得々と話す重鎮
私なら話をぶった切りますね。他の人達がいることも構わずに得々と話す人がいると、その人がどれだけ偉くてもぶった切ることしばしば。大切なのは話す内容じゃない。その場にいる人みんなが参加意識を持つこと。
その老人、心理学読みの心理学知らず。だって他の人がどんな心理か読めてないんだし。
https://x.com/ryoaso2/status/1706296719003287678?s=20
昔、少し世話したことがある元学生たちが農家になって、私の研究室を訪問したいと連絡が。「○○さんも一緒に話を聞きたいと言っているんですが、一緒でもいいですか?」その人はその分野の重鎮で、私の研究に興味を持ってくれたとは光栄だな、と思って、了承した。ただ。
「約束の時間より早めに着いてもいいですか?」と言われた。私は、若者にこういう時のマナーを伝えるつもりで、断った。「こっちも仕事の段取りがあって、早く着いたからといって仕事を中断するわけにいかない。コンビニで時間を潰すなり、予定通りの時間に来てください」と伝えた。
で、元学生たちと重鎮が到着。ところが元学生が私に向けて発する質問を、重鎮が全部答えてしまう。最初のうちは、さすが重鎮とその回答の見事さに感心していたのだけれど、元学生の質問を全部引き取って答えてしまう。重鎮は私の話を聞きに来たんじゃなかったの?そこで私は。
「何しにきたんですか?」と重鎮に言った。え?という顔をした重鎮、「いや、話を聞こうと思って」。「話聞く気がないなら、忙しいので帰っていただけるとありがたいのですが」
私の話を聞きに来た元学生、まだ私から一つも話を聞けていない。これはまずいと思った重鎮、その後は態度を改めてくれた。
今思えば、自分の到着した時間から話を始めろ、と要求したのもその重鎮だったのかも。その分野ではパイオニア的人物で、それなりの高齢でもあったから、みんな重鎮扱いしてくれて誰もたしなめてくれる人がいなくなっていたのだろう。一緒に来ていた元学生たちも当惑した顔をしていた。
私はどうも傍若無人な人が苦手。だからその人が重鎮なのはわかっていたし、嫌われるとその分野では不利になるのは分かっていたけど、「もういいや、嫌われたら嫌われたで、付き合わなくて」と腹を決めて「何しに来たんですか?」と伝えた。
すごく偉くなって誰も注意してくれなくなった人と、孤独になって誰からも相手にしてもらえなくなった人と、行動が似てくることがある。傍若無人ということで。前者はみんながチヤホヤし、後者は周囲から嫌われること承知で、正義は我にありと大声でがなり立てる。
大人になると、「敬して遠ざく」という関係になってしまいがち。忠告して恨まれるのも面倒だから、表面上敬意を示しつつ、距離を置く。偉くなった人は傍若無人に振る舞っても誰も注意してくれないから、やり方を改められない。
私は年配の方から話を聞くのが好き。年をとった方は、必ず何らかの知恵を身に着けておられる。それを吸収するのが大好きなのだけれど、傍若無人の人の話は聞いていられない。そうした人の話は、知恵というよりどこかで聞いたことがあるような話が多く、肉声という感じがしない。実感こもっていない。
みんなで話し合う場なのに、一人でずっとしゃべっている人がいると、その人は偉い人なんだよ、と紹介されていても、私はビシッと会話を止めてしまうことが多々。すると、話の腰を折られるなんて若い頃を除いて経験したことがないのか、ビックリした顔をされる。
私もこのところ、講演に呼んでもらって、話を聞いてもらう立場のことが増えてきている。みなさん、私がしゃべっていたら黙ってご拝聴、という姿勢。でも、勘違いしたらアカンな、と思う。人の話を聞ける老人になりたいな、と思う今日この頃。