農業の大規模化は政治力を小さくする?
農家(農業従事者)の数はいまや、152万人。今世紀当初は300万人いたのが、半減。まだ高齢の農家が多いから、さらに減っていくだろう。少ない農家でたくさんの農地を耕す農業経営にシフトしていくことになる。効率をドンドン高めていくことは、とてもよいことのように思える。
農家が減ればどうなるのか。農業のことが忘れ去られやすくなるかもしれない。
江戸時代には、約8割が農民だった。第二次大戦が終わったときでも、45%は農家。都市住民でも農家出身が多く、農家の政治力はとても強かった。なにせ、票があるから。
しかし今や、農家は国民の1.2%しかいない。投票してもたかが知れてる。都市住民も、親がすでに都市住民で、農家を親戚に持たない家も増えた。農家の政治力は急激に衰えている。農業の大規模化を進めれば、ますます農業の政治的存在感が低下していくだろう。
ここで不思議なのは、なぜアメリカやフランスといった先進国は、農業の政治力が強いのか、ということ。アメリカもフランスも、農業の大規模化が進み、日本以上に農家が人口に占める割合が小さい。つまり、票にならない、はず。ところがこれらの国では、農業は極めて重要な政策課題。
アメリカやフランスともなれば、大規模化が思い切り進み、農家が大儲けしてるから経済力があり、そのお金で政治を動かしているのだろう、と推測したくなる。ところがアメリカもフランスも、農業は、経済的にはお荷物になっている。補助金なしには農家の生活が成り立たない。
政府からの補助が農家の所得に占める割合は、日本は15.6%、アメリカは26.4%、フランスは90.2%。
アメリカもフランスも、農家は国民の1%程度しかいないのに、その点では日本と変わらないのに、政府から大きな資金を引き出すことに成功している。なぜ日本はそれができないのだろう?
補助金がそれだけたくさんでているということは、アメリカやフランスでは、非農家の人たちが、農業にそれだけの資金を投入することを同意しているということ。しかし日本は「日本農業は甘やかされている、補助金だらけ」と批判されてきた結果、アメリカやフランスより補助金がずっと少ない。
農家が今後もますます減っていけば、農家の声はますます国民の耳に届かなくなり、農業は意識に上らなくなるだろう。国の行く末を考える際、農業や食料の視点は抜け落ちやすくなる恐れがある。
特に、日本最大の政治力を誇った農協が、弱体化著しい。農家が減りに減ったし。
いまだに、農協は「既得権益を守ろうとする抵抗勢力」扱い。日本の将来を憂いて農協が何か提言しても、抵抗勢力が何か言ってる、と冷笑を浴びせられる有様。かと言って、農協に代わる政治力のあるものは生まれていない。農業は、大規模化が進めば進むほど、政治力を失いかねない。
すると、大規模農業を支えるべき政治的支援がなくなることで、農業が成り立たなくなる、という奇妙なことが起きかねない。
なにせ、世界最強の農業国と言えるアメリカが、農業だけでは食っていけず、政府から補助金もらってようやく暮らしているのだから。
日本は、アメリカやフランスと比べ耕地が狭く、農業の大規模化が(北海道を除いて)難しい。条件が不利な上に補助金もろくに出ない日本で、農業経営は厳しい。しかも農協の言うことはみんな既得権益のためだと批判されるから、誰も聞きやしない。かと言って、農協に代わる政治勢力もない。
こうなると、非農家の人たちが自ら農業のことを考え、支えるつもりにでもならないといけないことになるが、普段の仕事に忙しく、農業のことまで考える余裕はない。となると、やはり農業の政治的プレゼンスは下がる。これは、日本の食料安全保障に大きく関わることになる問題だろう。
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