真の教育の実現につながる総合型選抜への向き合い方
「前の記事」で「真の教育」とさらっと言ってしまいましたが、それだけで一冊の本が書けてしまうくらい、人それぞれの定義がある言葉でしょう。真の教育とは何かと、人生に一度は考えた方がいい、いや言われなくても、誰もが一家言あるはずです。よほどのことがない限り、皆が共通して持つ経験ですし、親になる人も多いからです。そのため、お互いの意見を尊重するということで、意見のすり合わせなど、途方もない作業はやめた方が無難です。
そう語ったところで、私の考える、青少年に対する「真の教育」とは、次の通りです。
1.学び自体が楽しい経験である。学んだことで何かがもらえる、何かをもらうために学ぶになっていないこと。知らないこと、疑問に思うことをみつけて、それを調べて理解したり、自分で「実験」して一定の学びがあったりして、そのこと自体を楽しく思えるようになっている。
2.自己実現を果たす。まずは、自分の才能、得意、興味あるものが何か探し、特定出来たら、それを突きつめていく。青少年期にとどまらず、生涯にわたって、その高み・深みを向上させるによって、深い満足感・達成感を得る。
3.教育を受けた後、社会に出て独り立ちができる。そして、また異論がたくさん出る言葉だが、「親の責任」とは、子がいつか独り立ちできるところまでだと思う。素晴らしい学校を出たか、良い職業についたかとか、何歳までにとかは、関係なく。
アメリカで総合型選抜が理想的に行われた場合、以上のような「真の教育」を遂行するのが可能になると思っています。「前の記事」でアメリカの総合型選抜の評価項目4つあるといいましたが、ここにもう一度示します。
1.学校の成績(GPA)
2.主に学校の先生の推薦状
3.英語(国語)と数学の標準テスト(SAT、ACT)
4.課外活動
上記1と3は、「人がこれまで培ってきた共有財産である知識」を学ぶもので、私たちの住む社会の理解のために必要です。これまで、教師が学校教育で教えてきた積み重ねがあるので、学び方によっては効率よく学べます。よく、社会に出てから使うことはないと言われますが、そうばかりでもありません。それは後に説明します。それに、いろいろなことを学ぶ中で、自分の得意不得意、興味あることないこともわかってきます。一般入試では、1と3の部分のみを極めることになるので、「教育の本質」から離れたものになり、批判が出ます。
上記の2は、入試評価に入ることで、学校や社会の規則を守り、貢献する態度が生まれます。もし、規則を破るようなことがあっても、よく反省している様子を示せばよいことも学べます。
残る4ですが、課外活動は、自分の得意を探し、伸ばしていく活動になります。特に親が一流大学受験を意識していている場合、子供が小さいうちからいろいろ経験させ、子供と相談しながら何が得意か見極めます。ものによって始める時期が重要なものがありますが、受験ぎりぎりでも間に合うものもあります。得意を見極めていく中で、最終的には2つぐらいに絞り、極めていきます。得意の行きつくレベルは人それぞれですが、その学年で一番というレベルでも、それが大学での専攻や職業の選択の基礎となっていきます。途中で得意が変わっても問題ありません。なぜなら、それまで頑張ってきたことと、これから頑張りたいことがいつか融合することがあるからです。その融合を、自分の特性・ストーリーとしてアピールすることもできます。
このように、総合型選抜方式では、生徒は自分の興味や得意を伸ばしながら、社会で共有されている知識や行動について学んできた様子を総合的に評価するので、「教育の本質」を実現することができます。