「驚き」というプレゼントが受援力を高める
「頼りにされるって、結構嬉しいもんだよね」「でも依存されるとしんどいよね」「頼りにされるのと依存されるの、何が違うんだろう?」YouMeさんと話し合った結果、相手が見えてるかどうかではないか、という話になった。
おぼれている人を助けるとき、救助に向かった人が死に、おぼれていた人が助かるケースが少なくない。おぼれている人は必死になって、救助に来た人を踏み台にして息をしようとし、結果として救助する人がおぼれてしまうかららしい。依存する人はおぼれた人に似た行動をする。
頼る相手の様子を見ず、ともかく自分が助かりたい一心で、息を継ぎたい一心で、必死になってつかみにかかる。このため、相手は相手のペースに引きずり回されて疲弊する。依存する人は、すべてのエネルギーを自分に振り向けろと要求する。助ける人の余力をしばしばすべて奪ってしまう。
頼られて気持ちの良いケースは、自分にできることはすべてやろうとし、どうしても自分でできない部分を、できそうな人に頼む。無理そうなら頼まない。相手の様子を見て、頼めそうかそうでないかを判断することが可能。こうした人の頼みは、頼まれた方も「よっしゃ、任しとき!」と言いやすい。
依存ではない頼られ方は、頼まれたことをやるかどうかの選択権がある。やったげよう、という意志を能動的に示すことができる。嫌なら嫌で断るという能動的な意志を示せる。しかし依存の場合、頼まれたことをしないという選択権がない。断ると倫理的に責められる感じ。受動的で重苦しい。
とある学生は、いかに自分が苦しい立場にいるか、だから他の人は、頑張る自分を応援することがいかに当然のことなのかを論じ、総スカン食らっていた。もしその学生に何かやって上げても「もっと、もっと」と要求がエスカレートするのが目に見えて、みな気が重くなり、誰もその学生を助けなくなった。
別の学生は、アルバイトを頑張り、自炊し、自分でできることはすべてやっていた。人に頼ろうとしなかった。しかし誰かが何かをしてくれた時、なんて運がよいのだろうと言った感じで驚き、喜んだ。すると周囲は何くれとなく食事をさせたり割のよいアルバイトを紹介したりしていた。
依存していない学生は、好意に驚いていた。依存する学生は、好意があっても当然視し、「もっと」と要求した。前者の学生の場合、驚いてくれるので「やったった」感が得られ、楽しく感じるらしい。後者の学生の場合、驚かず、要求がエスカレートするので従僕扱いされてる気分がするらしい。
自分でできることは自分でする人間は、人の好意を期待せず、期待しないから好意があった時に驚く。驚くから、やったげた人は達成感みたいなのが味わえて楽しい。依存する人は人の好意をアテにし、当然視するから「足りない、もっとよこせ」となる。これではやってもやっても達成感はない。
依存しようとしない人にやったげるのは達成感が味わえるけど、依存しようとする人にやったげると徒労感を味わい続けることになる。そうした違いがあるらしい。
人の助けを借りる力を近年、受援力と言われたりする。これは災害の際、援助を受けるうまさの違いを表す言葉。
受援力は、むやみに人の助けを頼ろうとせず、人の助けを期待せず、それでいて援けてくれる人が現れたとき、驚き、喜ぶ。そうした人には、やればやるほどやったった感を味わえるので、どんどん援けたくなる。もっと驚かせたくなって。もっと喜ばせたくなって。
受援力のある人は、実は与えられてばかりなのではなく、「驚き」を提供している。「驚き」はどうやら人間が大好きなご褒美の一つで、自分の好意で人を驚かすなんてことがなかなか味わえないから、それが味わえたとき、もっと味わいたくて、援けたくなるらしい。
自分の好意で驚いてくれる人がいるということは、自分がこの世に生きていてよいという証のように感じる。この世に役に立つことができるのだ、という証のように感じるのかもしれない。それが嬉しくて、驚いてくれる人にはどんどん好意を示したくなるのかもしれない。
依存する人を助ける場合は、好意を当然視されるし、もっと要求される。これでは底なし沼に貴重なエネルギーを無駄に捨ててる感があり、いつ終わるともしれないキリのなさに、達成感もなく、嫌気がさすらしい。
いくらでも援けて上げたくなる人は、助けを当然視せず、期待しないから「驚く」というプレゼントを出すことができ、そのプレゼントを求めてもっと援けたくなるという皮肉。もう援けたくないという人は、助けを当然視するので「驚く」を提供できず、だから人が離れていく皮肉。
なぜ、人の心がそう動くようにできてるのかはわからない。しかし、どうもそう動くようにできているらしい。人間がそのような生き物であるならば、それに合わせた行動をとるのが、より人間を楽しめるのかもしれない。
「え?いいんですか?嬉しい!ありがとう!」そう驚く人には、またやったげたくなる。もしかしたらその好意は他愛のないものかもしれない。しかし自分に好意を湿してくれたという幸運に驚くといった人は、人の好意をますます呼び覚ます。驚きって、すごいプレゼントなのかも。
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