成長ではなく新陳代謝

生物を研究しているからか、「資本主義経済では経済成長が欠かせない」という主張は無理があるし、何かまやかしがあると感じる。
成長著しい若者の時は、成長は大切。欠かせないと言える。けれど大人になって成長目指したらそれはメタボ。健康をむしろ害する。

大人になり、身体の成長が止まった時に大切なのは成長ではなく、新陳代謝。人間の血液は120日で入れ替わり、皮膚は約一ヶ月で入れ替わるという。体全体は成長しなくても、古い細胞は入れ替わり、若い細胞へとバトンを渡していく。こうした新陳代謝がスムーズに行われるよう心がけることが大切。

日本は少子高齢化で、メンバーの数が減っていき、メンバー自体が高齢化していく。そんな時に無理に成長を目指すと、メタボになるか疲労骨折する。若い時の記憶で無理に食べ、無理に動くと故障のもとになる。いかに適切に新陳代謝するかが大切。

トシを取ると、ひたすら鍛えるというのはかえって傷ついた細胞を修復するゆとりを失い、健康を損ねる原因となる。力の減退を最小限に抑えつつ、新陳代謝を高めるための適度な運動は行うけど、十分な休養も大切。新陳代謝には、運動と休養が大切。

なのにまだ若いつもりで、鍛えれば鍛えるほど強くなった時代の記憶のままにキツイ鍛錬を自らに課しているのが今の日本社会な気がする。まずは現実をよく見極める必要がある。トシをとり、成長を必須と考える思考をいったん手放し(たまたま成長するのは構わない)、新陳代謝にシフトした方がよさそう。

健康な新陳代謝に意識をシフトすれば、むしろ若い頃の体力を適切に温存でき、場合によっては若い頃よりパフォーマンスを向上させることもあり得る。結果的に成長することも起きやすくなるだろう。けれど経済成長に照準を合わせるのではなく、新陳代謝に照準を合わせる方が、何かと好都合なように思う。

さて問題は、現在の経済システムが経済成長を前提にしていること。貨幣システムも成長を前提にしている。激しいトレーニングを自らに課す日課を切り替えるタイミングを逸してる、若いつもりの中高年男性のよう。食生活も若い頃と変わらないまま、みたいな感じ。

また、トレーナーが、若い頃と同じトレーニングと食生活をすればもっと成長できる、と、十年一日の同じ指導を繰り返すものだから、おかしくなってる気がする。
大切なのは、成長ではなく新陳代謝だという気がしてる。

新陳代謝という視点に立つと、今の日本はおかしなところが目につく。所得格差が大きくなり、低所得にあえぐ人たちが増えている。血流が悪くなり、手足に血が通わなくなり、細胞が壊死しかけている感じ。他方、変にお金持ちには栄養が偏る。まるで食生活を改められない糖尿病患者のよう。

食事の量を適切にし、全身に血液がめぐるようにし、適度な運動と適切な休養が新陳代謝を促すように、日本社会も、全身に血液が回るような経済システムに変更する必要がある。全身が健康になれば、あるいは経済成長することもあろう。しかし健康を失っての成長は単なるメタボ。

経済成長ではなく「経済の新陳代謝」を。そのために「全身に血流がめぐるシステム」を。そうした視座に立ち、様々な政策をとることが望ましいように思う。もう日本は若くない。若くない現実を認めた上で打てる手を打つなら、まだまだやれることは数多い。やるべきことはたくさんある。いかがだろうか。

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