法を守れ」と言う。法の外でしか民を守れないという、おかしなことになる。法治を維持するには、法が「民を守る」という使命に立たねばならない。
しかし竹中氏は法を棄民(民を見捨てる)するものに作り変えていく。昨晩、NHK特集に登場した慶応大教授は、竹中氏の発言を完全コピペしていた。ついに傀儡まで生み、民を収奪する国家へと日本を変貌させようとしている。特定の層にだけ有利な収奪国家へと変えようとしている。嗚呼。
法を「民を守る」ものに取り戻す必要がある。しかし竹中氏と、恐らくその傀儡である連中は、言葉巧みに日本を「特定の人間しか生き残れないサバイバル国家」に書き換えることで、国民を収奪する盗賊国家に日本を変貌させようとしている。なんと凄まじい!なんと非情な!
竹中氏のこの企みは、あるいは竹中氏にこの言動をさせる人々は、日本を盗賊国家に変えてしまうだろう。民を収奪する国家に作り変え、「民を守る」という、法治国家として成立するための大前提を破壊するだろう。歴史は、そのとき、法を民の敵とし、法治国家でいられなくすることを示している。
竹中氏とその仲間たちは、法治国家を盾にとることで、法治システムを結果的に破壊する行動を取っている。民を守るには法を破らねばならないところに民を追いやるからだ。そのとき、革命が起き、法を失うという歴史からなぜ学ばないのか?法は絶対に「民を守る」ものでなければならない!
日本に竹中氏が現れたのは、返す返すも日本の民にとって不幸なことになってしまった。竹中氏は安倍氏銃撃事件を見て引っ込んだのかと思ったら、自分の仲間が思いの外元気なのにつられて、またぞろ顔を出しているようだ。もう、取り返しがつかなくなったかもしれない。嗚呼!
私は絶対に暗殺を肯定しない。そのためには、法が民を守るという前提条件を崩してはならない。その前提条件を崩してしまえば、民を守れず、ひいては政治家を守れなくなる。絶対に、絶対に、法が「民を守る」という前提条件を失ってはいけない。それを失ったら、守るべきものも守れなくなる。
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