カロリーベース食料「自給力」
カロリーベース食料自給率はインチキだ、騙されるな、という言論が最近目立つ。この指摘は妥当な面と、欠落している部分とがある。その点について言語化を試みてみたい。
まず、妥当と思われる面について。
私もカロリーベース「自給率」という計算方法は問題があると考えている。完全鎖国しさえすれば、国民が大量に餓死したとしても自給率は100%になるからだ。これでは自給率100%を達成していても食料安全保障の観点から言えば、何の意味もない。
食糧安全保障の観点なら、より望ましいのはカロリーベース食料「自給力」だろう。国民1人あたり1日に2500キロカロリーの食事が必要として、それに日本の国民数を掛け算した量のカロリーを、国内生産でどれだけ補えるか、という数字。
自給力の場合、もし完全鎖国して国民の3割しか養えない食料しか国内で作れないなら、自給力は30%ということになる。もし自給力が120%なら、2割を海外に輸出してもなお、国民全員を養うことができる、ということになる。自給力の方が、適切な指標になるかもしれない。
カロリーベース食料自給率のもう一つの問題点は、「安い穀物ばかり評価することになる」点。たとえばトマトは1個(100g)あたりでだいたい100円するが、コメは100gだと20円くらい。価格は5分の1。カロリー当たりの価格だともっと差が広がる。同じカロリーのトマトと比べると、コメは価格100分の1。
農業も商売であることを考えれば、同じ重量でコメの5倍、同じカロリーならコメの100倍の価格で売れるトマトの方を栽培したくなる。経営上、野菜はコメよりはるかに有利。コメやムギのような安い穀物は作っても儲からない。なら、野菜を生産するのは、経営的に理にかなっている。
農業を産業ととらえ、産業として発展させたいのなら、コメやムギと言った安い穀物は海外から買うことにし、野菜や果物などの高く売れる農産物に力を入れたほうが儲かる、ということになる。これは経営判断として実にまともだ。
ところで、第一次世界大戦の最中、ドイツでは「カブラの冬」というのが訪れた。小麦やジャガイモなどの食糧が足りなくなり、家畜用のエサであるカブを食べて飢えをしのごうとまでしたが、大量の餓死者が出た。実に76万2千人が餓死したと言われている。
ドイツは大戦前、小麦の約3割、飼料用の大麦の約半分を外国からの輸入に頼っていた。戦争が長期化し、イギリスによる海上封鎖が行われ、陸路でも食料が手に入れられなくなると、国民は飢えに苦しむようになった。肥料も不足し、農業生産も低下したので、よけいに飢えに拍車がかかった。
カブはトマトと同様、野菜の一種のようなものだから、たいしてカロリーはない。それでも食べずにいられないほど、国民は飢えた。そして、大勢の人々が餓死した。カロリーが稼げなかったからだ。
ドイツと戦ったイギリスも、実は飢えに苦しんだ。ドイツも対抗してイギリスが食糧を輸入するのを邪魔したからだ。ドイツの方が飢えが深刻化し、先に降伏しただけのこと。イギリスは第二次大戦でも食糧難に陥った。国内でカロリーを稼げる穀物を作っていなかったからだ。
第1次、2次大戦までのヨーロッパは、「穀物みたいな安いものは海外から買えばよい、我々先進国は高く売れる工業製品を作って海外に輸出し、その儲けで穀物を買えばよいのだ」という発想だった。彼らには広大な植民地もあり、食料みたいな安いものを自国で作るのはバカらしかったからだ。
ところが第一次、第二次大戦で多くの国が飢餓に苦しんだ西ヨーロッパは、戦後、安すぎて儲からないはずの、経営的判断からすれば栽培するのがバカらしいはずの穀物を大量生産する政策に切り替えた。
フランスはカロリーベース食料自給率で125%、ドイツは86%、イギリスは65%、イタリアは60%(日本は37%)。穀物を自国でもなるべく作り、カロリーベースでの食料自給率を一定以上確保する政策を続けている。
ここで疑問が起きる。なぜ儲からないはずの穀物を作るのか?
