「親ガチャ」考

最近、親ガチャという言葉をよく聞くようになった。生まれた家によって子どもの環境が決まってしまうのは昔からの話だが、ここにきてなぜ「親ガチャ」という言葉が根付いたのだろう?ということを、昨日のウェブ飲み会で話し合った。その中で、面白い指摘があった。じゃりン子チエ。

テレビアニメのその番組で、チエは見事な「親ガチャ」だといえる。夫婦は別れてお母さんはいない、父親はバクチとケンカばかりするろくでもない男。チエはしばしば「うちは世界一不幸な少女や」と愚痴るシーンがあったように思うけれど、その割にタフでいつも明るい。ホルモン焼き屋を自ら経営。

そして肝心なのは、私の子どもの頃、こうしたチエみたいな存在を、必ずしも非現実的だとは感じなかった、ということ。こうした子どもはいるんだろうな、という感じ。実際、私の知っている人でも、建築用重機を貸し出す会社の社長もなかなかな子供時代を過ごしていた。

戦争でみなしごとなり、食べるものがないから兄弟二人で牛乳配達の牛乳を拝借して腹を満たしていたという。まあ、泥棒。でも、牛乳がなくなるのをどこかで分かっていて、それを大目に見てくれているな、というのが分かったという。で、どこでどういう経緯だったかは忘れたけど、社長になったという。

じゃりン子チエに話を戻す。「親ガチャ」でいえば見事な親ガチャだけど、なぜチエは苦労しながらもしっかりした女の子に育ったのだろうか?商店街ではないか、という気がする。親以外にも大人たちがいて、チエがやっていけるように手助けしている。チエは親以外の大人から学んでいたのかな、と思う。

私の小学校では、二人変わり者がいる、と言われていた。一人が私なのだけど、私としては釈然としない。それはそうとして、もう一人は、パンツもズボンもゴムが切れていて、いつもおしりが半分見えていて、鼻水をいつもたらしていた子。まったく勉強が手につかず、大丈夫かいな、という子だった。

その母親が変わっていた。その子がその日、食事がない様子だったので我が家で晩御飯を食べさせていた。すると母親が来て「私も食べたい」と言い、好きなことをしゃべり、特に礼も言わずに帰っていった。高学歴で大きな会社で勤めているそうだったが、今でいうネグレクト(育児放棄)状態だった。

あれではまともに育たないだろう、と、子ども心に私も思っていた(私ももう一人の変わり者だったが)が、大人になってからその子の消息を聞いた。ご近所の、お子さんがいない老夫婦が見るに見かねてその子の面倒を見るようになり、その後、旧帝大に現役合格したという。

親がアレでも子は育つ。そんな実例を私も知っていたので、じゃりン子チエは実際あり得るだろう、と当時は考えていた。ところが、今の日本社会でじゃりン子チエは成立するかというと、私には想像できない。かなり難しいことのように思う。なぜか。「大人が隠れている」からだ。

今の日本では、全国のほとんどの商店街が「シャッター街」になっている。大型小売店が繁昌し、商店街には足を運ぶ人がいなくなり、自営業の人が減った。90年には1395万人いたのに、2011年には711万人へと半減。自営業が減った代わりに、多くの人がサラリーマンになった。

「3年B組金八先生」なんかでも、初期の頃は親の店や工場を継ぐという生徒の話が結構出ていた。自営業はとても多かった。しかし今や、高校や大学を出て仕事をするということは、どこかの企業に就職するというのとほぼイコール。家の仕事を継ぐ、という人の割合は非常に少なくなっている。すると。

子どもの目から、大人が消えた。昔だったら、「お前、学校行かずにぶらぶらしているんだったら、うちの店手伝えよ」と言ってくれる商店街のおっちゃんおばちゃんがいたりした。大人が近くにいたし、どうやって生きているのかというのも間近に見ることができた。しかし今の大人たちは。

ビルの中に隠れて見えない。会社から戻ってきたと思ったら家の中にこもっているからやっぱり見えない。今の子どもたちにとって、大人は親だけ。親しか大人のモデルはいない。親以外の大人から影響を受けたり、補助をもらったりすることが非常に難しくなっている。

昔は、「第三者の大人」が町中にあふれていて、子どもたちの様子を見てくれ、気にもかけてくれた。子どもたちもそうした身近な大人たちを見て、親以外の大人の存在を知り、必ずしも親をモデルにしなくても生き方を学ぶことができた。しかし今の日本では、それが難しい。

