「民は愚かに保て」は富裕層を地獄に落とす

日本(幕府)は「民は愚かに保て」。
(当時の)アメリカは全てオープンにすることで民の底上げ。

民主主義の基礎は、情報をオープンにすることで成り立つ。

さて、これからの社会は・・・

みなもと太郎「風雲児たち」幕末編23巻より


櫻井よしこ氏をはじめ「安倍シンパ」に早くから警戒していたのは、ここが理由。櫻井氏は当時「政府にはすごい情報が集まる」とよく発言。この裏メッセージは「庶民は触れることのできないような」という意味になる。どうも安倍シンパは、国民には重要な情報は明かさないという空気濃厚だった。

これはそのまま「民は愚かに保て」になりかねない。安倍シンパの一人でよくテレビにも出ていた「先祖は皇族」の人物は「納税多い人はその分選挙権を増やしたら」と発言。これは、庶民には重要な情報を与えず、政治に関心を持たせず、それによっていずれは投票権も庶民から奪うつもり?

竹中平蔵氏は、これらの流れを経済的側面から実現しようとしたと見ると分かりやすい。庶民を貧困層に叩き落とし、四六時中働かなければならない状態とし、政治に関心を持つゆとりを奪わせ、「納税額少ないのだから投票権失っても当然だよね」状態を、時間をかけてでも作ろうとしたのでは。

しかし収入低く、納税額小さいのは庶民のせいではない。収入大きく納税額大きいお金持ちが庶民から搾取しているから。なのに竹中氏は「カネ稼ぐのは有能だから、カネ稼げないのは努力と才能が足りないから」という転倒したヘリクツでその搾取構造を正当化してきた。しかし現実は搾取。

富裕層が支配し、貧困層は下僕となる構造を強化するために、「学歴」も利用しようとしていたと私は見ている。公立大学の学費を90万円以上にしようと安倍政権では検討していた。事実上富裕層しか大学卒になれなくし、貧困層の庶民は「学歴がないから収入低くて仕方ない」と納得させる構造に。

貧困層でもとびきり優秀な人間だけは特待生で入学を許可し、外国人で優秀な学生も入学を許可。そして富裕層はお金の力で大学に。こうすることで、あたかも富裕層の子弟も、特待生や外国人留学生らと同級生になることで「学力があるかも」というカモフラージュを可能に。

東大に推薦入学の制度を作ったのも富裕層が事実上、カネの力で最高の学歴を飾れる道を作るための布石の可能性がある。慶應義塾大学の学長が「公立大学の学費を150万円に」と発言したのも、富裕層のみ大卒とする布石?
このように、小泉政権から始まり、安倍シンパがここ二十年目指してきた社会像は、

・民は愚かに保て
・選挙権は富裕層のみに
・庶民は貧困層に叩き込み、必死に働かねば食えないように
・貧困による多忙とゆとりのなさゆえに庶民は政治に関心持てないように
・選挙権はいずれ納税額を基準に
・カネで学歴を買う社会に
・学歴で学力と実力があるかのようなカモフラージュを富裕層に

早い話が、江戸時代のような封建社会の実現を目指していたように思われて仕方ない。そうした思惑を第一次安倍政権発足の頃から感じていて、私はずっと薄気味悪かった。しかもなかなか巧みにそちらに誘導するから余計。しかしそんな階級社会が、幸せなものとは私には思えない。

やはり「風雲児たち」(幕末編23巻)を引用。勝海舟はアメリカと日本の違いを尋ねられ、「アメリカは偉い人ほど賢い。日本はその点が全く違っていた」と発言。富裕層に支配される階級社会は、勝が喝破した末期の幕府と同じものになってしまうだろう。

フランスで革命が起きたのもそのため。貴族王族富裕層が我が世を楽しみ、庶民の苦しみを全く考えなくなったとき、バスチーユ牢獄の襲撃は起き、王族をギロチンにかけることにもなった。庶民を虐げれば、支配者は自らの首を危険にさらすことになる。

私は支配層の人たちにも死んでほしくない。笑って生きていけるようであってほしい。そのためには、庶民も笑って生きていける社会でなければならない。大多数の人間を不幸に叩き込み、自らだけ幸福でいようなんてムシのよい話はうまくいかない。

リチャード・ウィルキンソン氏がTEDでプレゼンしているが、格差の大きい社会では富裕層ではさえ乳児死亡率が高くなる(11:08あたりから)。我が子を富裕層でも守れない社会になりかねないことに注意が必要。
https://digitalcast.jp/v/11187/

富裕層は富裕層でいてもらって構わない。しかし、貧困層が苦しんでいるのを見過ごすような富裕層では、翻って自らの不幸を招くということを肝に銘じていただきたい。貧困層をできる限りなくし、誰もが笑って生きられる社会を目指す。その努力を失ったとき、国は破れる。どうか、皆が笑顔の社会を。

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