観察、働きかけ、ケーススタディ

亡父は子どもの頃、2つの小学校のガキ大将をしていたこともあって、子どもあしらいが非常に上手だった。私が塾を始めるにあたって、子どもの指導のコツを訊ねると「臨機応変」と言われて頭を抱えた。私が一番苦手とするのが臨機応変だったからだ。

私は大学生の時、良くも悪くも「お勉強はできるかもしれないけど極めて不器用な若者」だった。あらかじめ正解を知らないと適切に対処できない。だから「子育てマニュアル」がほしくて仕方なかった。器用極まりない父なら臨機応変もできようが、私には無理。で、いろんな教育書や子育て本を読んだ。

ところが、やはりマニュアルなんかない、という現実にぶち当たった。子育て本でよく見る失敗事例は、「こういう時にはこうすればいい」というマニュアルに従って、状況に合わせた柔軟な対応がとれず、どえらい失敗を重ねる親や教師だった。「オレやん!」私は再び頭を抱えた。

仕方がないから、私は「ケーススタディ」を増やし、似た事例に出会ったら応用を利かすことができるような「知恵」を抽出できないか、地道に調べることにした。これは、京大入試数学でとった方法でもある。京大の数学は、教科書や参考書に類例がない問題ばかりで、公式を覚えていても歯が立たなかった。

入学後、同級生にどうやって解いたのか聞いたら「公式はほとんど覚えていない、そのつど自分で公式を導いて解いた」という。私にはとてもできない芸当ばかり言う連中。私にはマネできないから、過去問を十年分集めて全部分析した。すると。

問題文は似ても似つかないものなんだけど、円が出てくるとこれとあれの解法のパターン、三角形だとこのパターンが比較的よく出てくる、というのが見えてきた。それらのパターンを頭に叩き込んでおけば、6問中1問くらいはどれかのパターンで解けることがわかった。私はそんなことしかできない不器用な人間。

で、子どもの問題でも、この時はこうするとよかった、ああすればよかった、という「後知恵」をたくさん集め、分析し、次に似たパターンが来たらそれを応用してみる、ということを繰り返した。すると、やはり時と場合によるのだけど、いくつかのパターンで対応可能なことも多いことがわかってきた。

で、大切なのは、どのパターンで対応するとよいのか、その見極めが大切なことがわかってきた。見極めるには観察するしかない。で、目の前の事象がどのパターンで対応できそうなのか、観察するうちに、「あれ?観察さえしていれば、臨機応変できるかも?」ということに気がついてきた。

阪神大震災は、当然ながら誰もが初めて経験する事態だった。マニュアルなんかどこにもない。何をどうするのか、そのつど決めるしかない。どうすればよいのか考える材料を集めるために、観察しまくった。すると不思議なことに、「ならばこうした方がよかろう」という仮説が自然に浮かぶようになった。

あれ?臨機応変を可能にするコツって、観察なのか!それに気づくきっかけをもらったのが、阪神大震災だった。私は週末ボランティアだったのだけど、金曜日の夜に着いたら被災者やボランティアからひたすら話を聞きまくり、現場を見て回り、翌日何をしたらよいのかを決める、という習慣となった。

常駐ボランティアはろくに休めず、疲れ切ってるので、自分が話したことなのに、頭の整理がついていなかった。また、他の人の話を聞く余裕もなかった。私は疲れていないから、できる限りたくさんの人から話を聞き、現状を把握できたし、これからの一週間の方針について私の考えを述べて、常駐ボランティアに実行してもらう、というスタイルになった。

私はようやく気がついた。マニュアルがないと動けない頃、私はまるで観察していなかった。目の前にしてるのに目の前のことを観察せず、マニュアルばかり見、あるいはマニュアル、正解はどこかにないかと探してばかりだった。

目の前のことを観察しないから、思いつきのアイデアを実行してチグハグな結果を招いていた。観察していないから「このマニュアル通りにやったみたらどうだろう?」とやってみて、全然合わない方法だからうまくいかなかった。でも観察してないから、事前に予想することができなかった。

観察するようになると、目の前の現象がよく理解でき、何をどうすればよいかも、観察からほとんど導き出せることがわかった。観察すれば、何が問題でうまくいかないのかよくわかる。すると、何をどうすればそれが解決できるのかも見当がつく。なんだ!臨機応変のコツは観察だったのか!