「親ガチャ」という言葉は、親以外の大人と出会い、親以外の大人をモデルにして学ぶ機会が絶無になっている現状を背景にして広がった言葉なのかもしれない。このため、じゃりン子チエのようにたくましく育とうとしても、いまの日本社会ではチエは生きていくことが難しいかもしれない。

私の記憶では、「親ガチャ」という言葉が出る前に「毒親」という言葉が広がっていたように思う。そしてそれに少し遅れて、学校の担任の先生のアタリ外れを指して「担任ガチャ」「先生ガチャ」という言葉が出て、それが融合する形で「親ガチャ」という言葉が出てきた、という印象を持っている。

「毒親」という言葉にしても、もともと、昔の小説や伝記なんかでも、親とそりが悪い子どもの話はよく出ていた。夏目漱石なんかは養子になっていて、養父母は「子どもからの愛情競争」をして、自分の方が子どもから愛されていると競い合いをしていて、漱石はビミョーな気分になっている。

でも、そうした説明的な感じで親の問題を紹介することはあっても、「毒親」などと端的に表現する単語はついぞ現れていなかったように思う。ここに来て、なぜ「毒親」や「親ガチャ」という端的な言葉が成立したのだろう?

日本だけでなく東アジアでは、親孝行が重要な道徳だとされている。中国の伝説上の帝王、舜は、親から何度も殺されそうになり、罠にはめられている。それでも決して親孝行をやめようとしなかったということで高く評価され、堯帝から帝位を譲られた、という話まである。

親孝行ぶりを高く評価する話から、東アジアでは親孝行が倫理道徳の筆頭となっており、子どもは親を尊敬し、奉るものだ、ということになっていた。ある種の呪縛。その呪縛を解くために、「毒親」という言葉が生まれてきたように思う。やっぱりそうはいっても、ひどい親というのはいるよ、ということで。

でも他方、「理想的な親」はいるのか、というと、疑問。人間だから。名前を思い出せないけど、昔の小説家で、富裕な家に生まれ、何の苦労もしたことがないことに気を病んでいた人もいた。親の欠点をあげつらおうと思えば、いくらでもあげつらえる。人間なんだから。

私は18歳くらいの頃から、親からずっと言われていたことがある。「20歳になったら自分を再教育しなさい。親は完全な人間ではなく、ゆがみがある。そのひずみをお前は受け継いでいるかもしれない。また、ここでお前にこうしてやりたい、と思ってもできなかったことがたくさんある。」

「もう大人になってしまうお前に、親としてできることはもうほとんどない。お前の中にあるひずみは、おまえ自身で修正する必要がある。20歳になったら自己分析し、自分を再教育しなさい」と。いわば、自分自身の棚卸だ。

20歳になったら、私は自己分析を始めた。というとかっこいいようだが、要するに、気づいたことは何でもメモするということ。好きなものはなぜ好きなのか、嫌いなものはなぜ嫌いと思うのか、女の子を見てドキドキするのはなぜか、嫌なことを言われて嫌だと思うのはなぜなのか。全部メモ。

その作業を3年ほどやり、どうやら自分という生き物のクセが見えてきた。自分はもっとすごいことをやる人間になってみせる!とか、若者ならではの幻想も抱いていたが、「うーん、でもどうも、こんくらいだね」という現実が見えてきた。その上で、「ま、できることからやっていこうか」と思えるように。

また、親の影響を強く受けてきたわけだけれど、親の長所と欠点も見えてきた。そしてそれによって良い影響を受けたり、悪い面もあったり。でも、親に文句を言っても仕方ない。もう大人になっちゃったわけだし。親から受けた悪い面は、自分でどうやって補っていこうか、と考えるようになった。

その際、当然ながら役に立ったのは、親以外の大人たち、あるいは友人、あるいは赤の他人(本の中の人も含めて)だった。親以外の大人の人を観察し、自分の親にないもの、自分にないもの、それを取り入れるにはどうしたらよいかなどを考えた。親以外の人たちも、重要なモデルとなった。

確かに、「親ガチャ」というしか他のない、親からの悪影響を深刻に受けたケースも多々ある。その場合、巨大なマイナスからのスタートだ。親を呪いたくなるケースがあるのも無理はない。ただ、悲しいことに、親を呪っても事態は改善しない、という現実も一方で存在する。

私たちの生きる社会システムでは、成人し、大人になると、親に大きな問題があったとしても、それをリセットする形で「で、あなたはどうするの?」と扱われる。大きなハンデを背負っていても。でも逆に言えば、ハンデを背負っていても、私次第、ということもできる面がある。

