専業主婦は働いていないという誤解
(専業主婦は働いていないというツイッターの意見に対し)
私の妻は社会的には専業主婦だけど、むちゃくちゃ働いてる。育児、家事、子ども会とか地域活動とか、かなり忙しく、土日もない。私より早く働き出し、私より遅くまで働いてる。しかも私の母と同居。妻がそうして働いてくれないと我が家は回らない。専業主婦が「働いていない」というのはおかしい。
私と妻(YouMeさんと普段は呼んでる)は「チーム」だと考えている。それぞれが得意を持ち寄り、互いの不得意を補う。たまたま私達は現在の形態がよさそうだということで落ち着いてるけど、状況が変われば立場を入れ替える可能性もあると思う。
私はYouMeさんのことを大変尊敬している。私にはマネのできない長所をたくさん持っていて、日々学ばせてもらっている。YouMeさんも私のことを大切にしてくれる。互いのリスペクトがあるから「チーム」でいられるのたと思う。
私の家には、私の実母だけでなく、一時、私の弟まで同居していた。幼子2人抱えている中で、よくもまあOKしてくれたものだと思う。また、私のところには学生がよく来て、彼らに毎日のように食事を振る舞ってくれた。こんなこと、YouMeさんがいなければ決してできなかったこと。
引用の発言は、わからなくはない。YouMeさんも結婚するまでは「働きもせずに優雅にランチなんか食べて」と、専業主婦に批判的だったという。そして結婚し、子どもが生まれたり私の母が同居するようになると「すみません、専業主婦ナメてました」とYouMeさん談。大変。私より働いてる。
恐らく、冒頭の引用の人は、専業主婦のイメージが昭和で止まっているのではないか。今は、意気地と介護が同時に襲いかかる事が少なくない。それらに対処するためにやむなく専業主婦という立ち場を取らざるを得なくなっている人も少なくないと思う。その人たちが外に出たら破綻しかねない。
また、かろうじて維持されている地域の機能も完全ストップする可能性がある。以前、ツイッターで話題になっていたけど、両親共働きの子どもが、専業主婦のいる家に遊びに行くことで地域の子どもたち面倒を事実上見てると言う話がある。そう言うことって結構あると思う。
いま、引用の人が思い描くような、ゆとりのある専業主婦ってどのくらいいるのだろう?私の知る限り、うちの地域で専業主婦やってる人は、外の仕事をしてる人に負けず劣らず働いてる。むしろ外の仕事のほうが休憩できてよいかもしれない。休みもあるし。でも専業主婦は休みなし。
なーんかな。イメージだけ先行してる感じがするなあ。うちは、専業主婦への福利厚生が失われても今の体制を続けざるを得ない。その分しんどくなるだろう。
時代が専業主婦を少数派にしてるのは事実かもしれないけど、「働いていない」というのは、明確に否定しておく。むっちゃ働いてるよ。
追伸。
バズってるというより炎上気味だけど、ご意見いろいろ見てると、まずい傾向だな、と思う。すでに独身の人達から「なぜ我々が税金の形で子どもへの福利厚生を負担せねばならないのか」という意見も散見される時代。子育ては「稼ぎ」のない労働。しかし次世代を育てるから社会は成立する。
稼がないことを糾弾する社会は、やがて子育て支援もやり玉に上げることだろう。そうなれば、裕福な家庭しか子育てできないことになる。しかし裕福な家庭はわずかしかいない。少子化は決定的なものになるだろう。助け合うのではなく、ズルさを糾弾する社会は、保険のない社会となる。
日本では「お陰様」という言葉がある。目に見えない助けを受けることで道が開けた、という世界観を映している言葉。しかしどうやら、今の日本は目に見えるものしか見ない社会に移りつつあるのだろうか。目に見えないものは否定する社会になりつつあるのだろうか。だとしたら危うい。
中国の文化大革命(正確には大躍進時代)では、スズメを「穀物を食べる害鳥」とみなして徹底的に駆除した。ところがそのために害虫被害がひどくなり、むしろ収量が減る羽目になった。実はスズメは、穀物を食べる以上に害虫を食べてくれる益鳥だった。見えてる部分だけ見て見えない部分を無視した典型的な事例。
私はこのスレでは、保険制度については一切言及していない。ただ「専業主婦は働いていない」は誤りである、という点を指摘している。専業主婦は家庭内だけでなく、地域社会や子育て、あるいは介護などを補完する機能を果たしている場合が少なくないのだが、この点が多くの人たちに見えてないらしい。
これを外部化すれば、相当なコストを支払うことになりかねない。「働いていない」という言葉は、「見ない」という問題をさらに悪化させる言葉だと思う。