キンダーカウンセラーが腱鞘炎になったら…痛みから学んだ〇〇の大切さ。
やっとnoteを開くことができました。
久しぶりの記事ですが、今回も幼稚園、保育園の子どもにかかわっている大人向けになります。
ご家族はもちろんのこと、幼稚園や保育園の先生にも参考にしていただける内容です。
2週間前のことです。
朝、起きると右手首が痛くて動かすことができなくなっていました。
どうやら腱鞘炎になってしまったようです。
心当たりはありました。ごまかしごまかし生活してきた結果、さらなる酷使で一気に悪化したという感じです。
利き手の手首の痛み。
ただそれだけのことなのに、生活が一変しました。
とにかく痛くて、何もできない。
例えば、朝、ごはんを作ろうと台所に立つのですが、まず、普段のように冷蔵庫を開けることができません。両手を使って開けます。食材も、いつものようにひょいと片手で取り出すことはできません。手首が痛まない方法を見つけながら掴み、何とかまな板の上に乗せることができましたが、今度は包丁を持つことができません。柄を「握る」などとんでもない、軽く掴むのが精いっぱい。当然ながら食材を切ることができません。刃の上の部分に左手を添えて下に押さえ付けるようにして、切っていきます。
押さえつけても切れない食材は時は、肩から下を大きく前後に動かしながら、包丁を押したり引いたりしなければなりません。大きく動かすことで、力を入れなくても刃を進めることができましたが、腕が少しでも動くと手首に痛みが走るので、肩から下は固定するようにして、左半身を「軸」にし、右半身を大きく前後にゆらしながら、切るという、傍から見ると非常に滑稽な姿です。
ビンの蓋を開けるのも大変です。何とか右手で蓋を掴むことはできますが、回すのは左手でしかできません。左手で握ったガラスの本体を回しながら何とか開けることができました。
浄水器のボトルから鍋に水を入れる時、フライパンに油を注ぐ時も、両手で持ち上げ、ボトルの片方は下につけたまま、左手でボトルを傾けて注がなければなりません。
お鍋の中をしゃもじでかき混ぜる時も、少しでも腕が動くと痛いので、腕は動かさず、全身をぐるぐると揺らしながらかき混ぜます。
さて、テーブルを拭きたいわけですが、まず布巾を水で濡らして絞る。これがまた至難の業です。右手首が痛まない絞り方を見つけるのには、時間がかかりました。
食べるときは、お箸を持つことができないので、左手で食べるしかありません。私は若い頃、楽器を演奏するために右手と同じように左手も使って生活をしていた時期があり、左手でお箸を使うことには慣れていました。食事にはそう苦労しませんでしたが、右手と同じ器用さで使えるわけもはなく、本来なら肘から下を上下させれば食べ物を口に運ぶことができるところ、肩から下を大きく動かす必要がありました。決してスマートな食べ方とはいえません。
ここまでは、炊事や食事の様子を紹介しましたが、他の日常的なあらゆる動きにも、「手首」は影響していました。
例えば、服の脱ぎ着。ただ、これは手首に痛みが走らない方法がわかりさえすれば、あまり苦労しませんでした。一つ一つの動きが大きくて済むからでしょう。ボタンを止めるのは、主に左手を使うからか(女性だけ?)意外にも問題ありません。ファスナーの開け閉めはできませんので、左手を使うしかありませんでした。
特に困難さを感じたのは、ズボンをあげるとき、それから靴を履くとき。指先を使って「つまむ」動作もまた、手首の動きと連動していることがわかりました。ただ「つまむ」だけなら問題ないのですが、つまんだ状態で動かそうと思うと、微妙なひねりや屈折が入るのでしょう、手首に響くのです。
そして、歯磨き。
まず歯磨き粉を適量出して歯ブラシにつける必要がありますが、もう、ここからできません。歯ブラシは下に置き、両手でチューブを握って…と、普段当たり前のようにしている動きに何とも時間がかかりました。
歯磨きという動作そのものも、実は手首を巧みに使わないとできないということもわかりました。私は今回は右手は全く使えず、左手で。それも「シャコシャコ」ではなく「ゴシ、ゴシ、」と大きな動きで、不器用に時間をかけながら磨かなければなりませんでした。
お風呂はどうでしょう。
まず、シャンプーのポンプを押すことができません。掌にとって、両手をすり合わせてシャンプーを手になじませ、頭につけてゴシゴシと洗うわけですが、そういった日常当たり前のようにしている動作一つ一つも、手首がいつものように動かないとできません。
体を洗う動きも同様です。
洗面所に落ちた水滴を拭くとき、くもった鏡を拭くとき・・・ぞうきんの角度、力の入れ方、動かし方、全て「手首が仕切っている」といっても過言ではありませんでした。
