赤の他人だからこその子育てアシスト

その子は地域のトップ校に通っていて、不登校になった。原因は本人にもよくわからない。今日は行く、明日こそ登校する、と言っては、やはり行けないという毎日が続いていた。親は脅したりすかしたり、ありとあらゆる試みをしていたがうまく行かず、私のもとに相談に来た。

私は特に高校に行けとも何とも言わず、「うちに勉強しに来るか?」とだけ誘った。週に3日ほど、夜だけうちに勉強道具をもってやってくる。私は新聞を読んだりパソコン仕事をしたり。特に勉強を教えるわけでもなく、一緒の時間を過ごした。

そのうち、専門学校に通うようになり、うちにはたまにしか来なくなり、しばらくのち、大学に進学した。結局、私がしたことは、夜に一緒の時間を過ごしただけ。けれど、それが大切なのではないかと感じていた。

今の子どもたちにとって、学校は「第三者と関係を作る唯一の場所」になっていることが多い。もし不登校になると、人間関係は家族だけに限られる子どもが多い。何しろ、どの大人も会社員になっていて、日中は会社の中に閉じこもっているのだから。

個人商店が立ち並ぶ商店街が機能していた時代なら、学校に行かない子どもがいたとしても「なんならうちの店を手伝うか?」などと言って、声をかけてくれることもあっただろう。しかし商店街なんて、今はどこもシャッター街。スーパーの店員はマニュアル通りの対応をするので精一杯。

そう。不登校になると途端に困るのは、「第三者と関係を結ぶ訓練」ができるところを失ってしまうことだ。家の中に閉じこもっているうち、家の外は敵ばかり、自分を笑いものにする人間ばかりのように感じてしまう。よけいに第三者と関係を結びにくくなってしまう。

子どもは分かっている。いつか、親の方が年を取って先立ち、自分自身の力で、赤の他人だらけの「第三者の海」に飛び込み、泳いでいかなければならないことを。しかしその訓練をするはずの学校にどうしても行けなくなる事情ができたとき、どうしたら第三者の関係を結べるのか、分からなくなってしまう。

私は、「赤の他人」であり「第三者」であることを利用して、その子に声をかけ、その子が勉強している間、新聞を読むかパソコン仕事をして、一緒の時間を過ごすようにした。それによって、次のことを無言のうちに伝えたかった。「第三者の海にも、君との出会いを喜ぶ人間はいるんだよ」

第三者と関係を結ぶことに臆病になりかけていたようだが、うちに来て一緒の時間を過ごすうち、「第三者の海」にも、自分を受け入れてくれる人はいるようだ、という安心感を持てるようになったらしい。専門学校に行くことを心に決め、大学進学も決めた。よかったと思う。

この子の面倒を見始めたころ、地元で不登校の問題を専門にしているスクールカウンセラーによる講演があると聞いて、最新の情報が得られるかも、と思って参加してみた。会場には、不登校の子を抱えていると思われる親御さんらがたくさん参加しておられた。

講演されていたカウンセラーは70歳を超している大ベテランで、地域のスクールカウンセラーを束ねる立場であるらしい。不登校の子らを相手にしているだけあって、柔和な優しい顔、穏やかな語り口。
けれど。
話を聞いている間に、無性に腹が立ってきた。不登校の責任を、すべて親にかぶせる内容に。

子どもが学校に通おうとしないのは親の語りかけ方が悪いからだ、子どもにはこう接しなければならない、子どもがこう反応するときは親の態度が悪いのだ・・・すべてを親のせいに。親がすべて解決すべきこと、というように。カウンセラーのあんたは何をやるねん?親のせいにしているだけやないか!

私は講演途中で我慢ならなくなり、怒鳴ってしまった。「ここに来ていらっしゃる親御さん、もうみなさん十分自分を責めてらっしゃるはずなのに、お話だと親御さんのせいにばかりにし、解決する責任も親にある、というお話ばかり。そんなことなら誰だって言えますよ。」

「学校に行けないということは、第三者と関係を結ぶ場がなくなるということ。不登校で一番困るのは、勉強より何より、第三者と関係を結ぶ訓練をする場を失うこと。第三者はどこにいったのですか?お話の中に全然出てこないじゃないですか!」

講演終了後、途中で大声を出した非礼を詫びながら、それでもなぜ、親御さんにばかり解決を求め、第三者の力を借りようとしないのか、尋ねた。すると講師の方は優しく、「昔で言うご近所の力ですよね。私もそれがあればどれほどよいか、と思います。でも今の日本では、望むべくもないのです」

私は正直な気持ちを言ってくださったことに感謝すると同時に、絶望的な気持ちになった。現場を取り仕切る専門家が、学校以外に第三者と関係を結ぶ手段を全然模索できていない、ということに。学校しかその場はない、という硬直した姿勢に。

親は決して第三者になりえない。だから、親が何を言っても子どもは、第三者と再び関係を構築できるか、自信を持てない。その自信を与えることができるのは、第三者だけだ。正直言って、学校の先生や専門家にも難しい。なぜなら、その人たちはそれを仕事にしている「関係者」だと子どもにバレてるから。

その子とつきあうことに何のメリットもない。その子と関わりあう責任も義務も何もない。そんな第三者が、その子と関係を結ぼうとする、という人がたった一人いるだけで、その子は「第三者の海」にも自分を受け入れる人がいる、ということを知ることができる。

2年前、電車の中で大騒ぎする子どもに諭す場面の様子をツイッターでまとめたら、非常に大きな反響があり、テレビでも取り上げられた。当時、それだけ、お子さんを抱えて電車に乗る親御さんが肩身の狭い思いをされていたということなのだと思う。それと同時に。
https://kogusoku.com/archives/20311

「赤の他人でもできる子育てアシストがあったのか!」と反応してくれる人が非常に多かったのがうれしかった。みなさん、子育てに何らかのかかわりをしたいと願っているのだけれど、子どものにない人間は口出ししちゃいけない、という強烈な遠慮があったからのようだ。

確かに、偉そうに説教するおじさんが昔は多かったし、そうした干渉を嫌がる親御さんも多かった。その結果、第三者は全く親御さんに干渉することなく、すべて親が子どもの起こす問題を処置しなければならなくなった。今の親御さんは、ものすごく孤立しがち。

むろん、よけいな干渉は無用だが、赤の他人だからこそできる子育てアシストがある。それをやってくれる人が一人いるだけで、親ではどうしようもなかった問題が簡単に解決することがある。ほんのわずかなことで、かみ合わなかった歯車がガチっとかみあうようになる。

迷惑でない程度に、でも、困っている様子があり、自分がほんのちょっと関わるだけでスルリと解決しそうであるなら、「赤の他人による子育てアシスト」をやってみることを、お願いしたい。今の親子は、社会から孤立しがち。ほんの少しだけ、サポートをお願いしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?