ハンデが少しでも軽くなるよう、親ではない第三者が関わることができ、そして本人も自分の棚卸をすれば、親の影響下から抜け出すことは、原理的には可能。じゃりン子チエのように。ただ問題は、第三者の大人が「ビルの中に隠れている」。出会おうにも、親以外の大人に出会うことができない。

親以外の大人とつながることができない、関わることができない。そのことが、「毒親」「親ガチャ」という言葉がすっかり定着する背景になっているのではないか。親以外の大人に出会えない、隠れてしまっている。そのことが、子どもたちを救い難い状況に追い込んでしまっているのでは、と思う。

一つ救いがあるとすれば、社会に出ると案外気楽になる、ということ。よく大人は子どもに対して「そんなんじゃ社会に出たらやっていけないぞ」と脅す。でも案外、社会に出たほうがやっていける。私もYouMeさんも、学校生活の方が息苦しく、社会に出てようやく息をつげる気分になったほう。

「ゆがみちゃん」という毒親マンガがある。いやもう、ひどい毒親ぶり。でも主人公は、社会に出ていろんな人と出会うことで、別に親でなくても自分を受け入れてくれる「第三者の大人」がたくさんいることに気がつき、少しずつ「呪い」が解除されていく。そんな自伝的物語。

「毒親」「親ガチャ」という言葉を聞くと、もはや親からの呪縛から逃れられないのかも、と思い込んでしまいそうになるが、案外社会にはいろんな人がいて、自分を受け入れてくれる人に出会える可能性がある。子どもたちには、若者たちには、その点、ぜひいろんな大人と出会ってほしいと思う。

私の塾に来ていた不登校の子で、残念だけど毒親というしか他のない母親をもつ子がいた。不登校になったきっかけは、その子が泣いて帰ってきたとき、「○○ちゃんから殴られた」と聞いて母親が激昂、教育委員会に電話し、校長室に怒鳴り込みに行き、と大活躍したこと。でも実は。

殴られたのは、その子がいらんことを言って相手を怒らせたのが原因だった。自分も悪い、ということがその子は分かっていたのに、母親は話をろくに聞かずに一方的に相手が悪いと決めつけ、大立ち回りをやったものだからその子はすっかりバツが悪くなり、学校に通えなくなってしまった。

その子が立ち直るきっかけを得たのは、「他人」だった。その子は引きこもりの期間が長く、親以外の大人をほとんど知らなかった。そこで旅を勧めた。旅でいろんな人に出会うことの面白さを話して聞かせた。すると、電車に乗る経験もほぼなかったのに北海道に一人旅に出かけた。

人付き合いが超苦手で、ライダーハウスに泊まる際、端っこで小さくなっていた。でも「いっしょにしゃべりながら食事をしよう」と誘われ、渋々同席。ところがこれが居心地よかった。無理に発言を求められることはない。でも、話の輪の一員として認められている感覚。すっかり北海道を気に入った。

その子は北海道で仕事を見つけ、今も暮らしている様子。マジメに働くので出世させられそうになってそこは逃げて、あくまで裏方の仕事を続けているそうなのだけれど。自分を受け入れてくれる大人がいることを、その子は旅で気づくことができた。

別の不登校の子は、沖縄に旅をした。「出会うたんびに『仕事はありませんか、働きたいです』と言え」とだけアドバイスしたら、海に潜って貝をとる仕事を手伝ってみるか、と言ってくれる大人がいて、数カ月間暮らした。その後、自動車工場の仕事を見つけて働いている。

親以外の大人に出会うこと。そして、親以外の大人とつながることで、新たな人生をつかむこと。それができたらいいなあ、と思う。
残念なことに、ここで性差が出やすい。女の子の場合、よからぬことを考える男性との出会いになってしまうケースがある。女の子の場合、特に大人との出会いに注意が必要。

今、「第三者の大人」と出会うことが難しくなり、その分、よからぬことを考える大人と出会う確率が高まっているように感じる。子どもを善導してくれる大人が増えないと、子どもは「親ガチャ」から逃れられず、逃れてもろくでもない大人に捻じ曲げられるリスクが高まる。

「親ガチャ」という言葉は、親以外の大人が、子どもと関わらない、関わろうとしない、関わろうにも関われない、そんな社会システムになっていることが背景になっているのかもしれない。私たちは、この問題をどう解決していけばよいのだろう。一緒に考えて頂きたい。

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