「強いリーダーシップ」考
日本にすっかり根づいてしまった「強いリーダーシップ」。私の見るところ、小泉純一郎氏の影響が決定的だったように思う。「自民党をぶっ壊す!」と、自分の根城の破壊宣言をして拍手喝さい、選挙で大勝し、安定政権を築いた。
小泉氏に憧れて、日本中で「強いリーダーシップ」が大流行した。企業も、地方の政治家も。もうウジャウジャ。そしてろくでもないことになった。部下の話を聞かないことが強いリーダーだと勘違いした人物続出。
部下たちが「それはまずい結果になりますよ」と制止する声を「既得権益を守ろうとする守旧派」とみなし、自分の思いつきでしかないアイディアを何としても実行させる。それが強いリーダーシップだと勘違いした人が非常に増えた。自分に反対するものはみんな既得権益層。
反対を押し切って改革を進めるリーダー。自分がそれであると陶酔できるのは、実に気持ちのよいことだと思う。そして自分に反対する人間をすべて既得権益層だとみなすのは、自分が仮面ライダーで周りはみんなショッカー(たとえが古いか)みたいな気分で、実に心地よかったと思う。
しかし、反対するには反対するだけの理由がある。それを全く聞かずに実行した結果、悲惨なことになっている話はあちこちで聞く。「ミニ小泉」が日本中にわいたことは、日本を長きにわたる停滞に陥らせた、大きな原因の一つのように思う。
私は、個人的には小泉氏を嫌いではない。どんなに耳の痛い諫言でも耳を傾ける度量があった。いわゆる「塩じい」からも、直筆の手紙をもらったことがある。「郵政民営化の件を例外として」強い諫言に耳を傾ける度量があったことは、個人的には評価できることのように思う。ただ。
郵政民営化については他の意見に全く耳を傾けなかった。その姿を見たせいだろう、「ミニ小泉」の多くが、「反対意見に一切耳を傾けないのが強いリーダーシップなのだな」と勘違いした。この「強いリーダーシップ」教は、政敵であるはずの野田元首相も感染したほど強力だった。
そうした「強いリーダーシップ」教が日本に流行し、勘違いしている「ミニ小泉」が横行している中で、「政治主導」がスタートしたことは、タイミング的に最悪だったと言える。官僚たちを既得権益層とみなし、諫言してきた人間のクビを飛ばすのが強いリーダーシップだと勘違い。
https://note.com/shinshinohara/n/nd64bd66c3972
部下の諫言に一切耳を傾けなかった「強いリーダーシップ」は、過去に事例がある。有名なところでは殷の紂王。最初は賢王とたたえられ、部下の話をよく聞いたが、やがて部下の言うことを全く聞かなくなり、国を滅ぼした。今では中国史に残る悪王として知られる。
昔から、優れたリーダーは部下の諫言を聞き入れることで知られている。「良薬は口に苦く、諫言は耳に痛し」という言葉がある。諫言というのは一種、リーダーの悪口に聞こえる。自分がやろうとすることを注意されるのだから。一瞬機嫌を悪くするところ、「聞こう」と言えるのがリーダーの器。
徳川家康は、恐怖のあまりウンチをもらしたことがある。その時のことを忘れまいと思い、絵を描かせて残している。自分はそんな情けない人間なのだ、偉そうにしてはいけない、と自らを戒めるため。家康は、そうして部下たちの意見に耳を傾けるリーダーとなった。
横山光輝「三国志」を読んだ時、主人公の劉備がパッとしないことに、子どもの私は強い違和感を覚えた。それまで主人公というのは強くて賢く、その能力の高さでみんなから憧れられる人物だった。ところが劉備は関羽や張飛、趙雲と比べると武力で全然かなわない。知略では孔明に及ばない。
頭脳でも腕力でも部下に勝てない。むしろ部下の方が優れているのに、なぜリーダーになれるのだろう?と不思議だった。
恐らく劉備が圧倒的に備えていた能力がある。どんな豪傑よりも、優れた軍師よりも、圧倒していた力。それは「部下の承認欲求を満たす力」。
曹操軍に囲まれ、なんとか劉備の子どもを救い出した趙雲。本来なら、劉備は我が子の無事を何よりも喜ぶはずのところが、横山光輝「三国志」では驚きの行動をする。我が子の無事を喜ぶより、趙雲に「危険な目に遭わせてすまなかった、お前を失ったらいったいどうしたらよいのだろう」と。
趙雲は、我が子の無事よりも自分の無事を心から喜んでくれた劉備の姿に感激した。こんなことがあったら、「この人のために奮闘しよう」と心に誓うことだろう。実際、劉備のもとでは、豪傑たちが、智謀の士が、劉備のために必死になって働いた。承認欲求を強く満たしてくれる人だったからだろう。
劉備は、自分の至らぬところを平気で認める人物だった。そして部下がその不足を補ってくれると、それに驚き、それに感謝した。部下はそれが嬉しくて、さらに活躍しようと努力した。劉備はさらにそれに驚いた。その好循環をつくるのが、劉備は圧倒的にうまかった。