https://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/013.html
西ヨーロッパの各国では、穀物を生産する農家に所得補償というのを行っている。穀物価格が安くなったとしても、生産者が一定の収入を得られるよう、政府から補償金が支払われる仕組みになっている。これなら、生産者は安心して穀物を生産できる。生活できるんだから。なんなら大量に作ってしまう。
フランスなどは自給率125%なわけだから、25%分を海外に輸出しても全国民を養える。むしろ余分を海外に吐き出して、国内の穀物価格が暴落しないようにしている。なにせ、世界には78億人もの人々がいる。少々吐き出しても、誰かが買ってくれる。
ところで、ここで困ったことが起きる。西ヨーロッパやアメリカが輸出する小麦などの穀物は、アフリカの貧農でさえ太刀打ちできないほど安い価格だということだ。このため、アフリカの農家は小麦などの穀物を栽培していては生活ができない。子どもに教育を施したり、老いた親を医者に診せられない。
やむなく農地を手放し、コーヒーなどのプランテーションで雇われ農夫になる。しかしコーヒーの価格が下がると賃金も減る。減った賃金では、安かったはずの穀物が買えなくなる。しかし自分たちで穀物を栽培しても、儲からない。こうしてアフリカは、飢餓が発生しやすい基礎条件が整ってしまった。
なぜ西ヨーロッパやアメリカは、自国の農家に所得補償をしてまで、しかもアフリカの貧農も太刀打ちできないほど安値で穀物を作り続けるのだろう?これはおそらく、「安全余裕」を確保するためなのだろう。
たとえば原子力発電では、核物質が少々暴走しても大きな事故にならずに済むよう、原子炉を上部に作っておくなどの余裕をもたせることが必要となる。これが安全余裕だ。西ヨーロッパの国々が、穀物を安く生産するのは、いざというときに国民を養えるようにする、安全余裕のためなのだろう。
安い穀物を作り続けることは、西ヨーロッパの国々からすれば、完全に持ち出しだ。農家に所得補償をしなければならないのだから。所得補償の分、穀物が値下げされているようなものだ。そこまでして安く穀物を作るのは、いざというときに飢えずに済むように、という安全余裕なのだろう。
さて、日本は。安全余裕なんかありゃしない。私は野菜の研究者だが、野菜は残念ながら、カボチャなど限られた作物を除けば、カロリーが稼げない。コメは自給率がほぼ100%だが、それでも国民が必要なカロリーの37%しか食料を供給できない。
「日本は大量の食品廃棄物(食品ロス)が出ているじゃないか、それを無駄にしなければ国民を養えるだろう」という指摘も聞くことがある。確かに日本は食品ロスが多い。ただし、日本だけが突出して多いわけではない。海外の国も食品ロスは意外と多い。
日本の食品ロスは一人当たり133.6kg。これに対し、アメリカ177.5kg、フランス148.7kg - 200.5kg、ドイツ136kg、イギリス187kg。日本だけが突出して食品ロスが多いわけではないことが分かる。
https://www.mottainai-shokuhin-center.org/now/
食品ロスもまた、「安全余裕」の側面がある、ということを忘れてはいけないだろう。食品は自動車部品と違って、時間が経つと腐ってしまうものが多い。だから、流通の過程でどうしても無駄が出てしまう。そうした無駄が発生しても国民を飢えさせないようにするためには、一定の食品ロスは避けられない。
もし食品ロスがゼロになったとしたら、その国では飢餓が発生している可能性が高い。いや、飢餓が発生していても、食品ロスというのはどうしても一定程度出る。これはゼロにできるものではない。食品ロスは「安全余裕」である、という視点を忘れるわけにいかないだろう。
西ヨーロッパの国々が、作れば作るほど損をする、安くて儲からない穀物を、所得補償までして作るのはなぜなのか。その視点に立つとき、カロリーベース食料自給率という指標は、参考になる数字ではある。日本は、命を支えるカロリーの稼げる穀物をろくに作れていない、ということが分かるからだ。
ただ、穀物は絶対に自国で作らなければならないものだ、というわけではない。もし海外から確実に穀物を購入できる算段が立つのなら、海外に依存してもかまわない。もしその算段が立たないのなら、あるいは危ういのなら、食料安全保障のことを考える必要はある。
オランダはトマトなど野菜や花の生産が盛んで、穀物の自給率はわずか14%と低い。オランダは腹をくくって海外に依存しているのかな、と思ったら、カロリーベース食料自給率は66%と低くない。どうやらジャガイモなどでカロリーを稼いでいるようだ。
https://www.pref.yamanashi.jp/toukei_2/image/H27nyusenp-1.pdf
カロリーベース食料自給率を重視することは、安くて儲からない穀物にフォーカスすることになり、農業経営者からしたら憎たらしい指標になる。ただ、食料安全保障を考えるなら、やはり軽視するわけにいかない指標となる。カロリーベース食料自給率を、経営的視点で捉えるわけにかない。
では、西ヨーロッパのように農家に所得補償をして、穀物を安く生産してもらうのはどうだろうか。残念ながら日本の場合は無理。減ったとはいえ、農家が多すぎるから。日本の農家は減ったとはいえ、130万人以上いる。フランスは77万人。農地面積は日本の数倍あるのに。
広い農地を少しの人数の農家が耕すなら、所得補償をしても農家の人数が少ないので、政府負担は小さくなる。しかし農家が多く、農地が狭い日本では、所得補償をしようとすると一人一人の売り上げが小さくてしかも人数多いので、政府負担がバカでかくなる。所得補償の実施は困難。
日本はどうしても、穀物などの食糧輸入は避けられないだろう。だとしたら、世界中からなくてはならない存在になり、世界中から欲しがられる商品・製品を作り続け、それを輸出することで稼ぎ、その稼ぎで食糧を輸入するしかない。
ただ、もし日本のカロリーベース食料「自給力」がある程度大きければ、海外から稼がなければいけない負担が小さくなる。農業と非農業がそれぞれ努力して、互いに負担が小さくなるように協力し合うことが大切になるだろう。
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