公立を見下すことなかれ

(公立の中学校は危険だから通わせたくないという意見に対し)

私の通った中学校は、それはそれは荒れていました。全国的に荒れていた学年で、特に大阪は荒れていて、その大阪の中でも飛び切り荒れていると言われていたそうです。そこに私は引っ越してきてもうビックリ。
でも、荒れるには荒れるなりの事情がある、ということを学びました。

朝来たら教室のガラスが割れていてまさに尾崎豊の世界。休み時間にタバコは吸うわ、シンナー吸うわ。もう荒れまくっていました。私はそうした生徒たちから目をつけられたからもうえらいことに。私は私で変に負けん気強いからもう悪循環。集団でボコられたことも。

私は当時、「なぜ自分の身を貶めるようなことをするのか?自分で自分を不利にするのか?」と不思議に思い、タバコを吸うのをやめろと直接注意しては逆襲されたり。まあ、変に正義の味方ぶっていたんですよね。
でもあるとき、気がつきました。そうやって荒れている生徒たちは、何かしら家庭に問題が。

家に帰ってもろくに食べるものがなかったり、家族が不和だったり。腹をすかしてるのをごまかすためにシンナー吸ってたんですよね。タバコ吸うのは、ろくに子どもの気持ちを考えずに厳しく命令するばかりの大人に反発していたんですよね。そうした事情を知ったとき、

「私は偉そうなことを言ってるけど、彼らと同じ境遇にいて彼らと違う行動を取れるだろうか?」と考えてみたら、「無理だ」と思いました。私が、タバコやシンナー吸うのを「悪」ととらえられるのは、私に余裕があるから。家族がそれなりに仲良く、食べるのに困っていないから。つまり、私はズルい。

荒れずにはいられない彼らの境遇にあって、荒れずにいられるようにするには、一体何がどう改善するとよいのか?を考えるようになると、不思議と彼らも私に対して対立的な行動を取らなくなっていきました。私が彼らを「悪」ととらえなくなったことが伝わったのかもしれません。

誰もが、置かれた環境で荒れざるを得なくなる可能性があります。親はその点で重要な役割りを果たしますが、その親とて、子どもに対して適切な対応をとるには、「余裕」がなければなりません。そのためには、社会自体がもっと包容力のある形にシフトする必要があります。

しかし社会はデカ過ぎ、しかも無限にお金などの資源があるわけでもありません。限られた資源の中で、動かしがたい社会を相手に、でも多くの大人が誇りを持って楽しく暮らせ、その結果として子どもたちも腹いっぱい食べられて楽しく過ごせるようにするにはどうしたら?それが私の生涯のテーマです。

我が子に苦労させないために別の学校に通わせるのは無理もありませんから、完全には否定しません。しかし、ツイッターのような多くの人が見る空間でそれを公言してしまうことに、私は懸念するものです。なぜなら、その地域の子どもたちを見下し、見捨てることをよしとするように見えるからです。

私は、常に抗いたい。あがきたい。そうした地域があるのなら、どうやったらもつれた糸をほぐすことができるのか、工夫を考え続けたい。それを思って、ツイッターでつぶやき続けています。
しかし、地域の公立が荒れている、という表現だけでとどまるのは、公立を見下し、蔑むことになりかねません。

見下すこと、蔑むことは工夫をする努力を失わせます。心理的に切り捨て、思考しないことを選択するからです。それは、差別を固定化することにつながりかねません。だから、ご発言のような感じのものを見ると、私はムッとしてしまうのだと思います。

私は、どんな人も、どんな子どもも、必ず可能性を秘めていると考えています。その可能性を引き出すにはどんなに工夫をすればよいのか。それを考え続けることが、結果的に国の活力にもなると考えています。もしこの思考をやめ、一定の人を見下すようになると、社会はますます停滞すると考えています。

なぜなら、エリートコースを進もうとする人達の一定数も、自ら見下した人達の状態になる可能性があるからです。他方、見下された人達は、何の改善策も施されないために這い上がることもできず、結果的に、余裕を失う人たちをひたすら増やす社会に変わっていくからです。衰退への道。

社会を改善するには、エリートを伸ばすより、何かしら問題を抱えているために前に進めなくなってしまった人達の状態を改善するにしくはないと考えています。それにより、社会全体としては大幅な改善が起きることになります。みんな楽しそうになるわけですから。

今、日本は悪循環が強まる方向にばかりシフトしています。これには、新自由主義も関係しています。人をあっさり見捨てる思想だからです。しかしそのために自ら弱体化する宿命を背負っています。私には、愚かな発想にしか見えません。

どうか、人を見下していると思われるようなご発言にはご注意を。そして、どの機会、段階でも結構ですから、問題を抱えた人達の状況を少しでも改善する機会はないかと探してみてください。たとえ実行しなくても、その工夫を考え続けるだけでも結構です。その姿勢は社会にあふれ出ますから。

その姿勢が社会全体に広がったとき、社会は動くのだと思います。結局は、社会と言っても、私たちの心構え一つで変化するものなのですから。

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