農水省元事務次官の思い出
(農水省元事務次官の事件は、母親だけの問題ではないのではという指摘に対し)
ええ、あのケースは父親も大きな影響を与えていると思います。私が国家一種で採用されて、新人研修を受けた時、当時の事務次官として講演したのがあの父親でした。講演内容は「陳情をなるべく聞くといいですよ」というもの。そこで私は質問しました。
「阪神大震災では、神戸市東灘区だけで170箇所もの避難所があり、中にはボランティアが一人しかいない高齢者施設もあり、独りでお弁当を運ぶだけで疲弊するなど、とても陳情する元気がない、というところもたくさんありました」
「陳情に来る人は、地方から新幹線や飛行機に乗り継いで霞が関までくる元気とお金がある人たちだと思います。しかし本当に困っている人は、東京に出ることもできないほど困窮しているかもしれません。そうした声なき声に耳を傾けるにはどうしたらよいでしょうか」
すると当時の事務次官は「阪神大震災といえば」と、当時の農水省がいかに震災で活躍したかの自慢話をとうとうと始めました。私はいつ質問の回答が来るかと待っていたのですが、一向にその気配がありません。そこで私は「すみません、そういうことをお聞きしているのではないのですが」と腰を折ると、
露骨に嫌な顔をし、結局質問に答えてもらえずに終わりました。
その後、懇親会になったのですが、先輩官僚たちが大勢私のいる部屋に顔を出して「あいつ!あいつ!」と笑っていました。そして勇気ある先輩の一人が私にビールをつぎながら「ご愁傷さま!あんなこと言ったら左遷されるよ!」
私はその先輩の言葉、部屋を訪れては笑っている先輩官僚たちの様子を見て、「ああ、そういう人なのか」と思いました。気に入らないことを言えば簡単に左遷させる人だし、そういう世界なのだな、と。幸い、私はこれ以上左遷しようのない末端配属でしたから何もなかったですけど。
面白いことに、農水省の相当上の人が私の隣に来て、「君はいろいろ提言したいことがあるのだろう。もし何かあったら私に連絡をよこしなさい」と名刺を渡してくれました。私のことを面白い、と思ってくれた人もいたようです。こうした人が私を影ながら守ってくれたのかもしれません。
その後、食肉偽装事件の責任をとる形で事務次官を退職した、というニュースが流れてきました。それからずいぶん時間が経ってから、息子を殺した、という事件を起こしたと聞いて驚きました。「あのときの事務次官やん!」
その事件が起きて翌年、農水省で「部下育成について講演してくれないか?」という依頼が来ました。農業研究者として呼ばれたのでなく、部下育成本が面白かったということで。幹部育成セミナーのトップバッターの講師でした。私の次の講師が青山学院の原晋監督。格はそっちの方が上やん!と思いました。
びっくりしたのが、受講生の中に局長までいたこと。官庁の中では、局長というのは幹部中の幹部です。その人に部下育成のコツを、組織末端の下っ端が説明するという、なんともシュールな絵。そこで、私が子育て本を書いていることについて、会場から質問がありました。
官僚のみなさん、前年に起きた元事務次官の事件を深刻に受け止めていたようです。官僚の人たちは夜遅くまで(しばしば徹夜で)仕事をしており、子育ては奥さんに任せっぱなし、という人が多かったわけです。官僚ですから、出世頭はみな東大生が多く、学歴もトップクラス。
事務次官という、官僚の世界で頂点を極めた人が、子育てでは失敗し、我が子を殺すに至るという凄惨な事件。しかも、娘の結婚が息子のことで破談となり、娘は自殺するという不幸もあり。官僚の人たちは、ものすごく深刻にこの事件を受けとめたようです。
この事件は、人生において何が大切か?ということを深く考えるきっかけになったと思います。それも、東大法学部を出て、各省庁の事務次官になるというのが、日本のエリート中のエリートが最高峰のゴールとして目指してきたのに、結末がそうだったわけですから、より深刻。
私は、学歴という「外側」を重視する意味がよくわかりません。まあ、他人は「外側」しか見えませんから、外側を繕う重要性は分かっているつもりです。しかし、外側ばかり飾ろうとすると、人間は内側がうつろになってしまい、「何が楽しくてこんなことしているんだろう?」と思ってしまう生き物。
人間はどうせいつか死ぬわけですから、どうせ「なら」楽しく生きた方がいいと思います。楽しく生きるためには、人と楽しく過ごす力も必要です。人と楽しく過ごすには、人様のお役に立てる力が必要です。だから実力を養う必要があります。そのためにも学ぶことが大切になると思います。
幸い、人間は学ぶことそのものを楽しめる生き物です。「できない」を「できる」に変えることが大好きな生き物。学ぶこと自体が楽しいことです。だから、学んで楽しみ、楽しむために学べば、自然と人様のお役に立つ力も身につき、他者とともに楽しむ力も身につくと考えています。ところが。
地位とか、名誉とかは本来、人と楽しく過ごすためのツール、道具でしかなかったはずなのに、それを目的化し、最優先、最高の価値と考えてしまう人が出てきます。そうなると、大切なものを失います。人と楽しむ力を失い、学ぶ楽しみを失い、自分の人生を楽しむ力を失います。
元事務次官とは、ごくわずかな接点しかありませんでしたが、不思議なご縁を感じてはいます。そして、そのわずかな接点ですが、ご講演での反応、その後の懇親会でも部下の方たちの反応、事件後の官僚の人たちの深刻な悩みを見ると、「そういう人だったのか」とうかがわせるものがありました。
農水省の部下たちの反応を見る限り、自分に逆らうものは容赦のない非情さを感じましたし、度量のなさを感じました。また、質問に答える誠実さも欠けていたなあ、とも。こうしたことと、あの事件は、無関係ではないような気がしてなりません。
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