動画はなぜ頭に残らないのか

息子(小6)が学校で教えてもらったとかいう動画を見た。日露戦争だったかな。「ヤバくねえ?」みたいなくだけた表現で当時の流れを分かりやすく説明してくれ、「へー!知らんかった!分かりやすいなあ!」と感心した。そして二度びっくりしたのは、思い出そうとしても何も覚い出せないこと。

面白い漫才を観て「すごく面白かったよ!」と知り合いに興奮気味に伝えたとき、「へえ、どんなネタやったん?」と聞かれて、「えーとね・・・」ほとんど何も覚えてない、ってことが昔あった。それに似た感覚。
聞いてる時はスルスルと理解できたから面白いと思えたはずなのに、記憶に残らない。

動画ってのはそういうところがあるらしい。私に時々「これを見れば分かりますから!」と動画を勧める人がいる。でも四十分とか二時間とか、非常識に長いことも多く、「内容をかいつまんで教えてもらえますか?」と聞くと、「・・・」としばらく沈黙。「ともかく見れば分かりますから!」

複数の人が同じ動画を勧めてくるから、何か新事実が?と思い、仕方なく見ても「なんや!新事実何もないやんけ!」ということがほぼ全部。兵庫県知事選に関する動画もひどかった。その内容を文字化したら何も言ってないやん、ということが分かるのに、「雰囲気」に飲まれる人多数の様子。

動画は頭の整理をしたり、物事を深く考えたり、記憶をするということに向いていないらしい。見れば分かった気になる。分かった気にはなるけれど、いざ内容を自分で説明しようとすると言葉が出てこない。「見れば分かりますから!」派が動画派に多いのは、このためらしい。

私はツイッター見てたらおわかりのように、完全に文字派。文字は不思議と頭に残りやすい。これは、文字を読みに行くという能動性が必要なこと、文字の内容を理解するという能動性が必要だからだろう。このため、文章で読んだことは、理解できたと思えた場合、概略を説明できることが多い。

ところが動画は、映像と音声で実に分かりやすく伝える事ができてしまう割に、全てが受動的。能動的にならなくても画像は流れるし音声も淀みない。このため、なにも頭に残らないという事が起きやすいらしい。

しかも、面白い動画を作れる人は一握り。ほんとうに分かりやすくためになる(と感じさせる)動画を作るには相当の努力が必要だが、それをする人はまずいない。動画は、大多数の人たちを受動的に仕向けるコンテンツのように思う。

そしてその動画が、どうやら言論の中心に躍り出た。世論は動画で形成される時代になりつつある。しかし動画には、以下の問題がある。

・理解できたつもりになる割に分かってない。
・検証が困難。間違いを指摘してもそれが文章だと読んでもらえない。動画で指摘しても面白くなければ見てもらえない。
・面白い動画を作れる人はごく少数。
・動画が好きな人の多くは文章を読むのが苦手。

それまでテレビ派だった高齢者が、ガラケーからスマホになり、動画を見るようになったことで、動画派の人口が一気に増えた。

テレビには、公平性を意識する規制があるけど、動画にはない。それでいてテレビと同様、「分かった気にさせる割に何も残らない」という特徴を持つ。こうしたメディアは扇動に使いやすい。動画は何らかの規制をする必要が今後あるかもしれない。

動画は他のネットのコンテンツと違い、エネルギーをたくさん食う。サーバーのパワーがかなり必要であるらしい。石油エネルギーが利用できなくなりつつある未来には、エネルギーの浪費を理由にして、動画を楽しむ時間の規制をかける必要があるかもしれない。

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