幼児への接し方を小学校入学後も続けること・・・「後回り」して「驚く」こと
「勉強しろと言われなくても勉強する子は素質があるからだよ、素質に恵まれない子は言わなきゃやらないんだよ」というご意見複数。私には、素質のことは分からない。というより、論じても無意味。遺伝的なことはどうにも工夫のしようがないから。そんなこと論じたって仕方ない。その前に。
多くの子どもは、小学校入学前は学ぶのが大好きだということを忘れるわけにいかない。小学1年生になったばかりの子どもが「勉強頑張ります!」と、キラキラした目で宣言するテレビ画面を、みなさん見たことがあると思う。小学校に入学するまでは、みんな学ぶのが大好き。子どもはそれを疑ってもみない。
ところが小学校に入って間もなく、徐々に、勉強が嫌いだと言い出す子どもが出てくる。学年を重ねれば重ねるほど増える。なぜか。「勉強」だから。「学ぶ」ではないから。勉強という言葉は、中国の人に聞くと「強制の意味だね」という。つとめて強いる、と読むのだから。そして確かに、勉強は強制。
小学校に入るまでは、子どものペースで学び、子どもの好きな分野を学ぶのをニコニコみていた親が、小学校に入学した途端、宿題やっているか?何か遅れている教科はないか?漢字は?計算は?と進捗を気にし、少しでも先に進ませようと急かすようになる。強制するようになる。
こうして「学ぶ」が「勉強」に変わっていく。子どもたちは勉強がすっかり嫌いになる。
しかし、勉強嫌いにならない子どもがいる。そうした子どもの親は、小学校に入学したからと言って、接し方を変えていない。就学前の幼児に対するのと同じように接している、というのが、私の観察結果。
「ぼく、九九を習ったよ!」という子どもがいたとして、2の段を全部言えて、得意げだとする。ここで勉強嫌いにする親と、そうでない親で対応が分かれる。「そう、すごいね。3の段は?」と先回り。子どもはうーん、と首をひねる。「3の段も頑張ろうね!」子どもはもうここでくじける。
昨日までできなかったことが今日できた!そのことに驚いてほしいのに、明日のことが今日できていないことに親は不満顔。先回りされて面白くないうえに、もし3の段を言えるようになっても「4の段は?」と先回りされるのが目に見えている。辟易して、嫌になってしまう。勉強嫌いになる。
小学校に入ってからも幼児への接し方と変えていない親御さんは、反応が違う。「え!もう2の段言えるようになったの!ようまあ、そんな難しいこと、できるようになったねえ」と、昨日と今日が違うことに驚き、感心する。子どもは得意満面。次は3の段を覚えてもっと驚かせてやろう、と企む。意欲満々。
小学校就学前の親御さんは、ほとんどが理想的な子育てをしている。子どもの成長に後から気づき、驚く。健やかに成長してほしい、次々にできることを増やしていってほしいと「祈り」はするけれど、それがいつ来るかは、子どもに任せている。そして、その時が来たら。
「わ!昨日までできなかったのに!」と、「差分」に驚く。子どもは驚いてほしいから、「ねえ、見て見て」という。多くの(おそらくほとんどの)子どもがこの口癖を口にするのは、偶然ではない。子どもは、昨日までできなかったことが今日できた時、親に驚いてほしい。それがたまらなく好き。
ならば、小学校に入学したとしても、その接し方を続けたほうが良いように思う。子どもの先回りをするのではなく、「後回り」。子どもが一歩進んだら、それに後から気がつき、驚く。すると子どもはさらに前へと進もうとする。驚かすのが楽しくて、どんどん進もうとする。
親は先回りして心配することでエネルギーを費やすより、子どもをよく観察し、昨日までできていたこと、できていなかったことを把握し、しかしできていないことには一切口を出さず、子どもが今日、「できる」に変えた時、一緒に驚き、喜び、感心することにエネルギーを割いたほうが良いように思う。
これができているご家庭の子どもは、少なくとも「学ぶことが楽しくて成績良好」な状態になる。どこまで成績が伸びるかはわからない。しかし少なくとも勉強嫌いにはならない。そして親を、あるいは周囲の大人を驚かそうとどんどん企むから、その子の成長はその子にとって最速になる。
できたら、学校の先生も「驚き屋」になっていただけたらな、と思う。その子が昨日までできていなかったことが今日できた時、「やったあ!」と驚き、ハイタッチし、一緒に喜んでほしい。そうすれば、次に行こうなどと言わなくても子どもが言う。「次もやる!」そしたらそれにも驚く。
子どもが意欲を持つことに驚き、工夫することに驚き、発見したことに驚き。親や教師が「驚き屋」になれば、子どもはウキウキワクワクして学ぶ。意欲的に。幼児への接し方を、小学生になったからといって変える必要はない、と私は考えている。