売られたケンカの上を行く

このニュースに関連して、ケンカをふっかけられたときに収める方法を昨日紹介したけど、私の経験も2つほど紹介。
https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/articles/790e76039e03af3e9d95cf0805b0f88f656f5a36&preview=auto
職場の会議である人が吊るし上げに。事業がうまくいかない原因をその人に全部押し付けて幕引きをはかろうという「儀式」だった。幹部は盛んにその人を批判。

吊るし上げにあった当人は、自分の正当性を主張したけど、幹部は完全スルー。会議に参加してる中間・若手は、幹部の意図を読んでダンマリ。しかし、新人の私から見ると、幹部にも一定の責任があろうに、この人に全責任を負わせるのは卑怯に感じ、会議の席で手を挙げ、発言することを認められた。

「この人はいわば、カローラみたいな大衆車を作る技術を開発したわけですよね?」と質問すると、皆がうなづいた。「ところが幹部の連れてきたお客さんは、カウンタックみたいなスーパーカーを欲しがる人だった。そしてカローラ作る人にスーパーカーを作れと命じた。今回の問題は、

提供できる技術とミスマッチのお客さんを連れてきたことにある。ということは、カローラ作る人にスーパーカーを作れと命じた幹部にこそ問題があるわけで、ミスマッチのお客さん連れてきて悪かった、と、幹部の皆さんがこの人に謝らなきゃいけないんじゃないですかね?」
参加者の顔色が変わった。

「いや篠原くん、そういうことじゃなくて」と慌てる幹部。吊るし上げの人の同僚も「今、篠原さんが言ったことと同じことを感じています」と言い出して、形勢が一気に逆転。しかし幹部をあまり追い詰めてはいけないと感じたのか、吊るし上げにあった人は「失礼させて頂く」と会議室から出ていった。

吊るし上げ会議なのに当の人はいなくなるし、幹部が悪いという形勢の中でおかしな空気になったその会議は終了。その後、幹部の一人から「篠原くん、あんなことを発言したら、どこに飛ばされるか分からないよ」と言われた。私は首を傾げ、「感じたことを口にしたまでですけど?」と返事した。

その後の懇親会では、幹部の人達は「会議を途中退席するとはけしからん!」と怒ってみせた。なんとかあの人を悪者にしたいらしい。私は幹部のトップにビール注ぎながら、「まあまあ。要するに今日の会議であの人を責任者から降ろしたかったんでしょ?本人も降りると言って会議室を退席したのだし、

目的は達成したじゃないですか。でも幹部も全く傷つかずになんてのはちょっと都合よすぎですよ。ちょっとは痛み分けってことでいいんじゃないですかね。新人なので事情わかってないかもしれないですけど」と言ったら、トップの人は黙ってた。

幹部の人には次のようにも伝えた。「たった一人の人間に全責任を押し付けたら怨みが残る。押し付けた幹部もそれでは後味悪いでしょ。少しくらい幹部が恥をかくくらいがバランスとれていいんじゃないですかね」この言葉でちょっと納得してもらえたらしい。私は幸い、どこにも飛ばされずに済んだ。

私が新人にも関わらず、思い切った発言ができた理由を思い返すと、誰か一人にだけ全責任を押し付けることのいびつさを感じていたのもあったが、幹部たちの怒り方が「なんかムキになってるな」と感じたこと。なんとか自分たちの作ったストーリー通りに落とし込もうと無理してる、と感じた。

無理してるなら、自分たちもどこかで忸怩たる思いを抱いている可能性がある。そこをつつけば、心が動くだろうと感じたのだろう。
あと、大きかったのは、私が新人だったということ。事情を知らない新人が素朴に疑問に思い、それを口にしただけで他意はない、という体裁をとれた。

「新人だから事情が分からずトンチンカンなことを言ってる」という逃げ道を幹部に用意できると感じた。
また、カローラやスーパーカーという例え話にしたことで、わかりやすさで空気をひっくり返す力を発揮すると同時に、「例え話は例え話でしかない」という逃げ道も幹部に用意できた。

