「存在」の姿は関係性で変化する
私達は鉄は鉄、意地悪な人は意地悪、などと「存在」を固定したもの、変化しないものと捉えがち。しかしケネス・ガーゲンは、関係性次第で存在はいかようにも変化するものだと捉えている。このことが如実に現れるのが、ユマニチュードという看護・介護技術のように思う。
暴言を吐く、反抗し、暴力を振るう、という高齢者がいて、看護師たちは手を焼いていた。必要なケアさえも叫び、抵抗するので、「なんと反抗的な患者なんだろう」と困り果てていた。
そこにユマニチュードの伝道師であるジネスト氏が近づき、ケアを始めると、ウソのように穏やかになり、協力的に動き、最後、お別れを言うと、なんと寝たきりが長く続いていたはずなのに立ち上がろうとし、ジネスト氏にVサインして見送った。なぜ他の看護師はみんな手を焼いたのに、ジネスト氏だと素直にケアを受けたのだろう?
それまでの看護師とジネスト氏では、「関係性」の作り方が違っていた。普通の看護師はそれなりの大声て声をかけてからケアを始めるのだが、手を振り払い、抵抗されていた。
しかしジネスト氏は、随分距離のあるうちから、高齢者の正面から近づくようにし、高齢者が認識してくれる距離まで近づいた。
実は、認知症が進むと、トイレットペーパーの芯を通して見るような視野の狭さになっていて、横から何か言われても気づかないことが少なくないらしい。このため、高齢者からすれば看護師が突然手を握ってきたような認識になったらしかった。ジネスト氏は高齢者が気づくまでアクションを起こさなかった。
また、それまでの看護師は腕を上から握っていた。しかしそれだとどこかに連行されるような恐怖を覚え、思わず拒否してしまう。しかしジネスト氏は「手を握ってよいですか?」と声をかけ、目様で了承を取った後、下から支えるように手を持ち上げた。こうすると振り払う自由が担保され、不安がない。
このように、それまでの看護師とジネスト氏では高齢者との「関係性」に大きな違いがあった。それまでの看護師は、高齢者が十分認識できるようなアプローチをとらず、有無を言わさぬ印象を与える接触の仕方をしていた。しかしジネスト氏は、常に高齢者が認識できるように、そして高齢者の意志を確認した。
高齢者は、ジネスト氏の一つ一つの言動、動作から、「この人は私の意志を尊重してくれる」と感じ、「ではその好意には応じなければ」と、好意的な反応を引き出していた。ジネスト氏のアプローチが、良好な関係性を作り出し、「乱暴な高齢者」のはずの人物を、素直で茶目っ気のある高齢者に変えた。
このように、関係性次第で存在は変わる。人間は関係性次第で存在を変える、変幻自在な存在なのだと思う。
私が指導し始めた子が、泣いていた。親によると、教室の花瓶を割って先生に叱られたという。「僕じゃない」と言っても信じてもらえず、泣いていた。親御さんもその子の言う事を信じなかった。
その子の妹たちまで「どうせそそっかしいお兄ちゃんのことだから」と、花瓶を割ったのはお兄ちゃんに違いないと考えていた。先生からも家族からも信じてもらえない状態。
確かにその子はそそっかしかったが、私は、誰にも信じてもらえないこの子の状況は大変まずいと思った。このままでは心が潰れる。
私は「学校の先生にお話をうかがいたいので、つないでもらえますか」と親御さんに頼んだ。
で、学校を訪問すると、教頭先生まで控えていた。家族でもない人間が何を怒鳴り込んできたのか、と不安になったらしい。でも私がひたすら学校の様子を聞くだけだとわかって、安心したらしい。
最後、「この子は私が面倒見ます。この子はきっと変わります。しばらく見守ってやってください」と頭を下げた。
すると1週間もしないうちに、先生から初めてほめられたと、明るい顔で当の子が嬉しそうに。どうやら「この子がどう変化するのだろう?」と印象が変わり、先生との関係性が変わったらしい。
その子はそれまで、学年最下位から2番目だったけど、メキメキ成績を伸ばし、高校ではトップクラスの成績を誇り、中堅大学に現役合格した。
関係性が変わると、子どもは変わる。積極性が生まれ、学習にも前向きになる。関係性が変わると、存在は変化する。
ピグマリオン効果というのが知られている。デタラメに選んだ子どもたちのことを「この子たちは特殊な検査で大変有望であることがわかっている」と教師に伝えると、実際その子たちは成績が伸びたという。教師の接し方、つまり関係性が変化したからだと考えられている。
「あいつはどうせあんなヤツ」とみなし、存在を決めつけ、見捨ててしまう人は多い。しかし、そんな人に変えたのは「関係性」なのかもしれない。もし関係性が変化したら、その人の存在は変わるかもしれない。
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