観察することで、現場で起きてる大量の情報が手に入る。その際、できるだけ自分の判断、解釈を排除し、五感から飛び込んでくる情報をありのまま受けとめる。ただ情報を受けるだけでは足りない。赤ちゃんが、初めて目にするものを叩いたりかじったり投げたり、あらゆる角度から関わることでその事象を知ろうとするように、

観察対象に可能な限り働きかけ、その反応を観察する。こうして五感を通じてかき集めた情報をもとに、仮説を立てる。だいたい情報が集まった時点で仮説が自然とわいてくるけど、何をどうすればどんな結果が出そうか、思考実験を繰り返す。うまくいかなさそうなら別の方法。こうして試行錯誤する。

そして、うまくいきそうだとアタリをつけた仮説通りに働きかけてみる。すると、それでも上手くいったりいかなかったり。上手くいかなくても、それはまた重要な情報となる。その新たな情報も加味して、新たな仮説を紡ぎ直し、別の方法を試してみる。こうすると、不器用だった私が、臨機応変もできるようになってきた。

観察するのに、以前から続けていたケーススタディが役に立った。よく似た事例なのに、この対応がうまくいくケースとうまくいかないケースがあるのはなぜなのか?分からないままのものが多かった。でも、観察するようになったことで、

よく似てるけど、同じ対応ではうまくいかないケースと何が違うのだろう?という視点で観察し直す姿勢が生まれた。すると「あ!ここが違ったからか!だとすると、次からはここをチェックすれば、どちらの対応が適切か見極められるようになるかも?」という仮説が浮かんだ。その後、複数回検証すれば、仮説が妥当かどうか検証できる。

つまり
①観察する。
②より情報を得るために、対象に働きかける。
③よく似てるケースなのに異なる結果となる場合、何が違うのか、働きかけながら探索(観察)する。
が、臨機応変のコツなのかな、と。

次のエピソードは、元教師の方からのご紹介。「観察」と「働きかけ」を有効に行っておられる。名前は仮名。

・・・・・
昔物語
わださんは、一言も話さない子だった。話しかけても、聞こえないのか、目もこちらを向けない。表情なく能面のようである。話したことを聞いたことがないとほかの子は言う。

彼女の後について、家庭訪問をした。彼女の家はアパートの二階だった。お母さんは、家では良く話すと言った。彼女は、耳も聞こえるし、話もできることがわかった。
彼女の声を初めて聞いたのは、泣き声だった。蹴飛ばされからだった。蹴飛ばしたのは、学級委員のはまざきだった。

彼女は孤立無援だった。彼女が配った牛乳は飲まない子がほとんどだった。
叱っても、諭しても、ぶん殴っても事態は変わらない。
一週間ずっと子ども達を見ていた。不思議なことを見つけた。
わださんのことを、「だわ」と言っていたが、やすこさんとともこさんは「わださん」とよんでいた。男子では、転校生のはしづめくんと、アトピーで悩んでいるもりくんは、「わだ」とよんでいた。

クラスの中で、「わださん」「わだ」と呼ぶ四人だけは、いじめに加わっていない。

席替えをすることにした。わださんを呼んで、「今度、席替え、グループかえをするけど、誰と一緒がいい?」と聞くが、じっと他を見て答えない。

「やすこさんはどうだ?」
彼女が小さくこっくりした。幻を見たような気がした。見間違いかとも思った。
「ともこさんはどうだ?」こっくりした。
心臓がドクドクした。見間違いではなかった。
「はしづめくんは?」「もりくんは?」
女子三人、男子二人の五人のグループができた。