というわけで、普段は全く意識されることがない「手首」が、実はありとあらゆる動作に貢献してくれている!ことを知りました。
手首が使えないと体の動きがとても大きくなります。
動きが大きくなる分、一つ一つの動作に時間がかかります。
キンダーカウンセリング活動で出会う、手先が不器用な子どもの中には、体の動きが重く、もったりとしているように見える子がいるのですが、その理由が分かった気がしました。
また、微細運動が苦手な子どもには、まず粗大運動をたくさんさせることが大切、と言われていますが、粗大運動=体幹が、微細運動の発達には欠かせないということも、身をもって経験しました。大きな動きも「軸」がしっかりできていないとスムーズにできないのです。
さて、手首が発達していない(粗大運動から順番を経て育っていない)子どもはまず、スプーンやフォーク、お箸の使い方で苦労しますが、園では制作活動やお絵描きといった活動の、将来的には文字の練習、書字の苦労へと繋がります。
そういう子どもに気付いたら、早めに対処を始めることが必要です。
(決して「不器用な子」という理解で終わらせてしまわないでください。)
対処って何をすればいいの?と思われた方。
私がキンダーカウンセラーとして、幼稚園や保育園の先生方に助言するときには、「手首を使った遊びってどんなものがあるでしょう?」と日ごろの活動や遊びを通して手首を使う機会を増やすことを一緒に考えたりするのですが、他にも、日常生活の中でできることは、たくさんあります。
本文の「手首の痛み」を「手首の育ち」に置き換えて、初めからもう一度読んでみてほしいのです。
そう、日常の一つ一つの行動を、丁寧にやらせてあげることが有効ということが、おわかりいただけるのではないかと思います。
着替えや歯磨き、お風呂で髪や体を洗う時、時間がかかるから、自分でやらせても綺麗にならないから、と手伝いすぎていませんか。
幼稚園、保育園に行くとき時間がないからと靴を履かせてあげていませんか。
ボトルからコップに水やお茶を注ぐとき、危なっかしいからと大人が代りにやっていませんか。
テーブルや床を拭いたり、洗面所の鏡を磨くお手伝い。
台拭きや雑巾を、洗って絞ってもらうお手伝い。
どれも手首の育ちを促してくれます。
じょうろやペットボトルを使っての、草木の水やりのお手伝い。
水の勢いや量を調節しながら水やりをするというのは、なかなか高度な技なのです。
料理は・・・手伝ってもらうと時間がかかりますし、忙しい大人にとっては助かるどころか、正直、仕事が増えるだけです。
でも、毎日「少しだけ」でいいのでお手伝いの機会を作ってみませんか。
余談ですが、お手伝いをして「ありがとう」「助かった」と言われる経験は、自己肯定感の育ちにも役立ちます。
何よりも、文句も言わず、楽しそうにお手伝いをしてくれる時期なんて、幼児期の今だけかもしれません(控えめに言って)。
「上手にできたね!」と言って純粋な笑顔を見せてくれるも、今だけかもしれません(かなり控えめに言って)。
話を本題に戻しましょう。
キンダーカウンセラーが腱鞘炎になって、痛みから学んだ〇〇の大切さ。それは、
1.手首の発達の大切さ
そして、
2.日常にある一つ一つの動作に、大人が丁寧につきあったり、見守ったり、指導したりすることの大切さ
でした。
2.は、手首に限らず、他のあらゆる発達にも言えることです。
一見、地味で地道に見えますし、何より、手間がかかります。ですが、日常の中で当たり前のように、繰り返し行う動きほど自然に身につくものはありませんので、ここはやはり譲れないところです。
発達支援は「急がば回れ」なのです。
今は、民間の児童ディも増え、科学的な用語をそれらしくちりばめた「自称メソッド」、発達障害に効くという健康食品やサプリメントを販売しているようなところもあると聞きます。このブログでは何度もお伝えしていますが、発達の仕方は一人ひとり違います。つまり「今」その子に必要なアプローチも一人ひとり違って当然なのです。なのに「鉄は熱いうちに打て」とばかりに「これをすれば、発達障害が治る!」「発達の凸凹が解消する!」などという派手なうたい文句で、画一的な支援や商品を提供する事業所や塾の存在を知ると・・・私には親心を利用した金儲けにしか見えず、怒りすら感じます。
鉄は本当に十分に熱くなっているの?打ち時は今なの?どのようにしてそれを見極めたの?その根拠は?と問いたくなります。
このブログを読んで下さったみなさんは、くれぐれも安易な方法に飛びつかれませんように。
今受けている支援、受けようとしている支援に少しでも疑問に思うことがあれば、一度、未就学児の発達支援を専門とする臨床心理士や臨床発達心理士など、大学院で心理学を専門的に学んだ専門家にご相談下さい。
子どもが本当にのびのびと、すくすくと育つ方法を一緒に考えてくれるはずです。