「農協=悪の組織」論に水を差してみる(アマノジャクとして)

90年代の頃から農協は絶大な権力を誇りながら旧態依然としている組織だとして、批判されていた。そうか、農協はいろいろ問題のある組織なんだな、と思いながら2001年に中国に行ったとき、目から鱗の発言が飛び出た。中国の農業研究者は「農協がある日本か羨ましい」と言った。

中国には小規模農家を守る組織がなく、農家自らが発言していく組織もないという。中国にも農協のような組織をつくれたら、と、その中国人農業研究者は語った。

こうした意見を聞いてから、農協批判を耳にしても、鵜呑みにするのではなく、その「前提」を問うところから始めよう、という気になった。
今の日本では、農協悪者説が主流。農協ならいくら叩いても構わないといった状況。農協が話題に出れば、とりあえず耳にしたことのある悪口言っとけばよいような。

たとえば、農協には組合員と準組合員がいる。組合員は農家だけど、準組合員は非農家。準組合員のほうが組合員より多いじゃないか!農協は農家のための組織のはずなのに!と、この点も批判されることがある。しかし、これも「前提を問う」と、そんなに悪いことか?という気もしてくる。

前にもまとめたが、日本は農家への補助金が意外に少なく、欧米先進国は日本より大幅に補助金が多い(日本は15.6%、アメリカは26.4%、フランスは90.2%)。これは、穀物価格を国際価格で売っても農家が生活していけるよう、所得補償をしているからだ。
https://note.com/shinshinohara/n/n7f4bb6a00afe

興味深いのは、欧米先進国でも農家は人口の1%強しかいない。なのに、残り99%近くの非農業の人たちが、農家の生活を支えるだけの補助金を出すことに同意しているのはなぜだろう?他方、日本は農家や農協に補助金を出すことに渋り、非常に批判が根強い。

農協の準組合員を、アメリカやフランスにおける「農家じゃないけど、農家の生活が成り立つように支援する期のある応援団」としてとらえるなら、決して悪いことではない。対して、アメリカやフランスは、国が農家に所得補償をしているのに、日本は非農業の人が農家を支援することをちょっと渋りすぎ。

ただ、農協も準組合員を、ただの貯金を預けてくれる人扱いしている面があるようなので、この人たちを農家を応援してくれる人になってもらうよう、努力する必要はあるだろう。黙っていても農協に味方してくれるとは限らない時代にはなっているから。

農協も地域によっていろいろで、たとえば浜松の農協は進取の気性に富み、新しいことにチャレンジする農家を応援するし、農協自身もそれを推進している。浜松で水耕栽培の生産者が多いのもそのため。

他方、水耕栽培が全然盛んでない地域で水耕栽培を始めた方は、農協の理解と協力がちっとも得られず、すごく怒って農協やめてしまった、という話も聞く。結局、農協はその地域の農家が運営しているので、その地域でイレギュラーな取り組みは受け入れづらかったり。

うちの田舎は、幼稚園の学費を納めようと思ったら、JAバンクで口座を作るしかなかった(郵便局さえNG)。びっくりした。またまたびっくりしたのが、他のJAバンクの口座に送金しようと思ったら、できなかった。え?JAバンクって、全国で一つの金融機関と違うの?

正直、私も農協の組織はよくわからない。本で結構読んだけど、ややこしくて全容がつかめない。何より、実感がわきにくい。いちおう勉強しようとした私でさえよくわからないのに、一般の方だともっとわからないと思う。わからないのに単純に悪だとみなすのも、考えもの。

他方、田舎に住んでいると、農協が紹介する業者だと安心できる。無茶な価格は吹っ掛けないし、騙されることもまずない。農協が一定程度、目利きとして機能するのだろう。だから田舎は農協の利用者が多いように思う。

ただまあ、少子高齢化で田舎は人がますますいなくなっている。農家として頑張ってきた人たちも、あまりに高齢になったので農業をやめる人続出。担い手農家が耕作を一手に引き受けている。地域に農業をやっている人の人口が、非常に少なくなってきた。

遠からず、農協を支えるべき農家がほとんどいなくなってしまうだろう。そうなれば、農協にスタッフを抱えていられなくなる。農協は葬式でもガソリンスタンドでもマッサージ機での販売でも、なんでも手掛けていたけど、そんなマルチな商売は今後、難しくなってくるだろう。農協が農協でいられるのか?