わださんを囲むように教室奥、窓際、最後尾に席を決めた。これで、殴られたり蹴られたりすることはなくなった。
何日かたち、やすこさんの日記を読んでいたら、「わださんが、私ばかり重たいものを持たせられる。」と話したと書いてあった。

私は、アパートから外に出て、生暖かい風が吹く夜の町を歩き回った。赤い提灯が揺れていた。
「やすこさん、ありがとう。わださんが話してくれたのはやすこさんを信用してくれたからですよ」と日記に書いた。夜も10時過ぎだった。

ともこさんの日記にもわださんの話したことが登場した。はしづめくんは「わだはうるさい」と書いてあった。
四年間話さなかった彼女が話始めた。

ある日、やすこさんがテープレコーダーを貸して欲しいと言ってきた。「わださんは、私達と話すけど、みんなの前では話さない。クラスのグループ発表の時は、わださんもできるようテープレコーダーにわださんの声も録音したい」と言う。

発表は紙芝居だった。テープレコーダーが押されると、やすこさん、ともこさんに助けられたわださんの声が流れてきた。私も初めて聞く声だった。クラスの他の子も初めて。
だわやと、耳をふさぐ子がたくさんいる。

五人を一緒のクラスにして、五年生に送り出した。
新しい担任に様子を聞いた。
「授業中、しゃべってばかりでやかましいので立たせた」と話した。 
彼女が六年生の時、私は、愛知県から岐阜県に異動した。
4月16日、その学校に電話があった。

「先生、私よ、わだ。覚えとる。先生の誕生日だからアパートに行ったけど引っ越していなかった。先生のために買ったケーキは、ゆかちゃんと食べちゃった。」
私が初めてわださんと話せた時でした。

むかし、むかし、おおむかし
座敷わらしのようでエクボの可愛いやすこさん
小首を傾けて、単身赴任の父さんのことを良く話してくれたともこさん
父さんが甲子園球児だと言っていたはしづめくん。
小柄だけどハードル走は速かったもりくん。
大柄で、目がパッチリなわださん

むかし、むかし,おおむかし
まだ懸垂逆上がりが出来た頃の話でしょう
夢幻のように遠い昔の世界です
・・・・・

当初、指導はうまくいかなかったけど、クラスのみんなを観察し、その女の子のことを本名で呼ぶ子がいることに気がつき(観察)、実際本人に尋ねてみた(働きかけ)。

そして、席替えの時にその子達を配置し(仮説の検証)、様子を見た。
こうして、「わださん」が心を開き、言葉を話し出すきっかけを作ることに成功している。
こうした完全に黙っている子の口から言葉をどうやって引き出すか。それにはマニュアルはない。何をどうすればよいのか、見当がつかない。

観察することで、意外な発見をし、その発見が偶然なのかどうかを確かめるために働きかけを行い、仮説が補強されたなら試してみる。まさにそうした手順を踏んでいることがわかる。臨機応変のコツは、まず何より観察。そして働きかけ。それを繰り返すことでケーススタディを増やしていくこと。この3つ。

そうしたコツが見えてから、私は臨機応変が平気になった。何をどうすればよいのか分からない時は、ともかく観察。観察しようにも手がかりがない場合は、何でもいいから働きかけてみて、その反応を観察。そしてできれば、ケーススタディを積み重ねて観察するための「目のつけどころ」を学んでおくこと。

こうしたコツを知ると、普段から観察することが楽しくなるし、「よく似てるのに、アレとコレの違いはここにあったか!」という発見があって楽しい。私はもう、むやみにマニュアルや正解を探すことはなくなった。分からなければ観察すればよい。観察して分からなければ働きかけて変化をみればよい。

目のつけどころが分からなければ、似たケースを集めて、何が違うのか仮説を立て、試してみるというケーススタディを行う。
以上のような訓練を普段から続けていれば、私のような不器用者でも臨機応変ができるようになるようだ。皆さんもお試しあれ。
まずは観察!

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