人間は不思議なもので、自分の承認欲求を満たしてくれる人を尊敬したくなるものらしい。人間は、実はどこか不安。自分はこの世に生まれてきてよかったのだろうか、生きていてよかったのだろうか、と。親は愛してくれるけれど、第三者で自分の存在を認めてくれる人はいない、と不安でいっぱい。
だけどもし、第三者であるにもかかわらず、「お前のおかげで私はどれだけ助けられたか」と驚き、感謝してくれる人がいたとしたら。自分は生きていていいんだ、この世に生まれてよかったんだ、と思えるようになるだろう。承認欲求を満たしてくれるということは、自分を肯定できるからとてもうれしい。
そして、自分を認めてくれる人は、ぜひ立派な存在であってほしい、と考えるものであるらしい。自分の価値を認めてくれる人が立派であれば、その人が認める自分の価値も自然と上がるから。だから、承認欲求を満たしてくれる人を、自然と尊敬したくなる心理が働く。
昔の優れたリーダーは、こうした心の仕組みをよく知っていたのだろう。周の文王、晋の文公、孟嘗君、劉邦、光武帝、劉備、豊臣秀吉、徳川家康、西郷隆盛、大山巌、東郷平八郎。こうした人物に共通するのは、部下の承認欲求を満たし、感奮させる力。
もし「政治主導」の仕組みが動き出したとしても、こうした「承認欲求を満たす力」に優れ、諫言を言う部下のやる気を引き出すことができる大きな器の人物が政治主導を行ったら、官僚システムがここまでガタガタになることはなかっただろう。しかし残念ながら「ミニ小泉」がスタートに立った。
自分に逆らうものは既得権益層だとみなし、諫言に耳を傾けず、クビを飛ばす。こうした様子を、さらに下の人間は冷めた目でみつめる。どう考えてもまともな諫言だったのに、聞くどころか左遷させ、クビにしてしまう。これではやりがいもクソもあるものか、となって仕方がない。
ミニ小泉と「政治主導」は、最悪の形で、最悪のタイミングで出会ったと言える。その結果、「強いリーダーシップ」がこれほど害悪があるものなのか、ということがよく見えたように思う。
部下の力を引き出し、集団としての力を発揮させるのは、部下の言葉に耳を傾け、それが耳に痛い諫言でも辛抱強く聞き、不足する視点は「もうちょっと考えてみて」と促し、出されたいくつかの案から最適なものをチョイスする。それが本来のリーダーシップのように思う。
「ミニ小泉」が、自分の思い通りのことを進めようとするのは、一種の幼児性だと思う。幼児は自分の思い通りにならないと泣き喚く。我を通そうとする。3歳くらいの頃。人間は強権を握ると、もう一度子どもに戻っても構わない、と思ってしまう生き物らしい。で、3歳に戻ってしまう。
「大人」とは、そうした幼児的欲求が自分の中に存在することを認めつつ、それを出さずに済ませる「知恵」を身につけた人のことを言うのだろう。西郷隆盛も大山巌も、若い頃は才気煥発の人物だったという。しかし人の上に立つようになり、次第にちょっと愚かなくらいの雰囲気をまとった。
リーダーがあまりに才気走っていると、部下は「こんな案を言ったらバカにされるかな」と気後れする。だから西郷や大山は、ちょっと愚かな風に装って、部下がなんでも言いやすい空気を作っていた。そして何を言っても驚き、面白がるようにしていた。それにより、意見百出するようにしていた。
これは松下村塾の吉田松陰もそう。松蔭はわずか11歳で藩主に講義をするほどの優れた学識を持っていたが、塾生に教えるというスタイルではなく、塾生と共に首を傾げ、塾生の意見に驚き、面白がるという、非常に変わった指導法をしていたという。
何を言っても許される。そして面白い意見を言えば「面白い!」といって驚いてくれる。だから松下村塾は若者たちに人気だったのだろう。だからこの塾からは、明治維新の原動力となる人物を多数輩出したのだろう。そのリーダーとして、吉田松陰は尊敬されたのだろう。
面白いものだ。塾生と対等どころか、塾生のアイディアに驚くという、一種へりくだったかのような態度を松蔭がとったからこそ、塾生たちは吉田松陰を尊敬し、死後も松下村塾の塾生であることを誇りに思ったのだろう。
政治家の人たちは、こうした人間の心の仕組みをもう一度思い出していただきたい。強いリーダーシップ?ああ、もうやめやめ。そんな害毒まき散らすのはもうやめなはれ。それよりは吉田松陰や西郷隆盛らを見習い、部下を感奮させ、やる気を引き出すリーダーシップこそ学んだほうがよい。
自分よりも部下の優れた点に驚こう。自分にはなかったアイディアに驚こう。耳の痛い話を伝えてくれたその勇気に驚こう。そして感謝しよう。そうしたリーダーにあなたがなれるなら、きっと部下たちはあなたを尊敬する。自分の承認欲求をこの上なく認めてくれた人物として。
もし日本がこうしたリーダーシップを取り戻せるなら、日本はまだまだ化けることができるように思う。今からでも遅くはない。過去の、部下たちのやる気を引き出したリーダーたちを思い起こし、そのマネをしてほしい。そこに日本再生のカギがあるように思う。