大規模経営の農家は、農協批判の急先鋒に立つことが多い。もし零細農家が高齢化で一掃され、大規模経営の農家ばかりになったら、農協は存在していられなくなるかもしれない。そうなったら、いったいどんなことが起きるのだろう?

大規模経営の農家は、ごくわずかな人数で大規模な面積を耕す。このため、零細農家が狭い面積の畑を耕していた時と違って農業従事者の数はグッと少なくなる。しかも、農協がなくなったら、ガソリンだとか葬式だとかで雇用していた人たちが地域でいなくなる。「農業関係者」が減ることになる。

農業に関係しているのは、大規模経営の生産者と、そこで働く従業員のみになる。つまり、農業従事者は減り、農業関係者は壊滅的となる。その結果、選挙になると農業は「票」にならなくなるだろう。政治家は、農業関係者の声を聞かなくなってしまうかも。

もうそれはすでに起きていると言えるかも。農家が減り、農協も人が減り、親が農家だという人も減ってきて、都市で生まれ育った人が国民の大半になってきた。農業は国民にとって縁遠くなっている。農業でお困りごとがあっても、大半の国民にとって、関係のない話になる。

さりとて、大規模経営の生産者が一致団結して声を上げても人数にならず、つまり票にならず、政治家は農業問題を取り上げなくなってしまうかもしれない。無視しても当選できるから。

大規模経営の生産者としては、農作物を買ってくれる流通小売りなどと連携して政治を動かしたいところ。だから協力関係を作りたいところだけれど、もし流通小売りの方が圧倒的に大きくて強い場合、流通小売りは大規模経営とはいえ自分よりは小さい生産者を締め上げるほうを選択するかもしれない。

「おたくが価格を下げないなら、別のところから買うよ」という価格交渉を、強い立場から流通小売りにやられた場合、大規模生産者とはいえ、各個撃破されるかもしれない。大規模生産者同士で連携しようにも、ライバル関係であることをうまく刺激されて連携が図れないと、厄介なことになるかも。

昔のように、商店街の小さな商店が軒を連ねていた時代だったら、むしろ大規模生産者の方が価格交渉力について優位に立てたかもしれない。しかし大店法改正で、巨大スーパーが各地に立っていて、流通小売りの方がはるかに巨大で、価格交渉力が上になってしまうかも。

その時、農協のような、取りまとめ役の組織がないことが、弱点になるかもしれない。その時、大規模生産者も方針を変え、第二の農協を作り、巨大な流通小売りに対抗するようになるのかもしれない。

まあこの辺は、夢想。何がどうなるかわからない。また、石油がどうも高騰を続ける様子。エンジン車文明が終わりをつげ、電気自動車の時代になると、パワー不足のために流通コストが跳ね上がるかもしれない。そのとき、現在の巨大な流通小売りが有利になるとは限らない。

また、石油高騰で燃料が手に入りにくくなると、トラクターなどの動力を思うように動かせない時代が来るかもしれない。そうなると、大規模農業が有利とはいえなくなる時代が来るのかもしれない。あるいは、電気で動くトラクターが開発できるのかもしれない。わからない。

未来は読めない。ただ、ああであればどうなるだろう、こうであるならどうだろう、という想像をいろいろしておくと、「こっちのストーリーに進んだか!」と、すぐさま理解できるだろう。農協に関連したストーリーも、いろいろ想像し、何より、現実をよく観察したいと思う。

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