「頑張る」人から「驚く」人へ 指導的立場に求められるもの
やる気なくすぜスイッチ」を押してしまう人は、頑張り屋さんなことが多いように思う。家事も料理も子育ても手を抜かない。そんな頑張り屋さんの親が、つい押してしまうのが「やる気なくすぜスイッチ」なのだと思う。
https://note.com/shinshinohara/n/nf98304211f72
頑張り屋さんは、子どもの頃からの頑張り屋だったりするのかもしれない。このため、自分のパフォーマンスを最大化することでいろんな難局を乗り越えてきた成功体験がある。だからついつい頑張ってしまう。問題の解決には頑張りズムが特効薬と思い、それをつい我が子にも勧めてしまう。
ところが、親とか上司とか、人を指導する立場になると、力こぶの入れどころが変わってしまう。自分が子どもの間、部下の間は、自分のパフォーマンスを最大化することが成功への道。ところが指導的立場に立つと、子どもあるいは部下のパフォーマンスを最大化することが大切になる。
もし指導的立場の人間が自身のパフォーマンスを最大化させてしまうと、ノウハウと経験の蓄積があるものだから、子どもや部下と比べて圧倒的になってしまう。そんな偉大な見本を見せられると「ああ、素晴らしいですね。とてもマネできると思えません」となり「やる気なくすぜスイッチ」が入ってしまう。
指導的立場に立つ人は、自分のパフォーマンスを最大化させることをやめ、子どもや部下のパフォーマンスに「驚く」立場に変わったことを自覚する必要がある。自分が頑張るのではなく、子どもや部下が頑張った時に「驚く」ことで、パフォーマンス向上を目指す立場に変わっている。
つまり、親や上司など指導的立場になった人は、自分のパフォーマンスを最大化することは控えるようにし、むしろ子どもや部下から半歩遅れて、彼らの工夫や努力、苦労に驚き、彼らのパフォーマンスを最大化することに力こぶを入れる必要がある。立場が変わったことに自覚が必要。
「やる気なくすぜスイッチ」を押してしまう人は、自分が頑張るのをある程度諦め、少しダメなところを見せて笑ってるくらいにし、子どもや部下の能動性に驚き、面白がることで、彼らの成長を促す立場に変わったことを自覚し、シフトして頂いた方がよいように思う。
肩の力を抜いて、仕事も少し手抜きして、その分を子どもや部下に補ってもらう。能動的に補ってくれたことに驚き、感謝することで、能動的に動くことを楽しいものに感じてもらい、ますます能動性を高め、結果的にパフォーマンスを最大化する。それが指導的立場の人の役割だと思う。
そして「パフォーマンスの最大化」には、休息も必要。遊ぶことも必要。交友も必要。体を動かすことも必要。家事をこなすことも必要。家族との団らんも必要。そうしたものを過不足なく味わった上で初めてパフォーマンスは最大化するものだという認識が大切。24時間戦える奴なんていないんだから。
私が子どもの頃、日本で一番難しい試験は弁護士になる試験(司法試験)だった。それに合格した人が面白いことを言っていた。合格するには三千時間もの学習時間が必要なのだけど、1日12時間机に向かって勉強しても、学習時間にカウントできず、ゼロと見なすしかないときがあるという。
集中できた一時間があれば、一時間カウント。でも6時間机に向かって勉強しても、集中できたのが10分でしかないなら10分しかカウントできない。このようにして、集中できた学習時間が合計3000時間必要なのが、司法試験だという。この集中した3000時間をいかに確保するか、工夫が必要。
友達から誘われて断り、勉強しても手が着かなくなるくらいなら、一緒に遊びに行って、帰ったら集中して学んだ方がよい。家族の勤めを放棄して勉強ばかりしてると居場所感が失われる。なら家事を自分も分担した方がよい。休みを取らなければ集中に欠ける。ならば休んだ方がよい。
パフォーマンスを最大化するには、人間ならではの欲求を程よく満たし、充実させた上でなければ無理。だからその分、様々なことに時間と労力が割かれて当然。
その弁護士によると、1日に三時間の集中ができたら、大変調子がよい方だったという。その三時間を生み出すための準備が大切。
だから、「パフォーマンスの最大化」なんて言ってみたけど、実は大したことはできはしない。楽しんで取り組むことが、パフォーマンス向上につながる。だから、子どもや部下が楽しそうに取り組めていたら、よしとする、というのが関の山。
肩の力抜いて、子どもや部下が楽しそうに取り組み、それに時々驚かせられる。そんなノンビリ構図が、実はいちばんパフォーマンスが高い状態なのではないかと思う。