失敗への恐怖、呪いの解除法
もうその方法はうまくいかないことが分かっているのに、同じやり方を頑なに続ける人がいる。何十回も。そうした人は「頑張り無罪」に逃げている可能性がある。過去に失敗を責められ過ぎたために、たとえ失敗であろうと繰り返すことで「俺、頑張ってる、だから責めないで」という論理に。
私は学生やスタッフを指導する時、「失敗を楽しむ」ようにしている。あえて失敗するであろう実験をやってもらい、それで起きる意外なことを一緒に楽しむ。「うまくいかなくてすみません!」と謝る人多いけど「あ、私もうまくいくかわからなかったんで。それより何が起きたか一緒に楽しみましょう」
失敗に終わったその現象を、一緒に観察する。気づいたことを指摘してもらい、「あ、なるほど、確かにそうなっていますね」と、教えてもらったことに感謝しつつ、自分も気づいたことを言う。こうして気づきを言い合うゲームを散々した後。「じゃ、次はどこを工夫してみましょうか?」と尋ねる。
さんざん失敗を観察し、何が起きたのか指摘し合ううち、自然と仮説がわいてくる。「こうすればよかったんじゃないでしょうか?」私は「あ、それいいですね。次、それを試してみてください」。そしてまた失敗しても、また一緒に観察し、楽しむ。ここがこうなっていますね、と気づきを共有して。
こうしたことを繰り返すと「失敗したらどうしよう」という恐怖心、「失敗してはならぬ」という呪いが徐々に解除され、失敗は恐れるものではなく楽しむもの、観察し、気づきを言い合う楽しいゲームの対象、に変わっていく。そして失敗をよく観察するから、自然と「次はこうしたらいいかな」仮説が湧く。
失敗を楽しみ、観察し、気づきを共有し、その気づきから仮説がわいてくるので、次なる工夫を試してみる。こうすると、同じ失敗はしない。常に工夫が重ねられ、「新しい失敗」になる。新しい失敗には必ず発見がある。新しい現象との出会いがある。そして新しい仮説がまた湧いてくる。
最後、うまくいってしまうと、失敗を観察するというゲームが終了してしまう。成功は、「失敗観察ゲーム」の終了を告げるものだから、私の中ではちょっとつまらない。そこで、新たな失敗を探す、挑戦の旅が新たにスタートすることになる。
「失敗したらどうしよう」という恐怖心、「失敗してはならぬ」という呪いの解除には、「失敗を楽しむ」が有効。失敗を観察し、気づきを言い合い、共有し、その結果湧いてくる仮説に基づき、新たな工夫をすることで「新しい失敗」の出会いを楽しむ。すると、その人は進化し続けるように思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?