「実際の事情はもっと込み合っていて、新人の君にはとても理解できない」という逃げ道を用意できた。逃げ道は確保しながら、でも大筋では形勢逆転。これは「裸の王様」そっくりだと思う。子どもの「裸だ!」発言で一気に形勢逆転したけど、「子どもは愚かだから服が見えないんだ」という逃げ道がまだ残されている。

「子どもの言ったことだから」で、子どもも深く追及されずに済む。私じゃなく、中堅の人が私のような発言をしたら結構恨まれて話がややこしくなったかもしれない。新人の私だったからできた案件だったと思う。

もう一つのエピソード。京都駅で電車を待っていると、天候の急変で大幅な遅れ。ホームは電車を待つ客でごった返していた。すると客の一人がホームにいる駅員に食ってかかった。「約束の時間に行かれへんやんけ!どないしてくれるねん!」でも様子を見ると、その駅員はそのホームの管理者で、

他の駅員に指示を出してこの混乱を収めようとしてるのに、食ってかかるオッサンのせいで思うように指示を出せない様子だった。このままではますます現場は混乱を極めそう。私はオッサンと駅員の間に割って入り、駅員に「ここは任せて。あなたはスタッフに指示を出して」と引き取り、駅員を解放した。

オッサンは当然ながら私に食ってかかってきた。「何やお前は!」私はしゃあないな、という顔をしながら「私も次の電車に乗りますねん。ほら、あの駅員、ここの現場を取り仕切る人間や。そんな人捕まえてがなり立てたらさらに混乱して電車が遅れる。迷惑や」と話した。

オッサンは「何や!」と憤然としたが、言い返せなかったらしく、そばに立っていた奥さんと2人で遠くに離れていった。
なぜオッサンのウザ絡みを解消することができたのだろう?それは私が第三者であり、オッサンと同じ立場の乗客だったからだろう。

もし別の駅員が間に入ったら、オッサンの餌食になり、ますます現場は混乱しただろう。オッサンは「電車が遅れたのは駅員のせい、この場にいる乗客は皆困っている、その不満をぶつけるのは正義だ」と信じて、自分の行為を正当化していたのだろう。駅員が仲裁に入っても餌食になるだけ。

ところが私のように、オッサンと同じ乗客という立場の人間がオッサンの言い分に異を唱えると、自分の正義の根拠だった「このホームの乗客達の代弁者だ」が崩れてしまう。しかも同じ乗客という立場の人間から「あんたのせいで電車がますます遅れる」と言われたら、立つ瀬がなくなる。

私のような立場の人間だったから、ことを収めることができたのだろう。
ケンカを収めるには、それぞれの立場を利用し、わかりやすい物語を利用し、相手にも何処か逃げ道を用意し、という配慮が必要。ケンカは「落としどころ」を探ることが重要。

相手に殴られたから殴り返す、では相手の思うツボ。常に相手より1枚上に出る知恵が求められる。むしろケンカ前よりも良好な関係に落ち着く落としどころを探す事が大切。
こうしたケンカの経験が、現代日本人は非常に欠乏している。経験できる場面も少ない。でも。

私も経験を積めているだけではなかったが、昨日紹介した韓国人留学生のエピソードhttps://note.com/shinshinohara/n/n1a63e8ad449c?sub_rt=share_b

の経験から、「自分ならどうすればよいか?」を常に意識し、考え続けていたら、意外に臨機応変の対応が可能になってきた。意識して思考訓練するのはなかなか有効。


これから世界は、少なくとも数年はケンカ上等の状況が続く恐れがある。その際、萎縮するのではなく、ムキになって感情的になって事態を悪化させるのでもなく、むしろそのケンカをきっかけに自分の株を上げると同時に相手と仲良くなるような落としどころを探れないか、模索することが大切。

ケンカをふっかけてくる人間の上を行く。晏嬰が見せてくれた見本を学び、ことを収める力を、日本人も鍛えていくことが大切になるだろう。

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