誰かのようにならなくていい
今から1年前、留学に行くタイミングで、現在UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)で活躍する青山愛さんのインタビュー記事を読んだ。
青山さんは自分と歳が一つ差の同世代で、テレビ朝日で働いたあとアメリカで修士を取って国連で働いている。レベル感は違えど、仕事をやめて留学して…というプロセスは自分と共通するところがあり、読み進めているうちにとても共感を持った。なぜなら、今まで自分はずっと「誰かのようになろう」と考えながら生きてきたんじゃないかとはっと気付かされたような感覚をもったから。
高校1年生のころ。
秋のサッカー選手権に臨むメンバーに入ることができ、キャプテンだった3年生の先輩に憧れた。その先輩は試合の大切な場面ではプレーでチームを引っ張り、練習でも周囲に的確な声掛けが出来るキャプテンシーのある選手だった。
自分が3年生になったとき、ポジションは違えど試合ではキャプテンマークを巻く役割となりチームを引っ張れる存在を目指したが、現実にあったのは下手なりに守備を頑張って、奪ったボールを周りの上手い仲間に預ける選手。選手権のゲームでは同点の場面でファールからPKを献上して、そのまま敗れて引退した。
大学時代。
WorldFutというサッカーを通じて国際協力を行うインカレの団体に入った。団体をゼロから立ち上げた1つ上の先輩には、頭も良くて周りを惹きつけて引っ張っていける魅力ある先輩がいた。大学3年生になり、団体を引き継ぎ、代表を任せてもらえることになった。頭はそんなに良くない、周りとのコミュニケーションもうまくない自分であったが、どうにか1年間きちんと活動をやり遂げようと不器用ながらにやった。周りの仲間が支えてくれたからなんとかやってこれた。
新卒で入ったNEC。
海外営業部門で仕事をすることができ、周りにはすごいと感じる人がたくさんいた。多言語を自在に操れる人、技術部門からの信頼が厚い人、駐在先で現地の仲間とものすごく頑張っている人…。私も未熟なりに5年間やらせてもらった。
上司には「現場が一番成長する場所だから」と若手のうちから何度も出張に行かせてもらい、やりたいと手を上げた展示会出展の業務には3年で5回、ほぼ毎回のようにアサインしてもらった。なんとか案件を取ることで会社の期待に応えようと思い描きながらも、乏しい成果で出張から帰ることも何度もあった。
今振り返ってみると、未熟だったからその時その時でロールモデルとなる人やありたい姿をセットして、その姿になろうとした。きっと得意不得意を踏まえた自分なりの正解を考えるのではなくて、無意識にお手本を探してそれを真似して近づこうとしていたんじゃないかと思う。
サッカー業界のビジネスサイドにも20代後半で一般企業から転職して入る人は多くいる。けれども、そこからスポーツのマスターを取って海外に残ってスポーツでの仕事をしていこうとすると、そういった経験を持つ人の数はおのずと少なくなる。
実際に活躍されている人は何人もいるけれど、歩んできた道はまったく違うもの。AISTSで過ごすなかで、自分と目の前の人を重ねようにも距離があるし、目指すものへの行き着き方も無限に道筋があることを知った。自然とロールモデルとして見ることや探すことがなくなった。
地元に帰れば、一緒にサッカーをやっていた友達はほとんど家庭をもって子どもも最近は生まれている。会って話すたびに、世間一般で言われる普通からは少し外れた道をいつのまにか進んできたんだなと感じる。うらやましく見える瞬間も当然あるけれど、30代で留学をしていった先で新しく仕事を始めるのも悪くない。他の人のようになろうとしてもなれないのと同じように、この道は自分にしか出来ないもの。誰かになろうとしてもなれないし、ならなくてもいい。
自分は順風満帆に来たわけでもなく浪人もしたし、エリートではなく頭も良くない。要領も悪いけど、やれるという自信と多少の負けず嫌いな性格はどこかにあって。パリ2024での仕事でも、フランス人がマジョリティを占める環境のなかでそこそこ苦労することはわかっているんだけど、自分はこの道がいいと選んだからもう少し今の道で踏ん張っていたいと思う。早くも2ヶ月が経ったけど、元気に楽しくやれています。次は2ヶ月の振り返りをざっくりかけたらと思います。